【短編小説】犬嬢
犬嬢の話をしよう。
犬嬢は、犬のような女である。
――何なんですかあなた。
その半生の中で周囲の人間達から繰り返し問われ続けたこの問いについて、
「犬女」「犬ガール」「犬姫」「犬嫁」「犬妃」「犬妻」「犬子」「犬婦人」「犬女子」
などの候補はあった中で、犬嬢本人は次のように考えた。
――犬女や犬子では凡庸。犬婦人や犬嫁は独り身の自分には合わない。でも結婚したら犬嫁になるのも悪くない。また、犬ガール、犬女子などは特定の個人を言うのではなく集団とか一派とかいうようなもの、時代の一時的な風潮・流行に乗る浅薄な者達を少し馬鹿にしながらカテゴライズするニュアンスが感じられて違和感がある。だから姫か嬢か――。姫というのは向こうから言ってくる分にはいいとして、自分で言うのは厚顔無恥。なら「嬢」が無難。「犬嬢」が良い――わたしは、犬嬢だ。
と言って誰かにこれをわざわざ名乗ったことはない。心の中でわたしは犬嬢だもん、とか、犬嬢なの、とか、こっそり舌を出して、思っているだけである。もし誰かから「犬女」とか「メス犬」などと侮蔑混じりに呼称されたとしても、敢えて「犬嬢なんですけど、」などと訂正はしない。自分ひとりの心の中で犬嬢であればよかったからだ。
やがて犬嬢が、この土地の小中学生をはじめ人々の間で噂にのぼるようになって以降も、区民の殆どからは「犬女」と呼ばれたのだし、あるいは単に、「犬」とのみ言って彼女を指す人もあったのだが、このお話の中では本人の意思を尊重して、「犬嬢」で通したい。
犬嬢は清廉である。純潔である。身体が健康である。激しく男(とされるもの)を求めている。特定の人を想ってのことではなく、概念としての恋、イデアとしての雄との邂逅を夢見て、犬のように、求めている。
映画や絵画を鑑賞したり小説を読んだり。音楽を聴いたり、将棋を指したり、スポーツに興じたり。パチンコを打ったり。
人の趣味には多種ある中で、犬嬢の趣味は匂いを嗅ぐことだった。何の、ということはない。何でも、である。
光の匂い。レモンの匂い。言葉の匂い。
大人の匂い。子どもの匂い。濡れたビー玉の匂い。
机の。死体の。雨の。涙の。犯人の匂い。
自分の赤ちゃんを抱くときの母親の匂い。
七月の初めに樹木をよじ登って行こうとする蝉のなりかけの匂い。
愛の匂い。泡の匂い。
音楽の匂い・・・・・・、何でも嗅ぐ。
目を閉じて気の済むまで嗅ぎ分ける。時々怪訝がられる。怒られることもある。犬嬢の一日はそのようにして過ごされて飽きることがない。
そのような犬嬢が男(とされるもの)に求めるものはやはり匂いだった。
好きな匂いの人が好きなのであって、好きな人の匂いが好きなのではない。・・・・・・一般にはこの順番は曖昧な場合が多い筈だが犬嬢の場合には絶対だった。まず、匂いである。ただし香水やシャンプー、リンス、石鹸などは邪道だ。汗やら皮脂の匂いなどは黙殺だ。
「シャンプーは変えられる。
細菌は消毒をすればよい。」
名言である。
変えようが消毒しようが頑として、その人の存在する限りその人の真ん中のところから不断に流出し続ける、発情を余儀なくされる、「しらべのような」、あの、臭気。判断基準はそれだけで、それ以外の性格、細かい顔の造作、経済力、全て、些事でしかない。
犬嬢は恋を知らぬ。何も知らぬ。勝手に想像して、焦がれている。
しかしこれまでの人生において一人だけ、犬嬢の発情を強烈に促す男はあった。四国の農家の男だった。
少し、その時のことを話そう。
もう五年も前のこと、――生きていることの意味が完全に分からなくなった犬嬢は、ひとり、遍路に出た。遍路の二日目に、その男に出会った。薬味の匂いのする男だった。何でもするから付き合って欲しい、できれば結婚して欲しいと犬嬢は伝えたが、断られた。じゃあキスだけでもしてもらいたい、無理ならせめてあなたのお腹に顔をあてさせて欲しい、と真摯に了承を乞うたが、いずれも許されなかった。何でわたしではいけないのか? わたしが可愛くないからか? と問うと、そういうわけではないが、僕は普通の家庭を持ちたいんだよ、と男は言った。とんちんかんな答えに犬嬢がとまどっていると、とにかく無理だから、申し訳ないけど、とダメ押しのように言って男はみょうがの収穫作業に戻って行った。犬嬢は遍路に戻った。
犬嬢は三日三晩、泣きに泣きながら雨の降る四国を歩いたが、絶望はしなかった。四日目の朝には雨は上がり雲にはところどころ切れ目が生じていた。朝靄の道行きの向こう側に昇り始めた金色の太陽の一条が、雲間を貫いて犬嬢の丸顔をまともに照らしつけた時も、犬嬢の頬はまだ涙に濡れていた。けれどその目は、むしろ希望に輝いていた。
《わたしは、人を好きになることができる。》
という事実に気付けたからだ。――あの人はダメだった、ふられちゃった。アプローチを間違えてしまった。けれども世界のどこかには、あの人とはまた別のいい匂いを発する人がいる筈だ。一人しかいないわけがない。いる。どこかにいる。たくさんいる。この地球(ほし)に、きっと百人くらいは存在する筈だ。そしてそのうちの何割かはわたしを愛してくれるだろう。わたしだけを愛してくれる筈だ。大丈夫、わたしはかわいい。(だってあの男もわたしがかわいくないわけではないとは言ってくれた!) 土下座して頼めばきっと愛してくれる。今までは、わたしには恋なんてできないんだと思って積極的に探して来なかったが、わたしの心身には恋する機能がちゃんと備わっている。生きる意味とは、――恋だ。――探そう。そして見つけたら、――今度こそ離さない。
かようにも犬嬢は、恋を知らぬ。
知らぬままに、
「歩き続けます。嗅ぎ続けます。必ず出会います。それまではこの服を脱ぎません」
巡礼の最後に願を掛けたのである。「でもお風呂に入る時は脱ぎます。もちろん着替えるときも脱ぎますが、また着ます」
綿生地で、動きやすい。
白装束が、気に入ったのである。
以来五年犬嬢は練馬中心に探し続けている。時々板橋に出張ることもある。そうこうするうち、区民らの間でこの背の低い、白装束の女は「犬女」として、都市伝説的な地位を獲得していくが未だ純潔は汚れていない。犬嬢はめげずに探し続けるつもりだが、そろそろ焦って来てはいる。
――どこかにいる。どこにいるの。必ずいる。会いたい。待っていてね。少し遅れてるけど、必ず行く。必ず行くから! わんっ!
※現状SNS、各種匿名掲示板等で散見される「犬女」に関する投稿や、ネットニュースの地域密着型記事などにおいては必ずと言っていいほど、「練馬の犬女」と「板橋の荷車の女」とはセットで取り上げられている。「犬女」の事を書くならば当然に「荷車の女」の件にも触れるべきであろうがそれはまた改めてのお話ということにしたい。
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