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なぜ険しい道を進むのか。

不思議なことがある。

めちゃくちゃ不思議なこと。
それは、これまではあんなに

「仕事を辞めないほうがいい」
「無鉄砲」
「甘い」
「好きで食べれるのなんかはほんの一握り」

たくさんのことを言われてきた。
でも、うまくいき始めると

「初めからポテンシャルがあった人」
みたいに言われ始めるのだ。

過去を正当化され始めるのだ。
わたしはずっと変わらないのに。
わたしはずっとポンコツで
ずっと努力をしてきて
何も変わっていない。

ただ、行動が、実績が、お金が
「見えるように」「数えられるように」
なっただけ。

ありのままの紆余曲折を
リアルタイムで記録しておくことが
宝物になるだろう。
わたしだけじゃなくて他の方の宝にもなれば嬉しい。

ところで
新しい人生の目的ができた。

もうこれは、一生の課題になるだろう。

日本の多様性への理解を進め、
「ADHDの人が本来の力を発揮し
ここでも輝くことができる場所にすること」である。

6年前の海外のYouTubeで
心に沁みた配信がある。
「ADHDは抑制するものではなく、付き合うもの」
であるという配信だ。

この配信は6年前だ。
私たち日本人にはこの考え方は新しいのに、
海外ではもう6年も経っているのである。
悔しいと思わずにはいられない。

だからであろうか、
多くの生きづらさを感じるADHDの人は日本を出て、海外でのびのび生き生き過ごしている人もいる。

私もそれを目指した1人で、
海外に今にも出ていきそうにしていた。

さらに、ルールに縛られ、時間に縛られ、礼儀に縛られ、普通に縛られ、正直、日本での社会人生活は少々苦しいものがあった。
自らの創造性が発揮しにくいと感じた。

でも、今回日本に残ることになったのは、
やはり日本でそのような方の力になる、
そして、そのリアルを発信することで「ここ」を変える。

それが使命だと考えることにした。

ここ日本は、律儀で緻密な国民性だけでなく
精神疾患を隠そうとする文化的背景、
それが相まっておそらく先進国ではトップレベルに認知や理解が遅れ、生きづらいのであろうと感じる。

いつでも誰でも海外に行ける今、
海外に行かねば人生を無駄にするくらいの勢いで
優秀な人は海外に飛んでゆく。

そして、いつもいつも、
ADHDの開拓者は日本にはいない。
「残された人」だけが日本に。

そんなのは許せない。
わたしが日本の針を進めてやる。

そんなわけでわたしは今
初めて「ADHDの強み」
を発信する活動をしている。

批判もあるだろう。

でもわたしは私の信じるものを追いかけ続ける。
自身の行動が記録が、軌跡が
きっと未来を変えると信じている。
モタモタしてはいられない。
もう十分に遅れているのだ。

わたしが生きているうちに
どこまでのことができるか。

悔しくて悔しくて仕方ない夜もあった。

でもわたしは確信している。
ADHDは「才能になり得る」と。


それを証明する方法は
ただ一つである。

圧倒的に
「認めざるを得ない」
を、つくることだ。

それを作るのは、
影響力(フォロワーの数)かもしれないし
お金かもしれないし、行動量かもしれないし、
言動なのかもしれない。

わたし個人では認められたい、
などとは全く思っていない。

しかし、その必要があるのだ。
日本の遅れた多様性の理解の針を進めるには。

私が「変えたい」人々に話を聞いてもらえるようになるには。
「圧倒的な結果を見せつける」
これしかないのだ。

見える形にならなければ
どこまで行っても「当事者のわめき」
にすぎないとされてしまえるのだ。

だから私は人前に出る。
だから私はsnsをやる。
だから私は成功も失敗も出す。
だから私はみんなの前で成長する



時間守る、規律を守る、その他与えられた基準で評価を取れなければ無能?

私たちの価値はそんなもので測れるもんじゃない。

私たちの力はこんなもんじゃない。


「ここ」でも幸せに生きられる。そんな世の中を作っていく。これが私の人生の目的だ。

旅は始まったばかりだ
to be continued...

追伸:わたしは普段はADHDを手玉に取る方法を授業とコーチングセッションを通して
学んでいただけるオンラインスクールをしている。興味がある方はぜひ連絡をいただけたらと思う。

#adhdコーチ
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#大人の発達

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