スコットランドの爺さん

2005年夏のこと。例によってワールドコン(世界SF大会)に参加するために、わが家はスコットランドのグラスゴーを訪れました。

私と妻は1995年にもまったく同じ目的でこの町に来ていたのですが、10年後のこのときは6歳の長男連れ。まあいろいろ珍道中もあったのですが、そんななかのヒトコマ。

今では図々しい高校生に成長した息子ですが、当時はまだまだお子様で、イロイロ変なモノが好きでした。当時好きだったのが、わが家通称「ヘンなおじさん」という店頭ディスプレイ用の仕掛けです。

上向きの送風機に細長い布の筒を取りつけたやつで、風を送ると布筒がヒラヒラしながら立ち上がり、まるで痩せ型の巨人(推定4~5メートル)が踊っているように見えるやつ。そういえば、最近あまり見かけなくなったかな。味の素スタジアムでFC東京のホームゲームのとき、選手入場時に青と赤のやつが出現するくらいかな。

で、グラスゴーの街中をぶらついているときに、なぜか街角にその「ヘンなおじさん」がいたわけです。教会だったか、劇場だったか、そのへんの記憶は曖昧だけど。

で、父子で喜んでその「ヘンなおじさん」を見ていたら、かたわらから話しかけてくる声が(もちろん英語)

振り向くと、スコットランド人とおぼしき、もう見るからに、絵に描いたような「爺さん」がそこに。顔は皺だらけで、足腰もやや曲り気味。たぶん70代以上だったでしょう。

その爺さんが、どうやら「おまえら日本人か?」と訊いているようなのです。「Yes」とこたえてやると、なにやら熱心に語りかけてきます。

私の英語力はたしかにそう大したものではないのですが、それにしてもこの爺さんの言うことが非常にわかりづらい。スコットランドなまりってやつだろうと思うのですが、何度も問い返さないと、なかなか意味が取れません。しかし爺さん、そんなことは厭わずに、何度も繰り返し懇切丁寧に話してくれます。

ようやく聞き取った大意は、こんな感じ(だと思う)

おれたちのクラブに、日本から凄いスーパースターが来てくれた。オレたちは彼を送ってくれた日本に感謝したいんだ。

当時の私は、今と違って、まだサッカー観戦にそう熱心ではありませんでした。それでも、爺さんの言葉を聞いて、ハタと思い当たったんですよ。

そう、ちょうどこのとき、中村俊輔選手がセリエAからスコットランド・プレミアリーグのセルティックに移籍してきたんですね。グラスゴーはセルティックのホームタウン。しかもその前夜、俊輔が試合デビューしていきなり活躍したんです。そういえば町で見かけた地元紙の一面に、緑の白のストライプのユニをまとった俊輔が躍動している写真を見たばかりでした。

そりゃあ、地元サポの爺さんが盛り上がるのも無理はないです。ちょうどそのタイミングで見かけた東洋人に、話しかけずにはいられなかったんでしょう。

今ならば、その気持ち、よ~くわかりますとも。

もちろん、今の私だったら間髪をいれず「爺さん、でも日本でイチバンのナカムラは俊輔じゃないぞ。わが町川崎には、ケンゴ・ナカムラというもっとすごいフットボーラ―がいるんだぜ」くらいは話してやるんですが、残念ながらそのころの私はプロレスと相撲が専門で(笑)

でも、ひとしきり語った爺さんはそれで満足したのか、「サンキュー」といって、私と息子と握手を交わすと、ひょうひょうと去って行きました。

爺さん、今でも元気で、セルティックの応援してるかな。

遠い異国の地で、同じ日本人が活躍しているさまを、まさに現地で味わった、貴重な体験でした。その時は、中村俊輔ってスゴいんだなと実感もし、ちょっぴり尊敬もしたわけです。その時は。

まさかその5年後の2010年に、俊輔が横浜Fマリノスに復帰するとは予想もしていませんでした。しかもその時に、わが家が一家をあげて川崎フロンターレのサポになっていようとは、完全に想像外。

というわけで、今ではあの時の尊敬の念もどこへやら、神奈川ダービーでの俊輔は完全に「敵」! 毎回盛大にブーイングを飛ばしているのであります。

来年もやってやるぞ(笑)

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【2022/10/17】 中村俊輔の引退が報じられた。お疲れさまでした。あの爺さんにも知らせてやりたいな。

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