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史上最強の相撲部屋

今度の日曜日(7月10日)から大相撲名古屋場所が始まるわけですが、専門誌ふくめたマスコミは「いけ! 稀勢の里」状態。まあいいんですけど、やっぱり私的な焦点は「白鵬の連勝記録はどこまで伸びるか?」と「白鵬の38回目の優勝なるか?」

さてその優勝について、先日「大相撲優勝制度物語」で調べていたんですが、こんどは個人ではなく、現在の大相撲の基本になっている「部屋別」の優勝回数を調べてみようと思い立ちました(あんまり見たことないでしょう?)

例によって、ちゃちゃっと集計してみただけですので、間違ってたらゴメン。

その結果は、このようになりました(見づらくてスミマセン)

部屋別優勝回数で、堂々の1位に輝いたのは、九重部屋でした。おお、これけっこうすげえ。

というのは、優勝回数第2位の出羽ノ海部屋、同3位の高砂部屋は、いずれも伝統ある大部屋。昔からある名門です。なのでともに明治・大正の時代(優勝制度の最初期)から優勝者を出し続けています。

それに対して九重部屋は昭和42年(1967年)に元横綱・千代の山が興した、新興勢力。部屋の歴史の長さがぜんぜん違うのです。

にもかかわらず、個人の優勝回数で第3位の千代の富士(31回)をはじめ、現解説者の北の富士(10回)、現理事長の北勝海(8回)それに名大関の千代大海(3回)の4人で52回もの優勝を積み上げたんですから、立派です。

おっと、お気づきのかたもあるでしょうが、じつはこの表は完璧なものではないです。というのも、相撲部屋は名称が同じでも、きちんと継承されているとは限らないし、途中で名称を変えている例もたくさんありますから。たとえば、現在の二所ノ関部屋と、この表にある二所ノ関部屋(優勝42回)が同じ部屋なのかどうかは議論の分かれるところ(現師匠の元・若嶋津は二所ノ関部屋に所属していなかった)だし、白鵬の宮城野部屋と大正時代の横綱・鳳(優勝2回)の所属した宮城野部屋を合算してしまっていいのか(途中断絶がある)とかです。また、たとえば表にある「双葉山道場」は「時津風部屋」に合計すべきかとか(双葉山が現役中に興した道場を引退後に部屋に改めた)

そのへんはサラッと流しましょう。というのも、大勢に影響はないからです。

九重部屋にトップを譲っているとはいえ、伝統ある大部屋である出羽ノ海、高砂の両部屋はいずれも二桁人数の優勝者を輩出しているのですから、これはやはり大したものです。出羽ノ海部屋は明治の大横綱・常陸山から、高砂部屋は前回ご紹介した初代優勝者・高見山以来、営々と積み重ねてきたのですからね。

では、両部屋のウィナーをご紹介してみましょう。

出羽ノ海部屋の15人は、常陸山、両国、大錦、栃木山、常ノ花、常陸岩、山錦、武蔵山、綾桜、出羽湊、安藝ノ海、増位山、千代ノ山、佐田の山、三重ノ海。名だたる名力士ぞろいですが、なぜか二桁優勝回数を記録した力士がいません。

高砂部屋の12人は、高見山、男女ノ川、前田山、東冨士、朝汐、富士錦、高見山、朝潮、小錦、水戸泉、朝青龍(25回)。同じ四股名の先輩後輩がいたりしてややこしいですね。

ただ、気になるのは、この両部屋とも近年は、ずいぶん長く優勝から見放されていることです。出羽ノ海部屋は昭和55年(1980年)1月場所の横綱・三重ノ海以来、もう36年間も優勝なし。高砂部屋は問題児横綱の朝青龍がいましたからまだマシですが、それでも平成22年(2010年)1月場所の朝青龍以来ご無沙汰です。そういえば、九重部屋も平成15年(2003年)の千代大海を最後に優勝からは遠ざかっていますね。

それはそうでしょう、最近は白鵬を擁する宮城野部屋と日馬富士が所属する伊勢ケ濱部屋以外の相撲部屋は、優勝回数を積めていないんですから。

ちなみに、優勝回数上位十傑の相撲部屋(九重、出羽海、高砂、二所ノ関、二子山、宮城野、花籠、三保ヶ関、立浪、友綱)の合計優勝回数は、なんと354回。優勝そのものの回数が474回ですから、上位十傑の占有率はじつに74.7%にのぼります。大相撲の優勝というのは、寡占状態。公正取引委員会に訴えられそうです。

こうしてみると、幕内最高優勝の稀少価値の高さがよくわかります。弟子から優勝者を出すのは、親方となって部屋を持つ者の最高名誉といってもいいでしょう。

さて名古屋場所。またしても宮城野部屋が凱歌をあげるのか、あるいは稀勢の里が田子の浦部屋に初の賜杯をもたらすのか、あるいは他の親方が感激に涙するのでしょうか?

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