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仕事について棚卸ししてみる

五月病が蔓延っていた時期、自社の会議で社員の出世欲についての話があった。
私自身副店長の時は出世欲は無くて、結婚してから自分に箔をつけたくなって、店長になりたいと思うようになった。実際出世して良かったと思うようになったし、仕事は勿論大変でも自分の人生を自分の力で良くしている感覚というのはやりがいみたいなのに繋がっていると思う。
一方で自分の部下も含めて出世したいという人が減ったのは、その上司に憧れられないからなのではないか? というのが先日の会社での話だった。
部下から見て上司はきっと大変そうに見えるのだろう。上司の大変さは表面化しやすい一方で、上司が感じている喜びややりがいみたいなのは見えにくく、故に憧れにくい部分はあるのかもしれないと思う。あるいはその上司もやりがいを感じてないという事もあるだろう。
今回は私なりに、仕事について棚卸ししてみる。

仕事の報酬は仕事である

私は今まで、お店の平社員、副店長、店長と出世してきたけど、出世するにつれて仕事の中で判断をする機会は多く、かつ難しくなっている感覚がある。
これは部下にも見えてるから、店長は大変そうだと思われるわけだけど、任される範囲が広がるのが仕事の報酬だと私は思う。
平社員の時は必ず店舗に上位の責任者がいた。だから分からない事はすぐ聞ける状況下にあったし、失敗してもフォローしてくれる人が必ず居た。私がやらかせる範囲でとんでもない事が起きることは無かった。
副店長になったら店舗に上司がいない日ができた。平の時は聞く側だったが、今度はパートさんに聞かれる立場にもなった。ただ対応できない事は店長に聞いときますねーで済んだし、自分のミスも店長が気付いてフォローしてくれた。
今現在は店長だけど、逆に今度は副店長のやらかしや残した判断を自分が片付けなきゃならなくなった。また自分のミスに気付かないでいるとそのミスはそのまま損失を生み続けるし、誰かが気付いてくれるまでそのまま。とはいえ、気付いた自力で解決できない問題はエリア長の指示を仰ぐ事ができる。
エリア長は逆に、各店舗の店長副店長が自力で解決できなかった問題を電話越しに処理する。既に店長副店長が匙を投げた問題の為内容が難しく、パターンも増えてくる。
話が長くなったけど、仕事で評価されるとシンプルに仕事が増えるし求められるレベルも上がっていく。また出世っていう分かりやすい区切りをしたけど実際はもっと細切れで、例えば昨年は副店長に頼まなかったけど今年は頼んでいる仕事もある。パートさんとかは特にそうで、ずっとレジの人も居れば接客や棚替えを任される人もいる。
仕事の報酬は仕事である。

人は仕事で磨かれる 

仕事で評価されると仕事が増える。という事に関して、ポジティブに思う人とネガティブに思う人がいる。私も昔は仕事が増える事を望んでいなかった。
ただ、任される仕事が増えると日々考えなきゃいけない事や、それを解決する能力を得る為に学ぶべき事、受けられる教育が変わってくる。
学校で学ぶ算数、数学みたいに学年で区切られる事は無く、足し算と引き算が出来たら掛け算や割り算。それも出来たら連立方程式、因数分解と進んでいく。同じ年齢でもある人は掛け算のテストを、ある人は因数分解のテストを受けているという事が普通にある。そしてその因数分解はその会社で毎日のように使う。
学生の頃に言っていた「因数分解なんて社会に出たら使わないし」なんて言い訳は通用しなくなるし、まだ掛け算の人には因数分解に触れる機会すら与えられないのである。

仕事と思うな、人生と思え

一事が万事 という言葉がある。
仕事でできない事はプライベートでもできないし、仕事でできるようになった事はプライベートでもいかされるかもしれない。このブログもプライベートだけど、副店長に同じ事を書く事はできないし、エリア長ならきっともっと素晴らしい事を分かりやすく書くのだと思う。
学校で算数や国語を学ばせるのは、算数や国語が社会で必要だからというだけでなく、算数や国語を学ぶ方法と同じ方法であらゆる事を学べるから、もしくは何かを学ぶ為に必要な知識がそこにあるからだと思う。
仕事で何かを判断したり、人に説明したり、失敗や成功を重ねる事は、プライベートでの判断の質や水準に大きく関わってくるのだと思う。

最後に

チャンスは準備ができた者にのみ訪れるが、ピンチはこちらの準備を待ってはくれない。特にピンチはこちらの準備を待ってはくれないという価値観がこの話題では大事だと思う。
自然災害などのある地域に突然訪れるピンチや、失恋や怪我、親の死など個人に訪れるピンチ。それらを1度も経験せずに生涯をまっとうできる人などいないと思う。こういうピンチを迎えた時に学校の算数や国語になるのが、私達にとっては仕事なのだと思う。
ピンチはこちらの準備を待ってはくれない。仮に私がまだ掛け算割り算しか解けなくても、ピンチを解くのに因数分解を解けるだけの能力が必要になる時もある。そしてその答えを解けなかった時に与えられる損失から私達を守ってくれるチャンスがあるとは限らないし、そのチャンスがあっても漢字が読めないと掴めなかったりする。
自然災害や誰かの死みたいな防げないチャンスもあるけど、失恋や怪我などは場合によっては適切な国語や算数で未然に防げたピンチもあるかもしれない。
仕事で学ぶ国語や算数から培った判断力は、私生活での判断力でも活かされると思う。そして何も判断せずにピンチを脱する事も、チャンスを掴んで幸運を手に入れる事も出来ない。
だから仕事と思うな人生と思え、と言われるし、仕事の報酬は仕事なのだと私は思う。

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