土木映画は男のロマン

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「土木映画」って、土曜日と木曜日にしか上映しない映画ではない。建設工事やそれに伴うドラマを描いた、硬派の映画である。

このジャンルで圧倒的に多いのは、ドキュメンタリー映画なのだが、これは私の専門外なので、よく知らない。昔、学校の映画教室などでずいぶん見たもんだし、NHKの「プロジェクトX」とかも、このジャンルの親せきみたいなもんで、けっこう好きだったりするが。

「土木映画」の世界的名作と言えば、「戦場にかける橋」が挙げられよう。アカデミー賞を受賞しているし、戦争の狂気を描いた映画ってことで世間的には「戦争映画」の名作ってことになってるが、戦闘シーンはほとんどない。

この映画、何をやるかというと、ひたすらジャングル奥地の難所・クワイ河に鉄道橋を架けるだけなのだ。まずは日本軍が施工して失敗する。そこで労働力を補うために連れてこられた英軍捕虜たちが建設の主導権を握り、見事に橋を完成させてしまう。映画の大半は、この橋梁建設現場で展開し、アレック・ギネスが演じる英軍指揮官ニコルスン大佐は戦時中であることも忘れて「プロジェクトX」に出てくるプロジェクトリーダーみたいになってしまう。

「戦争は何も残さないが、われわれの橋はずっと残る」というニコルスン大佐のセリフは泣かせるし、ここが映画の主要テーマ。それを否定し、あくまで戦争の勝利のために軍事拠点にもなるこの橋を破壊しようとする米軍将校(ウィリアム・ホールデン)との対比がドラマを生む。少々の史実に大幅なフィクションを加えたストーリーなのだが、現実に日本軍が泰麺鉄道のクワイ河にかけた橋は、戦後もずっと使われていたというから、この対立はニコルスン大佐の勝ちってことなんだろうな。

で、そんなこととは関係なく、私はクワイ河の橋を建設する様子に大いに興味をひかれたものだ。映画では木製の支柱4本一組で橋脚2組を作り、そこへ橋桁を渡す工法で建設されていたが、あれはどの程度理にかなった工法なのだろうか。出来上がった橋のデザインは、そうした建築学的な事情とは関係なく映画用にデザインされたモノのようにも見えるが。映画のなかでは、当初日本軍の設計した橋は施工困難で失敗し、英軍の優れた設計によって橋が完成する。

こんなことをひょいと思い出したのも、新国立競技場をめぐる例の大騒動のせいだ。デザイン優先で施工を考えずに大失態を招いた人々が、映画の前の方で建設に失敗し、早川雪洲演じる日本軍司令官に一喝され、完成予想の立派なミニチュア模型をもってスゴスゴ引き下がる工兵隊長ドノを思い出させたんだよね(笑) いや笑い事じゃないんだが(笑)

困難な建設に挑むと言えば、前にも書いたビル建設をめぐる土建屋の内輪揉め映画「超高層プロフェッショナル」とか、電力会社とゼネコンの宣伝映画になりそうでならずにパワフルなスペクタクル映画として完成した「黒部の太陽」などが印象に残る。そういえば、男の子映画の最高傑作「大脱走」も、その大半はトンネル建設映画だし。やはり何かを作り上げようとする過程ってのは、男の子向けドラマの基本なのかね。

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