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青の剣の継承者#8-1

1

前回




 翌日、昼少し前。
 一日ぶりに谷から戻った〈猟犬〉らのもたらした知らせは、ハリの町中に瞬く間に広がった。

「なんと……タタゴ村のことは残念ですが、まさか本当にあなた方三人だけで〈鬼火狼〉を倒してしまうとは……」
「まあな。なかなか危険な奴ではあったが、こっちも悪運が味方についてるんでね」
 顔を見合せる自警団の男たちを前に、イルハはヘラヘラといい加減な返答をする。
 正式な討伐報告は王都へ帰ってからの事で、ここではひとまず危険が去ったことを周知させ、それで役目は終わりだ。
 仲間の二人はイルハを置いてさっさと酒場に行ってしまった。

「正直に申しますと、あなた方は戻って来られないのではないかと……今朝方の星の件もありまして、皆不安がっていたところでして」
「ンな事言わなくていいだろ、爺さん! 俺ぁ信じてたぜ、この人らをよ。星のことだって吉兆に違いねえよ。災いのしるしが飛んでいっちまったんだからよ」
「いやあ、谷の安全が戻って本当によかった! 早いとこ片付けてくれて助かりましたよ。すぐに方々へ報せを遣りましょう」
「あー、そうしといてくれよ。ところで俺たちは三日くらいこの町に留まるんで、宿の手配をしといてくれると助かる」
 緊張の糸が切れたように口々に話し出す男たちをあしらい、イルハはさっさと自分も酒場に向かおうとする。

「ああ、お待ちください! おい、あれを」
 その背を呼び止める者がいて、指示を出された別の男がすぐに小さな布包みを持って来た。
 ジャラジャラと擦れ合う音を聞くまでもなく、その中身はすぐに察せられる。
 やや逡巡を挟んだが、結局イルハはいつものようにその金を受け取った。
 差し出された物を返すほどの理由はなかったし、その上今回は、本当にそれを受け取るべき者の代わりに預かるだけのことだ。

 〈猟犬〉として〈マナの獣〉を討伐したことに対する正式な報酬とは別に、結果として救うことになった地域の者たちからこうした“心付け”を渡されることは珍しくもなかった。
 むしろ〈猟犬〉仲間の内には獣に脅かされる人々につけこみ、あからさまにゆすりたかりのような真似を働く輩もいる。
 仮にも王女の名の下に組織された〈狩人〉の末端として許されざる狼藉のはずだが、王国には未だそれらの問題に対処する余裕もないらしい。
 世界は〈叫びの日〉から一変した。
 収まる気配もない混乱の中で、抜け目なく己の利を掴むのは悪党ばかりだ。

 目の前で感謝の言葉を述べるハリの町の男たちの中にも、どこかに警戒心がある。先んじて金を渡してきたのも、こちらから要求を出される前に封じる意味があってのことだろう。

 〈猟犬〉がどのような存在であるかは知れ渡っている。本来の騎士だけでは対処しきれない〈マナの獣〉を狩らせるため、報酬金と肩書きを餌に王国中からかき集められた日陰者。

(俺は奴らとは違う)
 いつからともなく胸中で歯噛みしている己を冷ややかに自覚しながら、イルハは金の包みを懐に押し込み足早に立ち去った。


 直接の被害を受けたわけではないにしろ、いつ襲ってくるとも知れぬ〈マナの獣〉の恐怖から解放された町は、昨日訪れた時より明らかに活気付いている。
 忙しなく駆け回る足音、明るい話し声。足止めを食っていた隊商がすぐにも発とうとしているのか、大勢の呼び交わす声と馬の蹄の音がする。

 酒場へ向かう埃っぽい道すがら、イルハはふと空を見上げる。
 雲一つなく、のどかに晴れた昼空。
 その中心に昨日まで輝いていたあの赤い〈心臓〉は、影も形もない。

 “今朝方の星の件”――先程の男たちの話によれば、それが東の方角へとゆるやかに動き始めたのは丁度太陽が昇り始めた時刻だったという。
 イルハたちが異変に気が付いたのは夜がすっかり明けた後で、既にその不吉な光は空の果てへ遠ざかり見えなくなっていた。

 〈プワンガヌシュヤの心臓〉が大きく移動するのは〈叫びの日〉以降これで二度目だった。
 それがどのような意味を持つのか、イルハには知るよしもない。

 地上に住まう人間の殆どは知らなかった。
 遥か古からとうに動き出していた巨大な運命の正体を。
 そして、その下に蠢く無数の蟻にも等しい彼らの選択と、その持ち得る意味を――





 まだ昼前にも関わらず、酒場にはちょっとした人だかりができていた。
 どうやら化け物の脅威が去ったことを知り、何をおいてもまず祝杯をあげるべく集まってきた者たちらしい。
 陽気などよめきと料理の白い煙が薄暗い天井のあたりに渦巻いている。

 彼らが取り囲む中心の卓で喝采を浴びながら今まさにジョッキを空にしたのは、薄汚れたコートもそのままの、よく目立つ長身の女だ。満悦の体で上気した顔の半分に、薄赤い火傷の痕が見える。

「いい飲みっぷりじゃねえか! さすがは獣殺しの狩人様だ!」
「好きなだけ飲み食いしてってくれよ。今回の騒ぎで多めに備蓄してたのが、お陰さんで余っちまってんだ」
「しかしこのネエちゃん、さっきからメシの方は一口も食わねえで飲み続けてるが……大丈夫か?」
「うん、ここらの酒はやはり香りがいい……! 南部とはそこが違う。懐かしい味だ……前にこっち側へ来たのは、そうだ、まだ私が〈猟犬〉になる前でな……」

 素面の時より二倍は饒舌になっているメイルを横目に、イルハは知らぬ顔で酒場の奥へ向かおうとする。
 すぐその姿に気が付いた者たちが感謝と称賛の言葉を口にしながら近付いてくるが、イルハは面倒臭げに片頬を歪め、手を振って彼らを追い返す。
「俺には構わず飲んでくれ。化け物退治の話が聞きたきゃ、そこの大酒女に聞いてくれよ」
 ちらと視線を投げると、メイルもこちらを見ていた。彼女は脈絡のない武勇伝を聴衆に向かって語り続けながら、イルハと目を合わせ頷いて見せる。機嫌はすぐによくなるものの、どんなに飲んでも正気は失わないたちだ。

「毎度の事だが、見てるだけで頭痛がしてくるぜ。自己強化型の魔法使いは疲れってもんを感じねえのか?」
 隅の席まで行って腰を下ろしながら、向かいに座るもう一人の仲間にイルハは話しかけた。
「そうですね……」
 ちぐはぐな答えを返すニズは、メイルとは対照的にくすんだ顔色で目の前に置かれた料理を突ついている。
 彼は昨晩、戦闘が終わった後もほぼ眠らずに〈遺物〉の修理を試みていたらしく、今までにないほど明らかに疲弊している様子だった。修理も結局無駄だったようだ。

「コレ食い終わったら僕はひと眠りしに行きますんで。寝て起きたら色々と……ヒヒヒ……夢だったってことになりませんかね」
「一刻も早く休めよ。……剣はちゃんとあるだろうな」
「ここにありますよ。荷物番くらいはまだ出来ます」
 声を低めて訊いたイルハに答え、椅子の下に荷物と共に転がしてある物をニズは無造作に蹴る。
 乱暴に扱うなと一瞬口をつきそうになるが、思いとどまる。

 それが想像も及ばぬほど貴重な、そして危険な代物であることを、この場の誰にも、いや自分たちを除くこの世の誰にも勘づかれてはならない。
 幸い、鞘に納められたままのそれは、内に秘めた輝きも力も片鱗さえ洩らすことはない。
 ただの古ぼけた一振りの剣だ。
「どうするでしょうね。あいつは」
「さあな。……したいようにするだろうさ」


(8-2に続く)

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