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旅の途中から。真備より

西日本集中豪雨から8か月。とある知り合いの大人から、
「面白い学生が来るから。勉強になるから。」と誘われて、真備に赴く。
旅路にしばしばヒッチハイクを利用しがちな私は、今回もヒッチハイクで真備に向かうことにした。
吉備SAに降り立つ。最寄り駅まで徒歩。
「総社(そうじゃ)市を目指すといいよ。」
という連絡に沿って総社駅につく。
「駅からお世話になることになる施設まで別に歩けないことはないよ。」
10キロ近いバックパックを背負い、カメラを度々構えながら歩いて向かう。
高梁(たかはし)川沿いを総社側から南へ。(青線のルートで)

この後、真逆の感想を抱くことになったのだけれど、当時の感想をあえて掲載しておく。

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西日本集中豪雨の災害からおおよそ半年。傍目にはほとんど復興(復活)しているように見える。橋から川を眺めると、木や草が下流側になぎ倒されたように生えていた。それだけでも、発災当時相当の激流だったんだろうというのが想像できる。空き地や更地になっているところが多いなとは感じるものの、今現在どういう状況になっているのかが想像できないほどに綺麗に整えられている。

真備町では、ぶどうの家という小規模多機能施設のお世話になった。
当時、イマイチ何をしているところなのかわからなかったのでGoogleで調べてみたところ、記事が上がってきたのでそれをそのまま引用しておく。

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直接聞いた話から今考えると、多くの人が手を付けないところを幅広くカバーしているところ。
(すごく不思議な温かさに溢れたところ。という感覚でいたのでお世話になっている施設がどういうモノか。というところに思考が及ばなかった。)

真備町に着いたところで自分に何ができるのだろう、というのは何もわからないままに訪れた。
実際に手伝ったことは、ラミネート加工、イラストの書入れ、パワーポイントの修正。自分がもともと人見知りするタイプだというのもあり、手伝えることありますか?と聞くこともなく、言われるがままに手伝った。と、記憶している。
偶然、イラスト用のペンを所持していたこともあり、頼まれたことは片っ端からこなしていった

(自分的には納得のいかない仕上がりだったけれど、気に入ってもらえたようで良かった。)

そんなこんなで過ぎていった真備初日。
施設長さんと夜、自分の通ってきた旅路の話なんかをした。
ヒッチハイクのことや、川の景色、夕日の写真なんかを見せたりして。

真備に住む人にとっては当たり前の景色でも、旅人を通すと途端に心を打つ景色に代わる。それだけのことだったけれど、こうして刺激を貰えるのが嬉しいんだといわれて、物凄く嬉しくなったことを覚えている。
手放しで真備に赴いたので、ただ嬉々として旅の話をした。

真備に行ったよ。と伝えるとボランティアしに行ったの?と聞かれることや、自分のボランティアへのイメージから想像するに、もしかしたら根っからのボランティア精神による「○○してあげようか?」という姿勢は時に毒なんじゃないかな。と思う。
(ボランティアにいいイメージを持っていないのでそれに由来するものであることは拭い切れない)

真備に、発災後すぐから滞在していた人の話を聞いたので、当時思った原文のまま記載しておく。
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復興というのは元に戻すことではなく、元の状態以上にすることである。そうすることにおいて、復興するというのには、建物の修繕だけではなく、人々の心の復興も必要になってくる。ボランティアで支援されるもののほとんどは、建物の修繕や土砂のかきだしなどの肉体労働や、炊き出しなどの現物支給。本当の意味で被災した人たちに寄り添うことって…。なんて考えていたら、頭の中でぐるぐると思考が巡りだしうまくまとまらなくなった。
ボランティアって何なんだろう。
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