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トニー・ロームを知ってるかい?

あ、知らない?

以前にちょっと書いたけど、「現代の騎士」を標榜するようなハードボイルドな探偵よりも、ちょっと斜に構えてる「ハーフボイルド」な探偵のほうがお気に入りだ。

このハーフボイルドの代表的な探偵が「マイアミの遊び人探偵トニー・ロームだ。

もともとはマーヴィン・アルバートというアメリカの作家が生んだ3作のミステリ小説の主人公で、これが1967年に映画化されてフランク・シナトラがトニー・ロームを演じたことから、ぐっとハーフボイルドっぽくなってしまった。

その映画がこれ。「トニー・ローム/殺しの追跡(Tony Rome)」 なんかパンチの足りない邦題だな。

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元刑事なんだが、今は退職して私立探偵。とはいっても熱心に仕事するタイプではなく、ふだんは博打と酒と女でのんきに人生を過ごしている。その博打で手に入れたっていうクルーザーに住み、依頼があって気が向いたときに半端仕事を「1日100ドル+経費」で引き受ける。もちろん独り者で、決まった彼女もなし。いいなぁ、人生気楽で。友人としては警察時代からの友であるサンティニ警部補(演じるのはシナトラ一家のリチャード・コンテ)がいる。

警察時代の元・相棒の依頼で、彼が警備員をつとめるホテルで泥酔した大富豪の娘を送り届けることになったトニー。素行の悪い娘に手を焼く大富豪はトニーに娘の身辺調査を依頼するが、同時にその娘自身からも紛失したダイヤモンドの捜索を頼まれる。しぶしぶ着手するが、そのとたんに元・相棒がトニーの事務所で殺され、大富豪の複雑な家族関係にからむ事件に巻き込まれてゆく。

とまあ、いかにもなハードボイルド探偵小説的展開に終始するだけの映画なのだが、そのわりに退屈しない。ショボいアクションもあるんだが、この映画の魅力はそこではない。

1960年代のマイアミといえば、まだまだ古き良き時代。貧富の差はかなりあるが、貧のほうでもそこそこの生活を送れる豊かさが、まだアメリカにあった時代で、みんなわりと楽しく余裕で暮らしている(ように見える) その豊かなアメリカの暮らしぶりは、いまの時代から見るとちょっとうらやましい。

これが、続編の「セメントの女(The Lady in Cement)」になると、その楽しさはいっそう増加する。1968年の作品。

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今度はいきなり海の上。トニー・ロームはどこで手に入れたのか(博打のカタかな)財宝を積んだ沈没船の位置を示す海図を手に入れ、友人とともにクルーズ船を駆って沖合で宝探し。貧乏でも優雅だねぇ。

海底へ潜ったトニーがそこで発見したのは、財宝ではなく、足にセメントの重りをつけた金髪美女の死体だった。あわてて通報するが、死体はそのあとサメに食い荒らされたとかで身元もわからず、けっきょく女の顔を知っているのはトニーだけ。すると、今度は怪しげな大男が行方不明の恋人を探せと迫ってくる。消えた恋人とは、あのセメントの女なのか? 彼女が最後に訪れたパーティを調べるトニーに、主催者の女性富豪や犯罪組織が圧力をかけてくる。

この映画の冒頭は、最高だ。海底にゆらゆらと立ち尽くす金髪美女の死体は、強烈な印象を残す。その周囲に群がってくるサメの群れ。これ「ジョーズ」よりもずっと前なのだが、「ジョーズ」のあの冒頭、最初の犠牲者である「金髪のクリシー」の元ネタじゃないのかと思わされる。

ちなみにこの「セメントの女」を演じたのは誰かというと、クリスティーン・トッド(Christine Todd)という女優さん(らしい) 調べてみたが、IMDBでも他に出演作品は見当たらない。この映画での役は言ってみればタイトルロールなのだが、海底の死体のシーン以外では、あとのほうで似顔絵が出てくるだけで、じつはまったく「出演」していない。そのせいで後が続かなかったんだろうか。そういえば顔もはっきり写らないな。

と、こうして書いてくると、2本ともそう大した映画じゃないように見えるだろう。じつをいうとその通りで、世間的にも評価は高くない。「殺しの追跡」にはジル・セント・ジョンジーナ・ローランズ、「セメントの女」にはラクエル・ウェルチといった人気女優も出ているのだが功を奏せず、興行的にも成功しなかったようだ。

でも、なんか変な魅力があるんだよな、この映画。

その原因のひとつが、いかにも60年代的な音楽の楽しさ。「殺しの追跡」ではシナトラの娘ナンシー・シナトラが歌うお気楽な主題歌があるが、「セメントの女」のメインテーマ曲は、なぜか耳に残る能天気な名曲だ(笑)

けっきょくのところ、私が個人的に気に入っていただけだったわけだ。

ところがどうしたことか、そんな私がこの作品に直接のかかわりを持つことになるのだから、人生は面白い。

先にふれたように、このシリーズには原作小説がある。第1作「Miami Mayhem」が「殺しの追跡」の原作で1960年発表。第2作は1961年でタイトルは映画と同じ(ちなみに原作者のアルバートは脚本に参加している) もう1作、1962年発表の第3作「My Kind of Game」がある(これは映画化されなかった)

さて、私がこの映画をみたのは1970年代の終わりごろなんだが、のちに成長した私は早川書房で編集者となり、けっこうな数の本を手がけることになった。

そうして月日を送った2004年のこと。原作小説『セメントの女』の翻訳刊行を実現することができたのだ。

この前から、それまで映画化されてはいても原作が未翻訳だった作品を連続して出す「ポケミス名画座」なるシリーズを企画・担当していたのだが、そのうちの一作にこの『セメントの女』をネジ込むことに成功したのだ。これは嬉しかったねえ。30年以上ぶりで恩返しできたわけだからね。

いまから思えば、個人の趣味を仕事に持ち込んではいかんのだろうが、まあ出版企画なんて個人的な思い入れがないとできないモノなんだよ。

おまけに、翻訳を依頼した横山啓明さん、解説をお願いした池上冬樹さんのご両名とも、じつはこの映画「セメントの女」が、もともとお好きだったと判明し、編集者としてもあながち的外れじゃなかったなと大いに気を良くしたもんである。

けっこうな年月を送った出版人生活でも、会心の一冊でありました。

ただ、大して売れなかったんだよな、というオチがつくわけなんだが。

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