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#27. 『愛にできることはまだあるかい』 (English Version) 和訳


『天気の子』の劇中歌『愛にできることはまだあるかい』の、本人による英語カバー(Is There Still Anything That Love Can Do?)がある。

直接確認していないので不確かだが、このサイトによれば、歌詞の英訳は、以前『トリセツ』のアンサーソングを英語で歌うアメリカ人として紹介した Matt Cab が担当したようだ。

邦楽の英語カバーといえば、馴染みの曲が他の言語で歌われるという新鮮さだけで十分魅力的ではあるのだが、それと同時に見逃せないのは、「日本語の歌詞が英語になるとどのように表現されるのか」ということだ。

日本語と英語は一対一では対応しない。日本語で楽に言えることでも、英語にはどうも訳せない例はたくさんあるし、似たメッセージを伝えられても、日本語で言うのとは違う言い方で表現しなくてはならないことが、実によくある。

まして歌には、元々のメロディに歌詞が合わなければならないという、たいへん大きな制約がある。日本語では何小節もかけて使う表現も、英語にすると 1 語にしかならないようなこともあるので、同じ小節数の中でも、英語での方がもっといろいろ言えてしまう

だから日本語の曲が英語でカバーされたときには、「歌詞が足されたために生じた変化」が必ずどこかに現れる。

『愛にできることはまだあるかい』は、もともと口数の少ない曲で、抽象的で曖昧な部分もたくさん残されていた歌詞。それが英語になったことによりどのような変化があったのか、そういったことに注目していざ聴いてみると、いろいろと面白い発見がある。



ということで今回は、一度英語に訳された曲を再度日本語に翻訳することで、オリジナルの歌詞がどのように変わっているのかを、わかるような形にした。

(*訳の日本語は、原曲のものに沿うようにしつつ、なるべく英語で表現されていることは取りこぼさぬよう配慮した。原曲の歌詞に馴染みある人は違和感を覚えるかもしれないが、英語バージョンを聴きつつ読めば、自然に流れる日本語訳にしたつもりなので、そのような心構えで見ていただけると幸いである)


■ 歌詞と和訳


Born with nothing in my hands
(なにも持たずに生まれて)
I stumble upon this place
(ここに行きついた僕)
Falling through a crack in time
(時の狭間に転げ落ちて)
I was writhing in pain
(のたうち回ってた)
When those who make it in this age
(この時代を切り抜けられるのは)
Are only those who learn how to take
(勝者だけなんて、そんなときに)
And everyone is giving up
(みんなが諦めかけるなか)
Where do we all take a breath?
(僕らはどこで息を吸う?)

Governors and gods alike
(支配者も神もそろって)
Trying to turn the other cheek
(そっぽを向いているけれど)
But even if you look away
(いくら目を逸らしたって)
The truth is always facing you
(現実はいつも立ちはだかる)
Courage and the strength of hope
(勇気や希望の強さ)
The magical bond we share
(魔法のような絆も)
We grow up only to forget
(大人になればみんな忘れて)
How we ever use them here?
(いまは使い方すらわからない)

But same as you were on that day
(それでもあの日と同じように)
I see you still standing there
(君はそこにまだ立っている)
Glowing in your innocence
(無垢な輝きに満ちて)
You were always standing there
(君はいつでもそこに立っていた)
When the world turns its back on you
(世界に背を向けられてもなお)
You find a way to stand and fight
(立ち向かうすべを見つけて)
Ready to face it all
(すべてに向き合おうとする君が)
I see you here shining bright
(僕には輝いて見えるんだ)

I need to know
i
f there's still anything that love can do?
(愛にできることはまだあるかい?)
I need to know
i
f there's still anything that I can do?
(僕にできることはまだあるかい?)

You are the one who found my courage and I knew
(君が見つけてくれた勇気だから)
I want to pay it back and spend it all on you
(君のために使って、お返しがしたいんだ)
You gave me love we share
(君がくれて分け合った愛)
It's all because of you
(すべて君のおかげだから)
You are the reason
(君こそが理由だから)
Let me share this love with you
(この愛は君と分かち合いたいんだ)

I need to know
if there's still anything that love can do?

(愛にできることはまだあるかい?)
I need to know
if there's still anything that I can do?

(僕にできることはまだあるかい?)

What if our destiny
(もしも僕らの運命[サダメ]が)
Was just a roll of the dice
(サイコロの出た目で決まるなら?)
Or if it's up to the Gods
(はたまた、神々の)
And if they feel like playing nice
(気まぐれで決まるものなら?)
A mission that we didn't choose
(望んでもない使命だろうか)
Like karma that we can't remove
(まるで消せない因縁のような)
Or maybe it's a distant wish?
(もしくは遥かな願いだろうか)
Something that we can't refuse
(拒むことのできないような)

Prayers that are never heard
(果たせぬ願いと)
Reunions that never occur
(叶わぬ再会と)
Arguments that never clear
(解けぬ誤解と)
Hate that doesn't disappear
(消えることのない憎悪と)
I hear the voices that forgive
(許し合う声が聞こえる)
I see them standing hand in hand
(手を取り合っているのが見える)
But with its arm, open wide
(その大きく開いた腕で)
The earth embraces all again
(この星はすべてを抱えている)

I need to know
if there's still anything that love can do?

(愛にできることはまだあるかい?)
I need to know
if there's still anything that I can do?

(僕にできることはまだあるかい?)

You are the one who found my courage and I knew
(君が見つけてくれた勇気だから)
I want to pay it back and spend it all on you
(君のために使って、お返しがしたいんだ)
This love we raised together
(二人で育てたこの愛は)
Shaped by me and you
(君と僕とでできているから)
You are the reason
(君こそが理由だから)
Let me live this love with you
(この愛を君と生きさせてほしい)

I need to know
if there's still anything that love can do?

(愛にできることはまだあるかい?)
I need to know
if there's still anything that I can do?

(僕にできることはまだあるかい?)

So insignificant just you and me
(こんなにちっぽけな僕たちに)
So why are we given this dream?
(なぜこの夢は与えられたのか?)
And if this life is just going to hell
(もしも堕ちてゆくだけの人生なら)
Tell me, why are we allowed to feel hope?
(なぜ僕らは希望を感じるのだろうか?)
And if it just gonna slip back on my hands
(いずれ手からすり抜けるだけならば)
Then why even give it to me?
(そんなものなぜ僕に与えるのか?)
'Cause ain't it sad, how we try to hold on
(だって、いずれ消えるとわかっていながらも)
Knowing one day, it all be gone
(しがみつくなんて悲しいだけじゃないかい?)
Or maybe it's beautiful?
(それとも、きれいかい?)
Answer me!
(答えてよ!)

All these love songs we hear
(愛の歌もすべて)
Already, they've been sung to death
(歌われ尽くした)
All the movies that we've seen
(すべての映画も)
They said everything they can
(できることはもう語り尽くした)
But somehow you and me
(でもどういうわけか僕たちは)
Fell into this wilderness
(この荒野に生れ落ちてしまった)
But still, I need to know
(それでも、僕は、知っておきたいんだ)

I need to know
if there's still anything that love can do?

(愛にできることはまだあるかい?)
I need to know
if there's still anything that I can do?

(僕にできることはまだあるかい?)


■ 註釈


通常の英語カバーとは違い、今回はセルフカバーということもあってか、歌詞に大幅な変化はないものの、それでもいくつか興味深い違いが見られる。

細かい変化を挙げればキリがなくなってしまうので、気になった部分を 2 箇所だけ取り上げ、以下に註釈を加える。


1.

(原曲)
―支配者も神も、どこか他人顔
―だけど本当は、分かっているはず
―勇気や希望や、絆とかの魔法
―使い道もなく、オトナは眼を背ける
(英語)
―Governors and gods alike
―Trying to turn the other cheek
―But even if you look away
―The truth is always facing you
―Courage and the strength of hope
―The magical bond we share
―We grow up only to forget
―How we ever use them here?

原曲の歌詞では、「支配者」や「神」あるいは「オトナ」という存在が、「他人顔」をして何かから「目を背け」ていると書いてあり、「(一般市民・子どもとしての)語り手がそういった者たちを非難している」ように解釈できる。

しかし英語版の歌詞を見てみると、最初の 2 行でこそ "governors" (支配者) や "gods" (神) がそっぽを向いている者として出てくるものの、次の 3 行目からは "look away" (目を背ける) する主体が "you" に変わっている。

この you は、英語で人全般を表す「(人は)だれでも」というような意味のものなので、"But even if you look away / The truth is always facing you" というのはつまり、「(わたしたち人間は誰でも)たとえ真実から目を背けたとしても、それはいつでも目の前に立ちはだかってくるものなのだ」という、自分たち自身も含めた全員に対する戒めとなっている。

さらにその後の 5~8 行目では、主語が "we" に変わることにより変化が一層鮮明になる。

原曲では「オトナ」が使い道のないものとしている "courage" (勇気)、"the strength of hope" (希望)、そして "the magical bond we share" (魔法のような絆) は、

英語版では "We grow up only to forget / How we ever use them here?" と歌われている。「わたしたちはみな成長すれば(勇気や希望や絆の魔法)を忘れてしまう。今ここでどのように使えばいいのか?( ≒ 使い方すらもうわからない)」。原曲の歌詞で遠くの人に向けられていた非難の的は、英語版では自分たちの方に向いている。

ひと言でいえば、「他人事」として批判している原曲に対して、「ジブン事」として噛みしめている英語カバーという感じだろうか。


2.

―何もない僕たちに、なぜ夢を見させたか
―終わりある人生に、なぜ希望を持たせたか
―なぜこの手をすり抜ける、ものばかり与えたか
―それでもなおしがみつく、僕らは醜いかい
―それとも、きれいかい
―答えてよ

―So insignificant just you and me
―So why are we given this dream?
―And if this life is just going to hell
―Tell me, why are we allowed to feel hope?
―And if it just gonna slip back on my hands
―Then why even give it to me?
―'Cause ain't it sad, how we try to hold on
―Knowing one day, it all be gone
―Or maybe it's beautiful?
―Answer me!

この部分は、個人的に、英語版の歌詞を聴いていて一番胸に響いた箇所だ。原曲ではあまり気にも留めなかった歌詞が、英語の歌詞で聴いた瞬間、グッと心を打ってきた。

まず原曲の歌詞は、(直接そうは書かれていないが)「僕たち」に「夢を見させ」たり「希望を持たせ」たり、「手をすり抜けるものばかり与え」たりするものとして想定されているのは、おそらく神であろう。

何も持たずに、終わりある人生を生き、つかんだものさえ失ってしまう人間に対し、神様はどうしてそんなことをするのだろうと、考察しているような歌詞である。

また、「なぜ夢を見させたか」「なぜ希望を持たせたか」、「ものばかり与えたか」、と 3 行立て続けに「~(せ)たか」という音が繰り返されるが、こういった語尾はふだん日常的には使わない文語なだけに、どこか哲学者が思想にふけっているようなイメージが湧く。

先ほどの「神」が主語であることと相まって、原曲版のこの歌詞からは、全体的に「世界を客観的に、俯瞰しているような静かな印象」を受ける。

一方で、英語の歌詞を見てみると、1, 2 行目の "So insignificant just you and me / So why are we given this dream?" (こんなにちっぽけな君と僕なのに、なぜ僕らはこの夢を与えられたのだろう?) に始まり、

3, 4 行目の "And if this life is just going to hell / Tell me, why are we allowed to feel hope?" (この人生が地獄に堕ちてゆく運命なら、教えてほしい、なぜ僕らには希望を感じことが許されているのか?) でも、"we" が主語となり受身の形で表現されている。

つまり、原曲の方が「(神は)どうして~したのか」と言っているのに対し、英語の方は一貫して「僕たちはなぜ~されたのか」という表現の仕方を取っているのである。この二つのうちどちらの言い回しの方が、聴いている者の身に迫るように感じられるかは、言うまでもなく後者だろう。

そしてその後には、"And if it just gonna slip back on my hands / Then why even give it to me?" (いずれは手からすり抜けてゆくなら、そんなものどうして僕に与えるのか?) と続く。理不尽さを訴える主体が「僕たち」から( "me" が出てきたことにより)「この僕」個人になった点に注目したい。

「神の行いの真意を考察しているかのような」原曲と対照的に、英語版の歌詞は徹底的に「理不尽を被る僕(たち)が、神に切実に問いかけている」イメージである。

「僕」は最後に、次のようにして畳みかける:

―'Cause ain't it sad, how we try to hold on
―Knowing one day, it all be gone
直訳:だってそんなの悲しいじゃないか
いつかはすべて消えてしまうとわかっていながら
こんな風にしてしがみつこうとするなんて

"'Cause" は because、"ain't" は "is not"、どちらも口語で使われる短縮形なので、(先ほどの「見させたか」などの日本語が文語的な響きを持っていたのに対し)"'Cause ain't it sad" というのは、だから、「だってそんなの悲しいじゃないか」という、飾り気や偽りのない強い気持ちが感じられる訴えである。

この部分は、英語版の歌詞において、最も語り手の感情が発露している箇所だと思うが、ここで原曲の歌詞と決定的に違うのは、オリジナルでは「醜いかい」となっているところが、英語版では「悲しくはないかい」と表現されているということだ。見え方の問題ではなくて、明らかに個人の感情に焦点が当たっている。

指の間からすり抜けていくものに必死でしがみつこうとする行いは、「醜いだろうか、きれいだろうか」と問う原曲と、「そんなの悲しいことじゃないのか、いやもしかして、それって美しいのだろうか」と問う英語版。後者の方からは語り手のより切実な気持ちが感じられる。

ぼくがこの部分全体にとても心を打たれたのは、おそらくこういった表現の違いが影響しているのだろうと思う。


■ 終わりに


以上、日本語の曲で一度英語に訳されたものを、再度日本語に訳しなおすという、かなり突飛なことをやってみた。

日本語の曲が英語になると、言葉の数が増えるだけでなく、英語の性質上「誰がそうしたのか」とか「誰がそう感じたのか」という主語に言及する回数が多くなるので、必然的により主観的に感じるのかもしれない。

同じ曲で同じ歌い手とはいえ、歌う言葉が変わっただけで、このような変化がもたらされる。こういう違いに目を向けることが、邦楽の英語カバーを聴くにあたっての大きな醍醐味の一つである。

どちらが良いとか悪いとか、そういう話では決してなく、比べてみるとこんなに違うという事実が、ただ単純に面白いなと感じる。

ちなみに、今回の英語カバーの中で唯一、すこし残念だったことがある。

それは、オリジナル版で、「愛にできることはまだあるかい/僕にできることはまだあるかい」という歌詞が、最後の最後で、「愛にできることはまだあるよ/僕にできることはまだあるよ」という風に変わる部分。これが英語版には反映されなかったことだ(こちらでは今までと同じフレーズが最後にもう一度繰り返されるだけ)。

あの部分をどのように英語にするか、気になっていた人は自分だけではないと思うので、最後に YouTube で同曲の英語カバーを出している Anonymouz さんの『愛にできることはまだあるかい』で歌われている歌詞を引用して終わりたいと思う。

―I believe there is still
something left that love can do

(愛にできることはまだあるよ)
―I believe there is still
something left that I can do

(僕にできることはまだあるよ)


※ YouTube のチャンネルをつくってみました。今後こちらでも曲の和訳を動画形式であげていこうと思います。


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