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生食用えんがわを調理しようとした際の微妙な失敗

タイトル以上でも以下でも無い。
内容としても地味だ。
調理としては失敗しているが、SNSでバズるほどのインパクトはない。
あくまで「微妙な失敗」だ。

その微妙さを書き連ねいてゆく。

私は食べることが好きである。
しかし金が無いのである。
何故なら食べ物に費やしているからである。
加えてそこそこ食うのである。

「そこそこ」などと歯切れ悪い表現を選んだのには理由があり、大食いを主張するほどでは無いからだ。
同性同年齢の者達の中で比較すると「まぁ食う方かな」程度の自認に過ぎない。
酒もやるので、満腹中枢が狂っている故のブースト説もある。
その中途半端な自信が胃に対する許容量以上の食べ物を買い漁ることへ繋がり、結果的に金欠へ陥っている。何なら結局満腹になり、少々後悔する。悪いとこ取りである。

しかし狂っているのは満腹中枢だけでなく頭も然り。次の日には後悔を忘れ、デパ地下の惣菜売り場で目を輝かせては散財に勤しみ、はち切れんばかりに腹を膨らませては体重計の数値と寿命を反比例させている。油と塩は旨いのだ。

生活習慣病も深刻だが、やはり金、金である。
増えない貯金残高から目を背けられるだけの若さも食い潰してきた今日この頃、節約の2文字が夢にまで出る始末。
しかし積み上げてきた怠惰を急に改められるはずもなく、そもそも私という人間は致命的に「我慢」が苦手だった。食べたいもんは食べたいのだ。それもたくさん。

というわけで料理を作ることにした。
自炊である。

今までは、

「大人数いるなら料理の方が良いけど、1人だと一つの料理がたくさんできてしまい飽きる」

だとか、

「食材や調味料の賞味期限の管理が難しい」

だとか、

「洗い物などの始末が面倒」

などと洒落臭いことを主張し出来合いの惣菜ばかりを買い込んでいたが、背に腹は変えられない。成人してから暫く経つが、私はすっかり足が遠のいていたスーパーの食品売り場へと踏み込んだ。

結論、それはもう楽しかった。

同じ食材でも日にちやスーパーごとに変わる値段差により「どのスーパーで何の食材を買うか」を考える戦略性や、肉の部位による味の差など、今まで意識していなかった情報とそれがもたらす思考が面白い。

「豚コマの方が脂身少なくて良いなと思いきや、野菜と合わせると油分欲しくなるから豚バラの方が美味しいな。しかし高い」

「予算を鑑みてどっちを優先すべきか」

「他の食材を安価に押さえてココを贅沢するか」

そんな駆け引きはゲーム性を感じる。始めたてだからこそではあろうが、これがまぁ楽しい。
知ったふうな口をききつつも手の込んだ物を作るでもなく、刺身を漬けたり鍋を作ったり、およそ料理と呼ぶには拙いが、自分で作るとなると愛着が湧く。
心配していた量の方も大した障害では無かった。確かに飽きが来るものの、基本的に「そこそこ食う」ので滅多に余らないし、何より惣菜を買い込むより圧倒的に安く、腹も満ちるのでメリットの方が大きい。
生来の金遣いの荒さがあり貯金の方は目に見えて成果が出たとは言い難いが、マシにはなった気もする。
そんなこんなで、ゆるく料理ライフを満喫していた。


えんがわの話をする。

えんがわとは魚の部位である。
寿司屋で見かける、白くて細長いアレである。
噛むと甘い脂がジュワッと染み出し、弾力のある歯触りが心地良い代物だ。

そいつがスーパーの魚売り場で売っていた。

寿司の上に乗っているものよりもびろびろと長い。当然と言えば当然だが、寿司として提供されるものは適当な大きさにカットされているのだろう。売り場に並ぶのは一本(という数え方であっているのだろうか)が30センチ程度の長さか、それが適度に折り畳まれパッキングされている。

ーーーー刺身として売ってるんだ、コレ。

と物珍しさを感じ、衝動的に買い物カゴに入れた。
何せコイツをメインで食べた経験が無い。
寿司屋で頼むにせよ1回だ。他にも色々食べたいし。

刺身は漬ければ大体美味いといった成功体験を刷り込まれており、条件反射で漬けのレシピを反芻した。
だが浅い経験なりに「同じ味だと飽きる」ことを学んでいる。
そこで「片方は漬け」「片方はポン酢」にすることを思い立ち、その他買い物を済ませ帰路についた。

その最中、フと考えが過ぎる。

ーーーーえんがわって、脂っこい。

前述の通り、えんがわは脂が旨い。噛むとジュワッと染み出し、甘みが広がってゆく。それが良い。

同時に、この脂が厄介でもある。

若い頃は無限に食えたトンカツも歳を追うごとに遠のく昨今だ。食べ始めは美味しいが、腹が膨れるに連れ油が厳しくなり、無計画に食い尽くした線切りキャベツが恋しくなる。子供の頃は邪険にした黄緑色の山も大人になってそのありがたみを知るのだ。何でこんな馬鹿みたいに盛るんだろとか思っていたが適量なのだ。存在するからには理由がある。

えんがわもそうなるのではなかろうか。

おいしい脂も、最終的にはただの生臭い液体に成り果てるのではないか。

一抹の不安に駆られ、私はインターネットを頼った。
数分調べてみると、やはり「大量に買ったが脂っこくて食べきれない」といった文字が散見された。
衝動買いを悔いはじめた矢先、とある一文が目に止まった。

ーーーー「湯引きをすれば良い」

湯引き。

料理経験が浅いながらも聞いたことがある。
熱湯をかけ食材から余分な脂を落としたり、臭みを減らすための行為である。
なるほど心得たとばかりに、私はそれを実行することにした。

結論から言うと、この行為が「微妙な失敗」の原因である。

物事を深く考えず衝動的に実行しては悔悟に苛まれる私だが、インターネットは8割型信用してはならないとインターネット有識者から教わっているため、今回は「半分湯引き」「半分そのまま」で調理することにした。
もともと「片方は漬け」「片方はポン酢」で食べる方針であったため、湯引きの方は「ポン酢」で、そのままの方は味が濃く油の臭みを誤魔化しやすい「漬け」で食べることにする。

ザルにえんがわを入れ上から熱湯をかけてみると、何となく油っぽいものが滴り落ちた気がしたが目に見えての変化は無く、正誤もわからず終え、食べやすいサイズにカットし味付けをする。
もう半分を醤油やらミリンやらを混ぜたタレに漬け冷蔵庫に寝かせておき、チューハイを開ければ準備万端。
いざ実食。

ーーーー不味い。

不味いのである。
紛うことない不味さ。
おいしくない。

とにかく食感が死んでいる。
えんがわ特有の弾力が消え失せ、ぶよぶよと得体の知れぬ物体が歯と歯の間を蠢いている。
容易に噛み切れるぶん細かく分断され散り散りになってはまとわりつく。
更に悪いことに、薄らと生臭さがあった。見事な悪いとこ取りである。

決して食べられない程ではない。
人によっては口に入れた瞬間吐き出すやも知れないが、私は幸か不幸か味に対する許容範囲が広い。ポン酢を大量にかければ酒で流し込める程度の、微妙な失敗なのである。
捨てるのも勿体無いので、もそもそと未知の食感を飲み下す時間を過ごした。

さて。

気になるのはもう片方の「漬け」である。
当時の私は湯引きが原因であることを悟り始めつつも確証を得ていなかった。そもそも購入したえんがわが粗悪であった可能性もあるのだ。
湯引きの件を調べた際、同じく生食用えんがわを購入したらしき人物が「寿司屋で提供されるような食感がなく、ブヨブヨで食べられたものでは無かった」とコメントを残しているのを見かけたのもある。

しかし、その疑念もすぐに消え失せる。

もう一方は美味しかった。
弾力のある歯応え、漬けダレの塩辛さがガツンと来た後に、ふわりと残る甘い風味。確かに脂っこいが、柑橘系のチューハイがキリッと洗い流してくれる。次々と箸が進む一品だ。

満足感たっぷりに完食した。

原因も特定した。

決して一級品では無いだろうが、近所のスーパーは一般家庭が支払える価格帯で、且つ美味しく食べられる程度のクオリティを保ったえんがわを仕入れ提供していた。

私は粗悪品と疑ったことを密かに謝罪した。

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