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学校という社会問題

僕は、今インターンで学校にプログラムを売りに営業に行っています。
探求学習教材の販売などです。
そしてこうして学校に関わること自体自分は想像していなかったけれどこのインターンを通して先生という職業に対して抱くのは尊敬、そして謝罪の2つです。

「尊敬」というのは先生がいかに生徒のことを考えている存在かということです。もちろん全員が全員というわけではないとは思うんですが少なくとも自分がこのインターンを始めてから出会った多くの先生は「あいつは普段と違ってここがよかった」とか「あいつはもうちょっと頑張れたな」と、ちゃんと生徒1人1人をちゃんと見てくれていたというのはお酒の席を一緒にしたりする中でわかったことでした。

そして「謝罪」というのはそんなことも知らずに当たり前のように先生という存在に支えてもらっているにも関わらず悪口とか影口をたたいていることもあった自分をぶん殴ってやりたいということです。(といいながらも未だに理不尽だったなとおもうことももちろんあります。笑)

さて今日はこの1年で先生という職業へのイメージが大きく変わりましたということを踏まえた上で、学校が抱える社会問題というテーマで書いていきたいと思います。素人が書くものなのでその辺はお手柔らかにお願いします。笑

みなさん、学校が抱える社会問題ってどんなものがあると思いますか?
「生徒のいじめ問題」「日本の学力低下問題」「モンスターペアレント」「体罰」「ブラック校則」など色々思いつくことがあると思います。

その中でも僕が学校における一番の課題は
「学校というブラックな職場」だと思っています。

そもそも、先生の仕事ってなんだと思います?
1番は、、、もちろん教科学習、そして担任としてのクラスのマネジメント。加えて今は文科省から「探求学習」を推し進めましょうといわれしまいにはプログラミング導入!どこまで先生の負担を増やすんだ!と思ってしまいます。そんなスーパーマンを学校に20人も30人も確保できるなら日本は今こんなに経済が不調だとか海外に置いて行かれているなんてことにはならないでしょうね。

とにかく先生に求めるものが多すぎる。
この問題の根本的な課題は親の強すぎる顧客意識だと思います。
ヨーロッパやアメリカでは地域と学校という2つが教育の場という認識があり、家庭、地域、そして学校で子どもを育てていくという考え方がある一方で日本をはじめとするアジアの国は「学校はサービスだ」という認識があって、何かうまくいかないことがあると「学校の責任だ」ということは起こりやすい。いじめ問題でよく「気づかなかった」という現場の声であきれるというのがあるがあれは「気づかなかった」のではなく「忙しくて対応する時間がなかった」というケースもあるのではないかと考えるわけです。

キャプチャ

出所:中澤篤史「運動部活動は日本独特の文化である―諸外国との比較から」『SYNODOS』(2015年1月27日)

というように教師という職業のストレスは計り知れず、それを理解する人も少ないのが現状です。さらに教職という資格を持ったというだけの先生が教科を教えるだけでなく、人間のあり方、スポーツ、そして探求学習まで全部教えるなんて飛んだ的外れだと思いませんか。

では解決策はあるのか。個人的にはもっと学校が社会に開けた場所になり、民間や地域住民にアウトソースできるような環境を整えることが必要なのではないかと思っています。
例えば部活の顧問なんかは先生がやらなくても外部でコーチをやりたいという人は意外といるんといるんじゃないだろうか?と思えるわけです。

その他にももちろん予算の問題はあると思いますが学校行事なんかは民間にアウトソースしてもいいだろうし(インターン先のリディラバもそういうことをやっています)、プログラミングなんかはそれこそ臨時講師を雇わないと厳しいですよね、、、

こんな感じで教育と家庭、地域の隔たりがもっと曖昧になって融合している状態を目指すことが今後の教育に必要なことなのかなとおもっています。

とにかく最後に教師、まじ尊敬です。

ちなみに今日書いた内容はリディラバジャーナル(社会問題に特化したメディア)も参考にしているのでぜひご覧ください。(有料メディアですが読者がシェアをするとその記事が無料で読めるようになるという特殊なサービスです!)




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