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用心棒はどこにいる?

黒澤明監督の「用心棒」(1961年)は、史上最大の娯楽映画のひとつだ。私は岡本喜八監督の「独立愚連隊西へ」と、この「用心棒」が日本娯楽映画の最高峰だと思っている(個人の感想です

さて、そのせいで、いままでに何十回となく「用心棒」を見てきたのだが、そのたびに気になるのが「これ、いつ、どこの話なんだろう?」ってことだ。

そこで、チョイとばかり、映画のディティールから、場所と時代を特定してみようってわけだ。

あ、もちろん、知ってますよ、この映画は「時代考証にこだわらずに面白くしよう」って、黒澤監督が考えていたことは。だから映画の細部から場所や時代を特定するのはナンセンスなんですけどね。

でも、その無駄が楽しいんだよ

さて、場所の特定は、そうむずかしくない。もちろん、設定にあるような「どこかの宿場町」だけではつまらない。

まずは、主人公の三十郎(三船敏郎)が名乗るシーンに大きな手掛かりが。

「名前? 桑畑三十郎だ……もうじき四十郎だがな」

屋敷の外に見える桑畑を見てテキトーな名前を名乗るシーンだが、ここで一面に広がる「桑畑」 そういえば宿場の一方の大商人が「生糸問屋」でもあった。

そう、ここから、養蚕業が盛んだった上州、今の群馬県あたりであることは間違いないだろう。世界遺産で話題になった富岡製糸場をはじめ明治政府が殖産の旗頭として群馬県をプッシュしたが、じつは上州の養蚕業には江戸幕府も力を入れていた。なのでこの地には、譜代大名が配されていたほどだ。

その時代の絹産業の中心は桐生あたりだったというが、物語の舞台になるのは、そうした中心地ではなさそうだ。街道沿いの小さな宿場町なんだが、主要街道である中山道の宿場町でもないだろう。脇街道である三国街道、沼田街道、信州街道、下仁田街道あたり沿いではないか。

「峠を越えて逃げる」っていうセリフがあったから、山越えをする信州街道沿いあたりが本命かな。宿場自体は山の中ではないので、平地である現在の倉渕村のあたりか。高崎市の郊外だね。

いちおう、信州街道の神山、室田、三ノ倉の宿あたりと推測しておこう。

これ以上の精査はしんどいので、今度は時代。こっちは容易だ。

江戸時代であることは間違いない。そりゃそうか。

物語の重要な要素として「八州廻り」が登場する。幕府が関東の諸国を取り締まる警察組織として作ったものだ。

正式名称は「関東取締出役」 文化2年(1805年)に、勘定奉行の配下に設置された。つまり時代はこれ以降で、幕府が大政奉還して役職が廃される明治維新(1868年)までの間であることは間違いない。

ここでもう一つの手がかりが、悪役である新田の卯之助(仲代達矢)が愛用するリボルバー拳銃だ。

私は長い間これがコルト社のピースメーカーだと思っていたが、識者によるとこれは間違いで、実際にはスミス&ウェッソン(S&W)社のモデル2という拳銃であるらしい。

西部劇ではおなじみの拳銃だが、これが幕末の日本に入っていたかは、はなはだ怪しい。かの坂本龍馬が愛用していたという拳銃なのだが、そんなに大量に輸入されていたわけではないだろうからね。ただ、S&Wモデル2の発売は1861年の南北戦争直前なので、時代的には、ギリギリだが可能性はある。

つまり、「用心棒」の物語の時期は、1861年から1868年までの1860年代の7年間のうちのどこか、ということになる。おお、ずいぶん絞りこめるじゃないか。

ただこれだと、ちょっと辻褄が合わなくなることがあるんだよね。

それは「用心棒」の翌年に作られた続編「椿三十郎」のことだ。これは某藩の藩政改革にからむお家騒動での三十郎の活躍を描くのだが、「用心棒」の時代が幕末ギリギリくらいだとすると、そんな時期に「お家騒動」でもないだろうということになる。実際、映画のなかでも幕末っぽい話は一切出てこない。これは困った。

なに、それほど困ることでもない。

「椿三十郎」では「用心棒」のことはまったく触れられないのだから、きっと「用心棒」よりも時間的に前の話なんだと思えばいいんだ。つまり「椿三十郎」は「用心棒」の続編(シークエル)ではなく、前日譚(プリクエル)なんだな。そうに違いない。

余談だが、「三十郎……もうじき四十郎だがな」というセリフはものすごくカッコイイ。私の憧れのカッコよさだ。なので、いつかどこかで真似してやろうと思っていたのだが、そんな機会がないまま、オレもうすぐ「六十郎」になっちまうよ(笑)

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