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[徒然]「〇〇ハラスメント」って名付けるの流行ってるの?

最近テレビとかネットで色んな「ハラスメント」を見かけるようになった気がする。
もう最早言葉遊びに近いなとぼんやり思っていたのだが、
いよいよ「キメハラ」なんてものが出てきたらしい。

「鬼滅の刃」を観ていること前提で話し、知らない人のことを責める、みたいな感じだろうか。
私も一切読んでないし観てないので、知ってる人からすると話しづらいのかも知れない。
あ、でも紅蓮華は歌える。

ただそれをハラスメントだと言い出したら、何もかもそうなっちゃうわけで。
あともう何年かしたら(今でももうそうなってるけど)ドラゴンボールを知らない世代もいるので、
40代以上の上司の比喩が通用しなくなってくる。
その比喩ばかり言われることに不快を覚える若者が
ドラゴンボールハラスメント
と言い出すのも近いのかも知れない。

とまあそんな感じで、今日は「ハラスメント」について私が思うことを話します。

ハラスメントの意味

ハラスメント(harassment)のそもそもの意味は、
「嫌がらせ」「悩ませること」となる。
そこから、定義づけが行われて
「行為者がどう思っているのかは関係なく、相手が不快な感情を抱けばハラスメントになる」

ということだそうだ。
セクハラ、パワハラが代表的だと思うが、
最初は働く中で発生する問題が中心だった。

そこからモラハラやマタハラなど、職場関係なく夫婦間や友人間でも発生するものとなっていったように思う。
最近ではパワハラに関する法律も出来たりと、
コンプライアンスに対する温度感は上がっていく一方である。

世間的に有名なのは某議員の暴言録音だろう。
「このハゲー!!!」
という叫び声がワイドショーを騒がせた。
あれはたしかにやりすぎだし分かりやすい例になる。

ハラスメントは「何が」というよりも「誰が」

関西で生まれ育った私にすると、
毎週末の吉本新喜劇を観るのがルーティンになるのだが、
そこでは普通に「あほぼけかす」は言うてるし、
柔らかい茶色い棒で強盗かヤクザを袋叩きにする下りは当たり前だ。
あとはやすえさんが暴言吐きまくってブチ切れるのもいつものパターン。

昔でいうと石田靖が山田花子を壁にぶつけるのとかも普通にやってたなそういえば。
あれは流石に危ないとなったのか最近見ない。

すっちーと吉田の「乳首ドリル」なんて、見方を変えれば吉田がしばかれてるだけなのだが、
基本的には全て「冗談」で成立している。

そういうのが普通だったので、大阪で働いてる時は「アホ」なんてあいさつのレベル(これは個人差があるのであくまで私の話)だった。
あとは地域柄ストレートに物事を伝える人が多かったので、
言いたいことはお互いはっきり言うことが一般的。
それでも関係性が崩れないのは、多分言葉の選び方というよりも、それぞれの「信頼関係」だろう。

社内外で見聞きする「ハラスメント」は、大体が
いや、単純にその人のこと嫌いなだけやん
みたいなことも多い。
でもこれは受け手が悪いという話ではなく
ハラスメントした側がそういう信頼関係を築けているのかどうかを見誤ったコミュニケーションをした結果だ。

もちろん選んではいけない言葉もあるが、
そういうHOWの話の前に、相手と自分はどの程度関係性を築けているかどうかを考えることが大事だと思う。

「あの人に言われても何とも思わんけどあいつに言われたらムカつく」
みたいなことはいくらでもある。

「その人」に向き合うという簡単だけど難しいこと

こういったことは基本的には「その人がどういう人なのか」ということを理解する、または理解する努力をするということで解決できると思う。
が、最近は組織やチームの中でこういう一人ひとりと向き合うことをなおざりにする人が多い気がしている。
それには色んな背景があると思うし、
今のコロナ禍だと相手を知るにも一苦労なのもよく分かる。

だからこそ、改めて我々はお互いを大事にする、慮るという気持ちが大事だと思う。

ただ、私の場合はより気付きやすい性格のせいもあるが、
自分ばかり慮って相手がそういう姿勢を見せないことに腹立たしさを覚えてしまう(特に上司という人種に対して)ので、
まだまだ未熟だなと思っている。

同じ人間はいないのだから、同じコミュニケーションでいい訳がない。
先述した「あの人ならいいけど…」というのはこういうことだ。
自分と相手の関係性、相手がどういう人でどういう言い方であれば分かってくれるのか
という視点は、仕事だけでなく夫婦関係や友人関係にも必要だと思う。

「ハラスメント・ハラスメント」

冒頭にも書いたが、ここ最近は何にでもハラスメントと付けるのが流行っているかの如く
色んなハラスメントがあるように思う。
冗談のように書いた「キメハラ」もそうなんだが、調べたらもっと色々あるようだ。
最近でいうと「ロジハラ(ロジックハラスメント)」というのも話題になった。

相手が嫌がることをしない、というのが大前提ではあるが、
受け手側がコミュニケーションにおける解決の前に
「それはハラスメントだ!」と定義づけしてしまう乱暴さも気をつけないといけないと思う。

単純に自分が納得できない、言われたくない苦言を言われた時、または個人的に嫌いな人に言われたり何かされた時に、
受け止めるや改めるということをせずに拒絶してしまうことになる。
先ほど「相手を慮る」ということを書いたが、これはハラスメントをする可能性がある側だけでなく、
受け取り手にも多少言えることだと私は思う。

「何故相手はそういうことを私に言ったのか」
と一回考えてから、それが理不尽であったり、自分の尊厳に関わることであったりした場合は、ハラスメントだと思っても良いと思うが、
単純にムカつくであったり、相手を陥れようとしてハラスメント認定する、というのはもうコミュニケーションの崩壊でしかない。

そうなると双方それ以上の人間関係構築は困難だ。
特に上司部下の関係性であれば、上司には部下の育成責任が生まれる。
その育成の中で必要な指導やフィードバックの全てをハラスメントだと言われてしまうと、
どちらにも良い感情は生まれないし、良い結果も伴わない。

現実、「部下にパワハラだと思われたくないから指導できない」と悩む人も多いと思う。
どちらが悪い、という話ではなく、お互いの「人間関係」「信頼関係」の度合いを測ることが必要で、その度合いを深める努力を先に行う方が良いと私は思う。

見えないものを見ようとする努力

最後はBUMP OF CHICKENのような感じになったが、
相手の気持ちや考えは可視化できない。
だからこそそれを汲み取ろうという姿勢は大事だし、
そこから信頼関係というのは生まれていくと思う。
ただ、それを「何も言わずに汲み取ってもらう」前提ではなく、必要な時は
「自分はこう思っている」ということを意思表示していかないといけない、と私は思っている。
またいつか部下を持つようになった時、余計に気をつけたいと最近思ったのでこんなお話をしました。

何度も言うが大前提として、
人が嫌がることをしないという考えの元書いてます。

決してハラスメントする側を擁護する訳でも、
される側を否定する訳でもないのでご了承下さい。

noteの使いこなし方にまだ慣れていなく少し日が空いてしまいました。
ありがとうございました。

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