見出し画像

帰ってきた男たち

シルヴェスター・スタローンが、「ランボー」シリーズの新作を作るというニュースが流れてきた。

おいおい、まだやるのかよというのが正直なところだが、一方でたぶんまた見るだろうなというのも間違いない。なんだかんだ言っても、このシリーズには同時代感からくる同志愛みたいなのを抱いているもんでね。

それにしても、このシリーズの最初の1作である「ランボー」は1982年の作品だから、もう36年前なのか。ずいぶん昔になったもんだ。

【画像のリンク先はamazon.co.jp】

じつは、この第1作の公開当時、私はあんまり好きではなかった。あのラストがウェットで情けなく感じられたせいだ。じつは先にデイヴィッド・マレルの書いた原作小説原作『一人だけの軍隊』を読んでいたせいもある。ご存知のように、あの小説と映画では、ラストが大きく違うのだ。どう違うかは、原作を読んでいただくしかないが……

もっとも、シリーズの続編になると、小説版もこの第1作とは大きく違っているので、いまさら『一人だけの軍隊』のことを持ち出されても困るんだろうけど(笑)

と、この「ランボー」が大ヒットしたおかげか、その後はアメリカの小説や映画では、「帰還兵もの」が続出し、ひとつのジャンルをなすまでになった。もちろん「ランボー」のおかげなんだろうが、じっさいには「ランボー」以前にも「帰還兵もの」はけっこうあるのだ。

「帰還兵もの」のパターンはだいたい二通りある。

戦地から帰還した元兵士がヒーローとなるものと、悪役になるものだ。

ここで「ディア・ハンター」とか「タクシードライバー」とかいうと思ったでしょう? ああいう映画は私の守備範囲ではないので悪しからず。

ヒーローになるものでは「ローリングサンダー」を挙げておきたい。1977年のこの映画では、ウィリアム・ディヴェイン扮する帰還兵は、精神を病んでいて、せっかく戻った家庭や故郷に受け入れられない。そんな彼は、強盗により家族を失うと、戦地での経験を活かして強盗一味を追い詰め、壮絶に復讐を遂げるのである。

このイラストにもあるように、強盗一味によって片手を失った主人公は、リハビリによって義手を使いこなし、見事なガンさばきを見せる。戦地での部下で、やはり故国に馴染めないことから彼の相棒となるトミー・リー・ジョーンズともども、戦地で培ったプロの戦闘技術を駆使してのアクションは、見応え充分でカッコイイ。

ここでは戦地での後遺症を抱きながらも、彼らの傷は最終的に「武器」に変換されるのだ。国のせいとか社会のせいとかグジグジ言わずに、アクションに昇華するのだ。

うんうん、娯楽映画はこうでなくちゃね

「帰還兵もの」はどうしても、社会派的なスタンスを取りがちなので、もうひとつ爽快感に欠ける暗い映画になりやすい。「ランボー」のラストに私が好感を持てなかったのはそのへんなんだな。

あまたある「帰還兵もの」のなかでも、妙に異色ぶりが印象に残っているのが「地獄の謝肉祭」(1980年)

ベトナムから帰還したその兵士たちは、捕虜収容所で生き残るために、仲間の人肉を口にしていた。帰郷後にその性癖がぶり返した彼らは、肉欲しさに他人を襲い、やがて人肉嗜好が蔓延してゆく

いわばゾンビ映画の一種なのだが、うまく「帰還兵もの」に見せかけることで、妙な印象を残してくれた。いや、荒唐無稽な映画なんだが。

古くは第二次世界大戦の帰還兵が殺人鬼となる「孤独な場所で」(1957年)を挙げておきたい(日本公開はずっとあとの1996年)

もっともこの映画は脚色のせいで「帰還兵もの」とは言いかねるものになっている。ドロシー・B・ヒューズの原作は、もっとはっきりした「帰還兵もの」である。

現在でも、エンタテインメントの世界ではさまざまな「帰還兵もの」が作り続けられている。

これは、第二次世界大戦以降、アメリカという国が、ほぼずっと国外での戦争をやり続けてきたという歴史と無縁ではないわけだが、ここでそんな話題に深入りしないのはいうまでもなし。

真面目な話、そんな背景もあって「帰還兵もの」は、とくにアメリカでは物凄い数が作られているので、いうまでもなく、こんなスペースで俯瞰しきれるものではない。これはあくまで氷山の一角の隅っこだと思っていただきたい。

まあその最新版として、この本をおススメしておいて、今回はおしまい。

映画つれづれ 目次

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?