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私とすね毛の新しい関係

脱毛と女性の問題を、たまにネット上で話題になるのを見かける。かくいう私も、ワキの一部を永久脱毛している一人で、毎月口座から脱毛代が引き落とされるたびに、脱毛って何なのかしらねぇ、とぼんやり思っていた。

毛を剃ったり抜いたりする理由は人それぞれだが、私の考えとしては、見た人に不快な思いをさせないように、というところが大きい。ふとした瞬間にウワッてさせないようにしたいな、と思って、ヴィーンと毛を剃る。また、時としてヴァチーンと毛を抜いてもらう。

つまり、私にとっての剃毛、脱毛は、人の目を気にしての行動だった。
となると、この長期おうち滞在においては、毛を剃る必要がないということになる。
そこで私は、毛を剃らないでおいてみよう、と思った。
しかし、全身いきなり剃らなくなると、後で剃るとなったときに面倒そうだ。そこでひとまず、すね毛を手付かずにすることに決めた。

と、いうのが大体3週間くらい前のこと。
今、私のすねには、自由にのびのびと育ったすね毛が蓄えられている。

およそ3週間程度育てた私のすね毛は、貧弱で、意志の弱さを感じさせる仕上がりだった。
細くて、色も薄め。手で撫でつけても、へにゃんと好き勝手な方向を向いてしまって、一つもサマにならない。いや、サマになるすね毛も知らないのだけれど。

自由に育った貧弱なすね毛を見て、私はちょっとがっかりした。なんというか、もっと、自由になった!とか、女性もすね毛あっていいじゃん!?という熱いパッション的な何かを得られるかと思っていたのだ。

しかし、今の私にあるのは、ただ3週間伸ばし放題にしたすね毛、ただそれだけである。

私は、自分が見た人が不快にならないように剃っておこうという考えの持ち主だと思っていたが、どうやらそれはちょっと違うらしい。自分の毛に対して、一番ウワッと思っていたのは、自分だったのだ。

午後17時、西日の差し込む部屋で、自分のすね毛をまじまじと見る21歳。世界の多くの人がおうちにいるだろうが、こんなにもすね毛と向き合っている人はいないだろう。

これまで漠然と、脱毛を女の人だけが強いられるのってどうなの?と思っていた。私ばっかり毛を剃って面倒な思いをするなんてなんだかなぁと思うこともあった。
しかし、自分のすね毛と向き合ってみて、考え方が変わった。

自分の足を見て、すね毛のない私の方が好きだなと思った。他の人に対してどうこう、というより、自分が納得できるな、というものさしではかったときに、そういう風に思ったのである。

誰かの発言を鵜呑みにしてもやもやするのではなくて、自分でやってみて、考えてみて、選択をする。そんなことの大切さに気がついた。すね毛で気が付きたくなかったけど。

そういう訳で、面倒ではあるが、これから先も私はすね毛を剃っていくことにする。さらに、石油王が私のファンとなり応援金をくれた日には、すね毛を脱毛してしまおうと思う。早く石油王のファンが欲しいものだ。

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