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これがシネラマだそうだ

最近の映画ファンは、もう「シネラマ」という言葉を知らないんだって。

そりゃそうだろう、東京でシネラマを上映していたテアトル東京が閉館したのは1981年、もう30年以上も前のことだ(大阪の上映館だったOS劇場は1991年に閉館)

と、ここで私もずっと誤解していたんだが、そもそも「シネラマ」とは、アメリカのシネラマ社が開発したワイドスクリーンによる撮影・上映システムのこと。私は、単にデカい横長のスクリーンに映写することをシネラマっていうんだと思ってた。ちゃんとパテントがあって、限られた映画にしか使われなかったシステムなんだ。

映画の「シネマ」と「パノラマ」を合成した語で、1952年の「これがシネラマだ」(THIS IS CINERAMA)が、その最初の作品。

これは世界で17館しか上映館がなく、日本では1955年になってから、東京の帝国劇場と大阪のOS劇場のみの独占上映だったとか。

ということで、映画の上映というよりは、コンサートなどのイベントに近い感覚だったそうで、当時リアルタイムでこの大作を鑑賞した私の両親の感想は「見世物だった」 ん? 1955年って両親の結婚前だよな。デートだったのか(笑)

このほかにも、ワイドスクリーンへ投射してパノラマ的に見せる方式はいくつかあったのだが、3本のフィルムを同時に使う大仕掛けはシネラマ方式だけ。こうしたシステムの中では群を抜いて大型だったらしく、そのせいでワイドスクリーンの代名詞みたいになり、私のような誤解を生んだんだろう。

シネラマ方式の映画は、まずは6本が製作されている。タイトルからわかるように、イベント的な内容の、いってしまえば観光映画だが、いずれも2時間級で途中休憩つきの堂々たる大作だ。

 「これがシネラマだ」(This Is Cinerama)(1952) 

 「シネラマ・ホリデー」(Cinerama Holiday)(1955)

 「世界の七不思議」(Seven Wonders of the World)(1956) 

 「世界の楽園」(Search for Paradise)(1957)

 「大西洋二万哩」(Windjammer)(1958)

 「南海の冒険」(South Seas Adventure)(1958)

さすがにこのへんは私は知らない。

このシネラマ方式は、3本のフィルムで撮影し、映写機を3台並べてワイドスクリーンに投射するという、無駄に豪華な方式だった。

その後、3本のフィルムを一カ所から投射する方式に改良され、スーパーシネラマ方式となり、これを劇映画に取り入れた大作映画が製作されるようになる。

その第1号が「西部開拓史」(How the West Was Won)(1963)で、MGMとシネラマ社が共同製作した。豪華なオールスターキャストで西部開拓の歴史を描いた超大作。監督も、ヘンリー・ハサウェイ、ジョン・フォード、ジョージ・マーシャルの3人がかりと豪華版。

私は最初、テレビ放送で見た(初放送では、2週にわたる放送だった)ので、当然シネラマでは味わっていないのだが、それでも図体のデカい映画感はたっぷり感じられた。

その後のシネラマ映画でもしばしば起きることだが、演出が明らかにシネラマに引っ張られる現象が、この映画で早くもみられている。移動する一人称カメラで延々と景色を見せるあれだ。たしか「西部開拓史」では、イカダでの激流下りの部分などがそうだったような記憶がある。

と、「西部開拓史」が最初のシネラマ劇映画だと長い間思っていたのだが(テレビ解説の水野晴郎氏もそう言っていたと思う)じつはこれより先に「不思議な世界の物語」(The Wonderful World of the Brothers Grimm)(1962)という作品がアメリカでは先行して公開されていた。ああ、日本公開は「西部開拓史」のほうが早かったんだ。そういうことか。

「西部開拓史」は見世物映画なだけではなく、れっきとした西部劇映画だった。シネラマでない方式で見ても、充分楽しめる(ちょっと冗長だけど)映画ではないだろうか。

その後、それまで3本のフィルムでの投射だったシステムをフィルム1本での投射に改良した方式が開発されてぐっとあつかいやすくなり、15本の劇映画が製作された。

その1本目が「おかしなおかしなおかしな世界」(It's a Mad Mad Mad Mad World)(1963) 当時人気のコメディアンを集結させたドタバタで、ダイナミックなカーアクションもある、シネラマでの初コメディ。メインタイトルバックは、名手ソール・バスの手になるアニメーションだが、これがシネラマの初アニメだったとか。

このほかにも、「ビックトレイル」(The Hallelujah Trail)(1965) 、「バルジ大作戦」(Battle of the Bulge)(1965)、「グラン・プリ」 (Grand Prix)(1966)、「北極の基地/潜航大作戦」(Ice Station Zebra)(1968) 、「マッケンナの黄金」(Makenna's Gold)(1969)などなど、ジャンルも多様になり、私好みの映画がけっこうあったりする。

なかでも知名度いちばんなのが、不朽の名作「2001年宇宙の旅」(2001:S Space Odyssey)(1968) 

このSF大作は、私が映画を見はじめたころには、映画館で見られない映画だった。MGMの日本支社が閉鎖されていたせいだ。もちろん当時はまだビデオすらもなく、要するに見たいけど見られない映画の筆頭格。

その後に、映画情報誌「ぴあ」のリバイバル希望アンケートで1位になったりしたのを受けて、めでたくリバイバル上映され、私もテアトル東京で見ることができた。圧倒された記憶があるんだが、考えてみたら私がちゃんとシネラマ映画をシネラマ方式で見たのは、これくらいなんじゃなかろうか。

「バルジ大作戦」とか「マッケンナの黄金」とかは浅草の東京クラブで見たはずだが、あの汚い老朽映画館に、シネラマ上映設備があったんだろうか? 謎だ。

もっとも、シネラマ上映館のテアトル東京も、シネラマ映画専用というわけにはいかないので、普通の方式の映画もでっかいスクリーンで上映していた。だから私はここで見た映画はなんか全部シネラマ方式だったように誤解していたわけだ。

だいたいこの1970年代初頭へんまでで、シネラマの歴史は終了している。最後のシネラマ作品は「ソング・オブ・ノルウェー」(Song of Norway)(1970)らしい。余りにも撮影や上映設備やらに金のかかる方式で、採算がとりにくくなってきたのだろう。

映画というのは、リュミエール兄弟の昔から、そもそもは「見世物」

そういう意味では、映画の見世物性を前面に押し出したシネラマというのは、ある意味もっとも映画らしいシステムなのかもしれない。

もっとも、私はシネラマそのものにそんなにインパクトは受けていない。映画を見はじめたころには、もうその歴史が終わりかけていたこともあるし、映画を見はじめる前に、1970年の大阪万博で、もっと途方もない(しかし実用化されなかった)上映方式を散々見せられていたせいもあるだろう。

ただ、いまやネット配信で映画を見られるようになった昨今、映画館への集客のためのイベント要素として、こうしたバカバカしいまでの見世物性というのは、かえって時代に求められるものではないだろうか。

お金かかっちゃうけどね。

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