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嗤う繊月  ①

始まり



その日は通勤の帰りだった。
家までの長い道のりは車か、バスに乗って帰るしか手立てがない。
ここはド田舎なのだから。

森の中をバスに乗って往復ひたすら揺れる。

そんな毎日だった。

私の仕事は地域の小さな新聞社の編集員だ。


そうは言っても正規の社員ではない。

アルバイトに毛が生えたようなものだ。

いつ辞めても会社も平気だし、私も平気だろう。

しかし仕事の労苦は、正規社員と大して差があるようなものではなく、疲れを引きずりながら町のただ一つの駅前にある小ぢんまりしたバス停で私はバスを待っていた。
スマホの時計を確認すると、もう夜の9時ではないか。


海洋魚のように揺らめくライトが尾を引いて照りつけたかと思うと、バスがバス停に停車した。

一日に数えるほどしか運行していないバスにタイミング良く乗車出来て私は嬉しい。

バスステップを上がると、バスの中には誰も乗客はいない。

私一人だ。

何だか誰もいなくなったデパートや遊園地のように寂しくもあるが、自分にとっては毎度お馴染みの光景でもある。

なんたってあんな過疎化した村から通勤しているのは最早私くらいのもので、あんな場所に帰ろうとする人などそうそういない。
乗り合わせる乗客はいても二人や三人。片手で収まりきるほど。


私は体をホッと安心させようと、背もたれのある一番最奥の後部座席シートを狙って座った。 

バスの運転手からもっとも距離の遠い、落ち着いたパーソナルスペースというところだ。


「ふぅっ」

ドッ!と体重をかけ人目も憚らない勢いで座る。

気分はもう勝手にくつろぎはじめた。

「鞄、当たってますよ」


そこへ男の声がした。

驚いて横を見ると男が隣に座っていた。

座席の影に丁度隠れていたのか。

存在に全然気付かなかった。


細身の華奢な男で、顔はとても白く黒髪が月の光に映えている。

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「これはすいません」

慌てて鞄を男とは反対側のほうの自分の脇に寄せる。

「いえ……」

男は私を一瞥すると

「あなたも◯✕郷にお帰りなのですか?」


と聞いた。

「ええ、そうです」

「珍しいですね、ほとんどお年寄りばかりじゃないですか?」

「私はあそこに親から受け継いだ家を持っているもので、なかなか手放す気になれなくて」

「ほぅ……僕はあそこにある温泉施設に一定期間働きに来てるんですよ」

「住み込みでアルバイトってやつですか」

「そうです。本業は学生なんです。でもね、来て後悔しました。私の働いてる旅館、出るんですよ……」

そう言って男は両手を自分の胸元にブラ下げる。


「ええっ、出るって、お、おばけ?が」

「そうです。来るんじゃなかったなぁ……。バイト先ミスりましたよぉ……」


そこから男は私に勤務先で起こる怪異を語り始めたのだ……………。




第一章 竹澤宏太


ある旅館の話

初めまして。これも何かの偶然ですね。僕の名前は竹澤宏太 たけさわこうたと言います。歯牙無い大学生ですよ。
あなたのお名前は?


…………おや、素敵な名前ですね。
今流行りのキラキラネームじゃないんですね。
失礼ですけど、あなたのお年でキラキラネームは、何だか可哀想に感じられますものね。
おっと、お気を悪くしないでくださいね。

僕の大学、キラキラネームが多いんですよ。
やれ蜜月と書いてハネムーンちゃん、夜光と書いてクラゲちゃんだのと。
だからつい気にする癖がついちゃったのです。

もうね、周りが眩しくてたまらない。

もうね、周りがゆるキャラだらけに思えてきます。

名前の遊園地ですよ。


そこへいくと自分の名前の有り難さをしみじみ感じますね。

名前というのは、やはり大事なものです。

大昔の人は自分の名前を人には簡単に明かさなかったようですね。

なぜって?明かすと呪われてしまうからですよ。

同じような話は日本の平安時代にも、西洋の文化圏にもありますね。

…………ところで、私が勤めている旅館の話をしますけど。

そこは明治時代から建っているらしいですよ。

何でも、そこには地域の特産物が何も出ない
農業にも適した土地ではなくロクなものが取れやしない
枯れ果てた土地だったようです。

そこへ、困窮した村人達が日がな神に祈りを捧げていたら、
ある世、村人の夢にお告げが現れて、示された場所を掘ってみると湯が湧き出したという。


……素晴らしい話でしょう?僕ね、こういう話は信じてしまいますよ。

以来この土地は秘湯の温泉地として栄えていると。

栄えている……。

ふふふ、栄えているのはその温泉の持ち主だけです。
その村人の子孫ですね。


そこ、温泉以外にはろくな建物がないですもん。

旅館が三件ほど、傍に小っちゃな小っちゃなバラック小屋のようなバス停、足元は石の積まれた河原が広がり、そして激しい音を立てて流れるダム堤防がある……。そんな場所です。


僕は旅行も兼ねたような気分ではるばる旅館住み込みバイトに来たわけですよ。

ええ、物見遊山感情は否めません。

何せ都会の人間からしたら僻地ですよ、ここは。


車が無いので、電車を乗り継いで来ました。

まあ旅館自体は問題なく、平々凡々のありきたり旅館でしたね。

旅館の中にリネン小屋がありましてね、大量のリネンを洗濯機で回転させ、乾燥機械で乾燥させ、短時間で取り込みます。
それを両手に抱え、一日の内に三回は往復するわけです。

そばに焼却炉もありましてね……。
旅館中のゴミも集め自分で燃やすわけです。

そしたら夕食の豪勢なおもてなし料理作りのお手伝いと
旅館の一日はフルスピードですよ。

そんな大変な一日が終わったら
私ども従業員も、温泉のお湯をいただけるわけです。

温泉はとても気持ち良いですよぉ。



透明な泉質ですがお湯の感触が不思議でね。

何だかヌルヌルしてるんです。

鼻を近付けて嗅いでみると、赤サビのような鉄サビのような
何とも言い難いにおいがプンと微かにする。

ここの温泉は独特で、全国にファンがいるそうなんです。

この温泉、何か秘密がありそうだと思いませんか?


選択肢

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ええ………。実はあったんですよ。温泉には秘密がね……。


そこの旅館、何か変だなぁって思ってたんですよ、前から。

女将にあたる人がいないんですよね。

番頭と従業員だけ。

不自然だと思いませんか?


そしたら従業員からこんな噂を聞かされたんですよ。


それは10年も前のことです。


ここの女将は、自分の美しさに固執していました。

もともと地元のスナックパブで酔客相手の仕事をしているような人だったみたいですね。


見初められてこの旅館に嫁いだそうですが


横暴な威張りんぼだったので

従業員からは腹の底で悪く思われていました。


そんな女将が気に入ってたのが、この温泉。


何でも、「浸かる化粧水だ」と言っていたようです。

一旦自分の身を沈めれば

たちどころに昼間太陽にあたりすぎて出来てしまったシミは消え

薄らつきはじめたシワはまたハリを取り戻し

頬の血色は薔薇色に染まり

毎日浸かっていれば一年後に二歳は若返っていると。

さて、女将と従業員の対立は日増しに増し、女将はとうとうこんな風に思い始めました。


「あいつらにこんな素晴らしい温泉を浸からせたくない!」


と。

わがままな女将さんは、それでどうしたと思います?

へ?お湯に酸をまいた?

おっととっと。それじゃあ自分も入れなくなってしまうでしょう?
大丈夫ですか?


正解は従業員を一人ずつ殺していってしまったのです。

そうです。湯に浸からせたくないばかりに、従業員を一人ずつ殺していったのです。

従業員を夜中に誘い込み、温泉の前まで来させます。


そして囁きます。


「この湯の底を見てごらん」


従業員が言われた通りに底を見つめると


髪の毛を掴んでバシャッと沈めてしまう。


えっそんなことしたら死体は見つかりすぐ捕まってしまうじゃないかって?


……それが、不思議なことが起きたのです。

従業員を沈めた温泉がキラキラと輝き出し


不思議な光を放ちました。


女将は直感的にお湯が喜んでいる、と感じたそうです。


沈めた従業員の体が溶けだし、血も髪の毛も皮膚も内臓も


全部、お湯の中に跡形もなく、吸い込まれていきました。

後には
何も残らず、お湯が真っ赤になるわけでもなく、元の綺麗な水質のまま。

女将はなぜだか無性にこのお湯に入りたくてたまらなくなりました。


服を脱いで、身を投じてみたのです。


そしたらなんと、浸かった肌がキラキラとラメのようにみずみずしい光沢を放ち、光輝いているではありませんか。


それから女将は、気に入らない順に従業員を沈めていきました。

そしたら1日で、二年どころじゃない、物凄い速さで若返っているのです。

旅館中、従業員が消えると大騒ぎになっています。

まさかお湯に溶けてるなんて思いませんよねぇ。

…………ええ、流石に従業員が一通り消えたところで気付かれますよ。
いきなり辞めて逃げたのではなく、日頃仲の悪かった女将が何かしてるんじゃないかって。

でも気付いてしまった夫や、夫の両親まで、沈めたのです。


旅館にポツンと女将一人しか居なくなった頃には、外見はまるで10代のような姿になっていたようです。


そして最後には着物を脱ぎ捨て、自分も湯の中に入り、溶けていってしまったようです。


…………………それから今の旅館のオーナーに移り変わったわけですが、いわくのある女将のお湯を怖がって


もう二度と女将職の人間は置かなくなっちゃったようです。

…………その温泉ですか?まだありますよ。

僕もたまに浸かってますよ。

若返るか?僕元々若いですよ。大学生ですもん。

まあ、何事もない温泉ですよ。ただの。

やっぱり人を沈めないと、あの温泉、
素晴らしい効能は発揮されないんじゃないかなぁ………。ふふふ。

女将はどうなっちゃった?


さあねぇ…………。


お湯だって入れ替わりますもん。下水道を流れて

今頃は海の中を流れてるんじゃないかなぁ。あはは。

一体そのお湯は何だ?

お湯の正体ですか…………。

これは僕の推察なんですが

温泉が湧くようになった村人の神への祈りの話ありましたよね?


あれね、イケニエを捧げてたんだろうと思いますよ、きっと。

そう、生け贄。

その時の名残がまだ息づいてるんじゃないかなぁ。

きっと人柱なんでしょうね。あれ。

おっとと。そんな話をしている間にあなたがおりるバス停、とっくに通りすぎてますよ。

もう僕が降りるバス停だ。

あはは。そんな慌てないで、せっかくだから
女将の湯を見に行きませんか?


それで、良い記事を書いたらいいじゃないですか?新聞記者なんだから。
うちの旅館も良い宣伝になりますって。


こっちです、こっち。
従業員専用入口を通って、温泉館の閂を外します。


……どうですか?

底に何か見えたりしないでしょうか?

さっきの話の後でそんなこと言うなよと。ふふふ。

怖がりですねぇ。


━━━底に何かが映っていた。

それは人の顔であろうか。

女のような顔だった。


女が悪魔のような笑顔で笑っている。

目元は真っ黒で、歪んでいる。━━━


「すみませんねぇ。女将が言うんですよ。連れてこいって」


大きな水飛沫音をあげて、私は突き落とされた。

体を上げたくても水が手足に絡まって体を起こせない。

「もう少ししたら僕大学に戻るんで、それまで女将の言うこと聞いて無難に仕事してたいなってね。


嫌じゃないですか?人間関係でこじれるのはどの職場でも」

耳に水が入り込み、もう何を言っているんだかわからない。

次第に私の体はズルッと皮膚が剥け中の内容物が外に漏れだした。


バッドエンド  水の底には







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