高校3年生の夏


「高校3年生の夏」といったら、人は何を思い出すだろう。

受験勉強に必死な学生?
それとも、最後の夏だからと、めいいっぱい遊んだ記憶だろうか。

私の高校3年生の夏は、多くの人が思い浮かべるであろう(そして、去年まで、私もそうなるだろうと思っていた)それとは、異なるものとなった。

私は今年の春、学校を辞めた。(学年が変わる前だったから、冬と言ってもいいかもしれない。)
理由は、ただの持病の悪化。
(まあ、「ただの」と言えるレベルではなかったけれど。)


学校を辞めたからって、誰もが受験勉強を必死にやらないってわけではなくて。
むしろ、辞めたからこそ必死にやる人の方が、多そうな気さえするけど。

私は今、(これでいいのかと悩めるほどに、)とても自由だ。


毎日、自分に必要なことを探して、自分のやりたいことを探して、ゆるゆると行っている。
少しずつだけど、何かを投稿したり。
絵を描いたり、ギターの練習をしてみたり、本を読んだり、ゲームをしたり。

ネットを見る時間ができたため、今起きている世界の出来事・事件・大衆運動などに、触れられるようになった。(夕方のテレビは、世界のニュースが少なかった)

今はこんなに、自由に過ごしている私だけれど、体調が悪化するまでは(見かけは)優秀な模範生だった。
遅刻は0。熱が出たときにしか、休まなかった。
小学生の時からの、習慣(?)だった。


だけど、去年の夏、体調が悪くなってからそれは一変した。

遅刻は当たり前に。週に3日行ければいい方だった。
単位を落とすギリギリまで、遅刻と欠席を繰り返した。

そんな劇的ビフォーアフターを体験してから、私の学校に対する考え方は、がらりと変わった。

それまで「遅刻」は、してはいけない、禁忌の存在だった。
「ずる休み」なんて、したくても、良心の咎めに耐えられなかった。

(平気で遅刻をする人は羨ましいけど、ああはなりたくない。
ずる休みできる人の、気がしれない。
そしてみんな、先生に咎められているじゃないか。
遅刻も欠席も、やっぱり悪いことなんだ。)
そう思っていた。

(でもやっぱり休みたくて、神様に、「重たい病気にでもかからせて、強制的に学校に行けないようにしてください」と、祈ったこともある。
(その時すでに、今の病気にかかっていたけれど、動けないわけではないから、毎日ばっちり通っていた。))


だけど、私が何回遅刻をしても、何回欠席をしても、怒られることはなかった。
むしろ、たくさん心配をされたし、たくさん励まされた。
今まで触れたこともなかった、大量の優しさに触れた。

病気って言えるから、という理由はもちろんある。通っていた学校が、親が優しかったからでもある。
「きついから行きたくない」って言うだけじゃ、自分的にも、周囲の大人的にも、納得できないと思うかもしれない。
だけど、苦しいんでしょう?

一度の遅刻や欠席で、人生が決まる人なんて、ほとんどいないだろう。
ましてや、「遅刻欠席はしちゃいけない!」と思っている真面目な人は、何十回遅刻をしても、何一つ、問題は無いと思う。

私はいったい、何を怖がっていたんだろう。

街を見れば、辛そうに学校へ向かう子ども、必死に走る学生、今日だけ車で送られている小学生、運転をする親御さん。
ネットを見れば、無理やり連れていかれる人、休みたいけど勇気が出ない人、学校が嫌だから死にたい人。
たくさんの悩んでいる人がいる。あの頃の私にそっくりだ。


もちろん、学校に通っている以上、「遅刻常習犯、休んで遊びまくるぜ」という態度は、とってはいけないだろう。

けれど、苦しいのに、普段は行っているのに、たった一回の遅刻に、ずる休みに、何を目くじらを立てる必要があるのだろう。
(それに、小中学校は、遅刻欠席の回数で進級ができない、なんてこともないんだから!実質、休み放題なはずなんです。)


心でも体でも、自分のどこかが悲鳴をあげているなら、自分にために、休んであげなくちゃいけない。何回でも、何日でも。
もし周りが理解してくれないとしても、自分だけでも、その必要を理解しておかなくちゃいけない。

学校はただ「勉強を教わる場所」で、「人生の中心軸」ではない。


通勤ラッシュが終わった街は、広くて、静かで、結構楽しかったりする。
みんなが授業を受けているときの廊下は、あまりにも静かで、笑い出しそうになる。


そういえば、私が今の病気にかかったのも、夏だった。
夏は何か、大切なことに気づかせてくれる存在なのかもしれない。

#あの夏に乾杯
#8月31日の夜に

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