洛中ぶらり
一泊二日で京都に行ってきました。
小学生時代に関西在住だったのでしょっちゅう訪れていた京都ですが、それももう50年くらい前。その後は関東に引っ越し、なぜか中学高校と修学旅行は全部京都だったのですが、それ以外は30年ほど前にチラッと行っただけなので、以前はバッチリだったはずの土地勘もやや怪しくなっていると思ってました。
しかしさすがは「千年の都」 変わってないですねえ。もともと碁盤目状の道路が整備されていることもあってわかりやすい京都の街ですが、建物にあまり変化がないせいか、道に迷う心配はありませんでした。
そんな京都で、いちばん変化が凄かったのは、京都駅。
新幹線で通過することは何度もありましたが、下車したのはたぶん1995年か96年ごろ以来。この新駅舎は1997年だそうだから、そりゃあ知らんわな。
変化してなかったのはこちらの京都タワー。下のビルもふくめて、外観は50年前とほとんど変わっていません。もっとも、そのころは下層階はたしか京都タワーデパートで、地下には食堂もありました。そこで生まれて初めてにしんそばを食べたっけ。いまはこじゃれたショッピングモールになってます。
今回は一泊二日だったのでそんなにあちこちはいけませんでしたが、大人(というよりは老人か・笑)になった目で見ると、子どもの時には気づかなかったものが目につきます。
これは京都御所にあった消火栓。考えてみれば当たり前のことですが、京都御所を管轄しているのは皇宮警察なんですよね。してみると、ここは京都府警にとっては番外地ということなんでしょうか。
二条城ではこんなものが目に入りました。
さすがは京都、三角コーンまで雅なんですねえ。
そういえば洛中の町中で見かけた、関東でもお馴染みのコインパーキングの看板も、京都版はこんな色でした。全国版ではまっ黄色ですもんね。
景観に配慮してるってことですかね。でもノボリまでは配慮してなかったりして(笑)
建仁寺さんでは、なんとも場違いなこんなものが。
祇園・花見小路から境内に入る北門にある信号機。門を入ったところにあるあたり、用途意味不明ですね。
今回もっとも感心したのは、京都市内の公衆トイレの多さ。観光都市だから当たり前でしょうが、どこに行っても小綺麗で整備されたトイレが整っています。季節がらトイレの必要性が高いのですが、ほとんど困りませんでしたね。ありがたいことです。
今回は四条油小路あたりに宿を取ったのですが、その近くにあったのが、こんな石碑。
かの有名な「本能寺の変」があった場所ですね。本能寺そのものは現在は別の場所に移っているんですが、もともとはここにあったらしい。ここで織田信長が最期を迎えたんですね。
ただ本能寺の正確な場所がわかっているわけではないようで、この石碑からやや離れたほうにも、こんなものがありました。
まぁ、だいたいこのあたりだったってことなんでしょう。「敵はこのへんにあり」ってことですね。
で、その本能寺があったらしい場所ですが、現在は消防団があったりします。
来年はアウェイ・京都サンガ戦にあわせて、再訪しましょうかね。
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