カルトとは何か。

神崎ゆきさんのTwitterのマシュマロに『フェミニズムは新興宗教ではないか』と言う投稿があり、彼女らしく丁寧に答えられていました。

私は現在のSNSのフェミニズムは原理主義的だと考えていますが、カルトであるとは考えてません。

カルト(cult)はそもそも儀礼・祭祀が語源ですが、現在は悪しき反社会集団を世俗的に意味することばとなっています。
フェミニズムそのものは反社会思想では当然ありません。
なので、この誤用は避けるべきだと思います。(私がSNSフェミニズムを原理主義的と捉えているのは、自身の思想を絶対的な善であると盲信して、考えが違う他者を悪・異端と直観的に考えなしに認定する人が多すぎるからです)

ただ、宗教とフェミニズムの流れについては、一部は似通った心理プロセスがあるように思います。
それは何らかの不安や苦痛、悲嘆に対して、思考や感情が強化されるという特徴があるからです。

精神科医のE.K.Rossは死別に伴う悲嘆反応を5段階に分類し、以下のように定義しています。

1. 否認
2. 怒り
3. 取引
4. 抑うつ
5. 受容

このプロセスを経て、人は自分の悲嘆を受容し、乗り越えていくと言われます。
本来は死別で用いられていますが、様々な悲嘆場面で用いることができ、心理学的にも防衛機制と適応機制と関連づけられてコーピングの理解に用いられます。

否認は体験そのものを認めようとしないことを言います。事実を認められず、それが間違いである理由づけを探します。

怒りは自分に降りかかった出来事が不当だと感じ、周囲や社会に怒りや敵意をぶつけます。当然、ぶつけられた相手からは無視されたり、反感を買うので、孤立することも多い時期です。

取引は不安や恐怖から逃れるために何かにすがろうとする時期です。宗教や代替治療、寄付などを行い、依存が強まります。

抑うつは悲嘆を現実のものと認めざるを得なくなり、喪失感や絶望に苛まれる時期です。

受容は自分の身に降りかかった出来事を諦めて受け入れ、心に安らぎを得る段階です。


宗教やフェミニズムは怒りと取引の時期にある当事者と非常に親和性が高い特徴があります。
怒りを周囲にぶつけ続けることは、大勢の人達に苦痛や怒りを生み出し、周囲からたくさんの人がいなくなる喪失体験を起こします。
そんな時に自分と同じように悩み、苦しんだ経験がある人から共感され、受け入れられることは、一時的に心の安定に繋がります。その結果、取引として、宗教やフェミニズム団体に傾倒していくようになります。

ただし、同じような状況の人々が集まり続ける場所なので、常に怒りや不安が強い人達が訪れ続けます。怒りを社会にぶつけたり、勧誘などのトラブルが生じることを繰り返すと集団全体が他の人達から避けられるようになります。
こうなると、集団から離れられなくなります。個人でも社会から孤立した経緯があるため、離れたら自分に味方はいなくなると感じるようになるからです。

怒りが外に向く集団に居続けると、怒りを次のプロセスに繋げることは難しくなります。このため、受容に至ることはなく、延々と怒りと取引を行ったり来たりして、所属集団に依存する環境が出来上がります。


孤独や不安に直面すると何かにすがらずにはいられない人間の性が集団形成に大きく影響を与えるといった点は共通する心理プロセスと言えるのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?