嗤う繊月 ⑥
閑話 『駅の構内のベンチ』
まったく、あの男は何だったのだろうか。
役場勤めを称するさっきの男は、非常に不愉快な、神経を逆撫でする男だった。
不気味な思いをして、命からがらトンネルを抜け、吉岡の元からも走り去り、山を降り、広大な道路に出て、農道を来た道に逆戻りした。
あの男、尾行けてきてないだろうな?
度々背後を振り向くが、ちゃんといないようだった。
心臓に悪い思いをした。あの声、あの手を掴まれた感触。幽霊……。
幽霊は、本当にいたのか。いるのか。
初めての体験だった。
もしや、あの男、最初から作り話で、あの男こそ誰かとグルになって心霊を材料にした悪戯をし、誰かを捕まえてはああしてハメていたのかもしれない。
どちらにしろ、心臓は痛いほど高鳴ったので、熱い風呂に入って、何もかも振り払おう。
そうしよう…………。
翌日、また変わらずバスに乗り、新聞社に出勤した。
然もない発行部数の地方紙。
コピー機とデスクとを往復しながら、パソコンに向き合い文章を作成する。
人の記事を校正し、電子版の新聞内容に使われている動画や写真の全チェックもし、デジタルで送られてくる送稿も都度確認する。
私は非正規なので、取材や外回りに行く業務は社員に比べて少ないが、その分やることは細々としていて、全て面倒くさい。
広告会社からの広告ゲラチェックをしながら、器用にも、同時進行で印刷会社にデータを送り入稿をする。
内勤的な業務が主業なのだ。
このゲラというのは……ゲラ刷りのことだ。広告原稿の見本刷りのことである。ゲラの由来は、昔は活字版……活版印刷の活版のことである……を長方形の箱にしまっており、その箱の英語名ギャリ―がなまって「ゲラ」と呼ばれるようになったらしい。
おおまかに、この小さい地方新聞社の中は「取材部門」と、整理と校閲が中心の「内勤部門」とに別れていて、私は後者の人間である。
といっても、内勤部の人間が取材に出かけたり、取材部の人間が校正をしたり、社員の中ではその境界線が曖昧である。
締め切りに追われている中、スケジュールが短時間でも空いたお手隙になった人間は、どこにでも、何にでも使われる。
私が主に内勤だけを今の所やらされているのは、正規勤めではないからである。
ボーンと、時計がなった。
時代にそぐわない、古めかしい、年季の入った振り子時計が壁に設置されている。
時代の最先端の象徴でもある新聞社にはそぐわないのか、それとも歴史ある新聞社にはかえって、”らしい”のか、古典的な機械式の焦げ茶色の大きな振り子時計はずっとこの会社にある。
けしてチープではない、報時の鐘声の音色。
大きなのっぽの古時計に歌われるような時計が、今、私の終業時刻を告げた。
電車に乗り、四駅目で降りて、そこからバスに乗り換え我が家に帰るのが、常日頃の通勤路だ。
慣れた駅名のアナウンスが中耳を伝わり疲れた頭に響くと、急いで、カバンを脇に抱えながらホームに降りた。
駅の構内は狭く、駅員の姿は見えず、いるのだろうが奥に引っ込み続け、ほぼ無人駅舎と化している。
駅の一角には、喫煙も出来るベンチの並んだスペースがある。
私は自販機で適当な飲料……コーヒー牛乳を買い、ベンチに座り込んだ。
と、そこには、コーヒー缶を片手に持った先客が、既にベンチに腰を下ろしていた。
ネクタイを締めていて、髪の毛は乱れなく切り揃えられた、まるで学生のような男だった。
その私の真向かいにいる男に、つい頭を下げて挨拶すると、彼は微笑みで返し「いやはや、今晩わです」と同じく挨拶をした。
男は私を見ると急にこういった。
「最近心霊スポットにいったんじゃ」
私はびっくりした。
「なんで、それは」
男は私の頭の上に怪訝な視線を向けている。
男はひっそり、訥々と話し始めた…………。
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