戦場はエンタテインメントだ

『戦場のコックたち』(深緑野分・著)というめっぽう面白い小説を読んだ。

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に送られた炊事兵を主人公にした連作短編ミステリ。先日の直木賞候補になっていた作品で、何を今さらと思われるかたもいらっしゃるかと思うが、未読の方はぜひともご一読を。

私の面白レーダー(そんなモノが備わってるかどうかはともかく)にガンガン引っかかったのは、この作品の背景が私にとって、たいへんおなじみな世界だったせいだ。

とはいっても、べつに私に従軍経験があるわけでは、もちろんない。

『戦場のコックたち』は、戦場が主舞台なので当然だが、兵器、特にドイツ軍戦車がドカドカ出てくるからだ。私は1970年代くらいに、田宮模型の「35分の1」で育ったクチなので、「パンター」とか「ティーガー」とか「突撃砲」とか「自走砲」とか「88ミリ砲」とか出てくると、そのたびに「出た出た」と思うのだ。何のことかわからない人は、自分で調べてね。

最近、某アニメの影響なのか、ネットや書店で、ドイツ戦車の資料を見かけることがやたらに多くなって、ちょっとばかり興味が再燃していたところだったから、面白かったのも当然といえば当然か。

いや、『戦場のコックたち』は、けっしてミリタリーオタク向けではないですが。

そもそも、幼少のころから、父親が好きだったテレビの「コンバット!」とか見ていたし、小学生のころには「GIジョー」が発売されたりと、私には、わりとミリオタ的素養が豊富なのかもしれない。同世代(男子限定)に、そういう人間はけっこう多いだろう。私はその後そんなに深入りしなかったが、深入りしてしまった友人知人はけっこうたくさんいる。

ここらでよく誤解されるのだが、ハッキリさせておこう。こうしたミリオタ的嗜好というのは、戦争そのものとはまったく無関係なのだ。右翼でも戦争賛成でもないからね。ほとんどの場合は、単なるメカマニアなんだからね。

さてさて、『戦場のコックたち』に話を戻せば、私に、もうひとつ乗りやすい理由があったのは、物語の背景になる戦場が、これまたけっこうなじみの場所だということだ。

本の中核を成す戦場のシーンは、それぞれ、ノルマンディー上陸、マーケット・ガーデン作戦、アルデンヌの戦いが舞台にされている。

同年代のかたはピンとくるでしょ。

いずれも、映画史を代表する超大作戦争映画の舞台になっているのだ。

  ノルマンディー上陸 = 「史上最大の作戦」

  マーケット・ガーデン作戦 = 「遠すぎた橋」

  アルデンヌの戦い = 「バルジ大作戦」

いずれも、映画を何度も見て、原作本や関係する戦記ノンフィクションまで読み漁った「おなじみの」戦場だ。ラストのほうでは、ちょっと「大脱走」を思わせるエピソードもあった。

だから、読みながら、まざまざと映画のシーンが思い浮かび、映画的な臨場感あふれるシーンがすぐに脳裏に展開する。ノリがいいわけだ。主役のキッドら炊事兵たちや、サイドに登場する兵士や将校たちはすぐに、スティーヴ・マックイーンとかジョン・ウェインとかヘンリー・フォンダとかショーン・コネリーとかロバート・ライアンとかテリー・サバラスとかロバート・ミッチャムとかジョージ・シーガルとかジェームス・ガーナーとかヴィック・モローとかが連想され、たちまち脳内映画が上映される。なんとも楽しいじゃないか。

いうまでもなく、実際の戦争なんてのはないほうがいいし、人類最大の愚行であるのは間違いないのだが、それとこれとは話がまったく別。

こと映画(小説でも)に関していえば、「戦争」というのは最大の「エンタテインメント」のひとつなのだ。

近年は、第二次世界大戦が遠くなったせいもあり、また皆様の意識が高くなったせいか、昔のような「景気のいい戦争映画」はすっかり消えてしまった感がある。たまにあっても「戦争の悲劇」とか「戦争の悲惨さ」をどこかで描いてないと許されない感がある。

この手の映画で最後の超大作であった「遠すぎた橋」も、ちょっとその色が強すぎて少々ガッカリだった。それでもこの映画はまだ戦争の高揚感みたいなシーンもあったが。

ずっとあとになって、スティーヴン・スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」を見たときにも、この不満を大いに感じた。

そして思ったのだが、スピルバーグ監督、ほんとは「景気のいい戦争映画」を作りたかったんじゃないか? 

考えてみれば、彼はわれわれと同年代に近い。やはり「コンバット!」や「GIジョー」や「史上最大の作戦」や「バルジ大作戦」で育ったんじゃないのかな。ほんとうは「景気のいい戦争映画」、ドンパチ主体のバンザイ映画を作りたいんだよな、スピルバーグくん。

しつこいようだが、実際の戦争と「景気のいい戦争映画」はまるで無関係。戦争映画を見たからといって戦争をやりたくなるわけではないし、やりたくて起こせるものでもないだろ、戦争は。それとも何かい、SF映画を見たらだれでも宇宙旅行が出来るとでも?

もういいかげんでそんな自粛みたいなことはやめにして、スピルバーグくんにはぜひとも、景気のいい超大作ドンパチ戦争映画を作ってもらいたいものだ。もう今では、いろいろな意味で不可能なのかもしれないが。

さて、最後にまた『戦場のコックたち』に戻るが、じつはこの本を読みながら、さかんに思い出されたモノがもう一つあった。

名作「西部戦線異状なし」だ。

こちらは第一次世界大戦が舞台だし、けっして「景気のいい戦争映画」ではないのだが、私は原作小説も好きで、学生時代には愛読していた。

その中の1エピソードが私の脳裏に焼きついている。

それは激しい戦闘で部隊の大部分を失った主人公たちがようやく帰還する場面。

たどりついた後方の野営地では、炊事兵(戦場のコックだね)が食事の用意をしている。ところが料理は部隊の人数分がきちんと用意されているのに、その部隊は半数以上の兵を失っている。じゃあ通常量の二倍喰えるはずだと喜ぶ兵隊たちに対し、いや軍の決まりがとか言ってなかなか応じない炊事兵。そこへやってきた部隊長が、いい匂いだ、何の料理だ、と尋ねる。炊事兵が答えていわく。

「豆をトマトで煮こんで、豚の背脂を入れました」

おお、美味そう。ぜひ食ってみたいぞ。

部隊長もそう思ったのか、全部配っちまえと命令し、主人公たちはひさびさの満腹感にありつけるのだ。

『西部戦線異状なし』は世界文学史に残る名作だが、私はこの場面が最高に好きだった。『戦場のコックたち』は、この場面以来の「読む満腹感」を与えてくれたのだった。

ところで、読みながら思いついたんだが、これハリウッドに持っていったら、最高に面白い戦争映画になるんじゃないか? 誰かスピルバーグのところにでも、売りこんでみたらどうかな。アイデア料は負けておいてあげるよ(笑)

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