230210 安易に志望校を下げるな、公立中高一貫校を志望するな

 旅行記ばかり書いていてもつまらないので、たまには全く違う内容の記事を書いてみることにします。その名も、「安易に○○するなシリーズ」。ぼくが好きな英語の先生に今井宏という人がいるのですが、この人がむかーし(2009年頃)ブログに書いていた記事にあやかって記事を書いてみることにします。
 ぼくは今、どこかの中学受験塾(どこかは言っちゃいけない決まりなので秘密)で中学受験生を教えていますが、その中で感じた「○○するな」を記事にしていきます。ま、受験業界の片隅にひっそりと生息するしがない講師の寝言くらいに思っておいてください。

安易に志望校を下げるな:「ちょっと頑張ろう」

 中学受験塾というのは大変単純な場所で、目的が一つしかありません。「志望校に合格すること」です。逆に言うと、これさえ達成されていれば多少の荒事は許容される不思議な場所が中学受験塾であると言えます。ぼくが遠い昔に5APIX(仮名)に体験授業に行ったら国語の先生が机を蹴って暴れていましたが、それが許されるのが中学受験塾なのです。もっとも、ぼくはそれを見てSAP1X(仮名)に入るのをやめて四谷大塚にしたのでこのやり方には賛否両論あるでしょうし、そもそも机を蹴ること自体がこの令和の時代に許されるのかという別の議論の余地もありますが、このような人でも講師として生存しているということは塾としてはそれを容認していたと言えるでしょう。別にぼくはSAP/X(仮名)に恨みがあるわけではなくて、算数の先生はぼくだけ習っていない単元をやるときには演習時間につきっきりで見てくれたし、社会の先生は四谷大塚の地図帳しか持っていないぼくにわざわざ何ページを見ればいいか教えてくれたし、いい思い出もそれなりにあります。
 いきなり何の話か分からなくなっていますが、要するに受験をする上で志望校というのが最も重要なファクターであり、さらにぼくが声を大にして何度も言っておきたいのが、タイトルにもある通り「安易に志望校を下げるな」ということです。
 どこの塾でも秋になれば毎月模試があって偏差値が出て判定が出て、「あなたが○○中に受かる可能性は80%です」とか「50%です」とか言われるわけですが、それを真に受けた保護者が「うちの子、志望校を下げた方が良いでしょうか・・・」となるのが塾の毎年の風物詩。しかし、9月10月の段階で志望校と現実の偏差値が15も20も離れていたらさすがにあきらめた方が良いと思いますが、10くらいの乖離なら迷わず第一志望を目指すべきだというのがぼくの考えです。なぜなら、そうすることで子供を奮起させることができるから。今まで色々な子供を見てきてわかったことに「子どもは、『頑張れば達成できそう』くらいの目標を与えると一番伸びる」というのがあります。もちろんこの「できそう」は人によって変わりますが、「絶対無理」と「楽勝」の間にある「頑張ればできそう」が子どものスイッチを入れるポイントなのです。そのスイッチを押すためにも、「ちょっと無理かな」と思ってもチャレンジする必要があるとぼくは考えています。
 実はこの「ちょっと頑張ればできそう」はぼくが授業で頻繁に取り入れる方法で、例えば「明日の漢字テスト20問、満点取れるように頑張ってみよう」と声をかけるとまだ「勉強<遊び」の4年生でも勉強してくるものです。夏期講習でやっている漢字テストでも毎日「明日も満点取ろうね」と言い続けたらクラスの平均点がほぼ満点に張り付く状態が続いています。例えばカリキュラムテストの前になっていきなり「今度のテストでは8割取ろう!」とか言っても大体の生徒は「そんなの無理です」と言いますが、「漢字テストで毎日満点を取ろう」なら「あ、できるかも」となるわけです。しかも、「漢字テストで毎日満点取ろう」では「無理」なのに「明日の漢字テストで満点取ろう」だと「できそう」となるのが大変面白くまた難しいところ。小学生はまだまだ単純なので毎日「明日の・・・」と言われれば講師が遠回しに言っていることが「毎日満点」であると気づかずに目の前のテストに一生懸命になってくれます。
 また話が逸れていますが、この「ちょっと頑張ればできそう」の実践が「ちょっと厳しそうな志望校を変えずに目指す」なのです。こんなことを言っていると「そんなこと言って全落ちしたらどうするんだ」とか言ってくる人がいるわけですが、きちんと併願を組めば全落ちなんてまずあり得ないのであって、そんなことを心配するより先に黙って勉強したらいいと思います。中学受験の全落ちなんて親が夢を見て塾の言うことを聞かなかったケースがほぼ100%、たまーに「受験期間に本人のメンタルが持たなかった」とか言う人もいますがそれだって2月の3, 4日に挽回のための策を打たなかった大人の責任です。全落ちが怖いなら併願を考えればいいだけで会って、少なくとも志望校を下げる理由にはなりません。

安易に志望校を下げるな:併願校合格

 ぼくが考える「安易に志望校を下げるな」のメリットはもう一つあって、それは「第一志望にチャレンジするために勉強することで学力が上がり、併願校の合格がつかみやすくなる」ということです。偏差値55の子が偏差値63くらいの学校を目指して勉強し、結局偏差値57~60くらいの講師的には「妥当」な志望校に落ち着くというケースはままあります。
 というかぼく自身がそうなのであって、ぼくは麻布を目指して芝に行った人間です。ぼくの受験を振り返る記事もそのうち執筆しようと思いますが、当時のぼくの偏差値は60-63くらい、麻布の偏差値は66とか67とかそれくらいでした。まさに「ちょっと上の志望校を目指す」なのであって、そこを目指したおかげで芝の合格を勝ち取れたと思っています。ぼくは6年生の夏休み明けにあった組み分けテストでなぜかSコースに上がってしまい(なんで上がったのか未だに謎)、男子の半分以上が聖光学院に進学したとんでもないクラスに放り込まれたのですが、それと同時に麻布コースに入ることになりました。麻布の学校別対策テストでは算数が122人中120位というとんでもない成績を取り、それでも「すごい、ぼくの下に2人もいた!」とか言っていた記憶があります。なお、ぼくの名誉(そんなものはない)のために言っておくと社会の順位は122人中9位でした。うにゃにゃ。にゃごにゃご。
 それはさておき、麻布コースで毎週算数の難問を解き、文章読解をし、理科の問題を解き、社会の先生の雑談に爆笑しているうちに学力は伸びていたのだと思います。結果として麻布には落ちましたが(さすがに6年生の12月にスイッチが入った人が入れるほど簡単ではない)、ここでハイレベルな問題をハイレベルな先生に教わり、また自分の校舎でも予習シリーズを執筆するような先生たちの授業を受けたことが芝の合格につながったと言えるでしょう。4日の芝とは御三家に手違いで落ちた人たちが熾烈な競争を繰り広げる場であるわけですが、その試験を勝ち抜けたのは「ちょっと上」の麻布を目指して麻布コースで勉強していた結果であると思います。9月に麻布コースに入れず、校舎でのんびり「四科のまとめ」を使った授業を受けていたら芝には受かっていなかったでしょう。
 だからこそ、ぼくは「安易に志望校を下げるな」と言うわけです。そもそも親が不安そうな様子を見せるだけでも子供にはストレスになりますから、「模試の結果?ああ、見た気がするけど気のせいかな~」くらいのスタンスでいた方が良いと思います。

安易に公立中高一貫校を志望するな

 なぜか知りませんが最近、公立の中高一貫校が人気ですね。東京近辺で言えば「桜修館」とか「小石川」とか「南」とか「サイエンスフロンティア」とか。学費が格安なのが人気の理由なのでしょうが、倍率が7倍とか8倍とか、とんでもないことになっています。実はこれでも下火になった方で、数年前までは10倍を超えていることもありました。しかし倍率が下がったから簡単になったということはなくて、受験者のレベルは上がっています。要するに、昔は学校でちょっと勉強ができる子が「もしかしたら♨」という期待のもとに受けていたのが「そんなんじゃ受からん」ということになり、この手の記念受験組が消滅したので倍率が下がったというわけです。したがって受けに来るのは塾に通って特訓を受けた猛者ぞろいで、ハイレベルな争いになっています。
 しかし、この現実は一般社会ではあまり理解されていないようにぼくは思うのです。誤解を恐れずに言えば公立中高一貫校に受かるのは御三家に合格できるレベルの能力を持った天才と、素養があって優秀な講師から特訓を受ける機会に恵まれ、その内容を飲み込めた秀才だけ。「受験はしたいが無理はさせたくない♨」「経済的な負担を抑えたい♨」とか呑気なことを言っている人が合格できるようなテストではありません。このことを知らずに「なんかお金がかからない中高一貫校があるらしい」という評判が広がり、大体公立を目指すコースというのは学費が安い(中学生になっても通う人が多いからそちらで回収できるので学費が安いのです)ために「あら、うちでも中学受験できるじゃない♨」となっているのでしょう。何とも不幸なことです。
 公立中高一貫校にはよほどの天才か秀才しか受からないというのがどうしても信じられないというなら公立中高一貫校の問題を見てみれば良いと思います。理系は教科書の範囲を出てはいないものの大人でも解けないような問題が並び、文系は記述問題の広大な解答用紙が並び、挙句の果てには作文問題まで出題されるのが公立中高一貫校の入試改め「適性検査」なのです。しかもこの作文、本番に費やせる時間は多くても20分。20分で論理的な整合性を持ち作文の形式に則った400字の作文を完成させるというのは並大抵のことではありません。どう考えたって私立の難関校の方が良心的な出題をしています。私立なら大体「あれ、これ見たことあるな」という形に収束するような問題が出題されますから。いきなり「この文を要約し、筆者の主張についてのあなたの意見を書きなさい(400字)」とか言われても困っちゃいますよね。
 公立中高一貫校は、良質な中高一貫教育の場を広く開いたという意味では重要なものだったとは思います。ぼくが受験した頃は公立中高一貫校が出始めた時期で、先生から「受けてみたら?」と冗談交じりに言われたこともありました(先生としてはどの学力層が受かるのか調べたかったのでしょう)。しかし、今では御三家を目指すような、何なら合格するような子たちが「もし受かれば学費が格安で済むし、せっかくなら公立中高でも受けてみるか」と言って受けに来るようになったことで難易度が急上昇し、その本来の趣旨とは違う様相を呈するようになりました。しかし一部の受験生の、というか保護者の認識は「うちの子も頑張れば憧れの中学に♨」みたいなところで止まっていて、塾も塾で「誰にでも可能性があるのが公立中高一貫校の適性検査です!」とか無責任なことを言うので毎年悲劇が繰り返されているのです。
 挙句の果てに塾は「小学生のうちから学習習慣を身に着けることで・・・」とか自分の役割を放棄するかのごとき発言を始めます。成績不振の生徒の保護者に使う常套句ですが、控えめに言っても意味不明、なぜ受験塾が自らの使命を放棄するのか全く分かりません。学習習慣を身に着けたいなら何もわざわざ勉強が大変な中学受験塾に通う必要はないでしょう。補習塾に行くか、家で「進研ゼミ」でもやって、塾がない日はお友達と遊んでいた方がよほど健全というものです。「中学受験生は中学入学後にもアドバンテージがあって・・・」とか言う人もいますがそんなのは「誤差」ないしは「気のせい」であって、中学校に入って以降に勉強しなければどうにもならなくなるのは自明の理だということは言うまでもないでしょう。
 結論、公立中高一貫校にどうしても行きたいなら、御三家を目指すのが最短、そうでなくても御三家に受かるようなレベルの勉強をこなし、作文の練習をし、公立中高一貫校用の問題集を何周も回すくらいの努力が必要だと思います。それくらいの勉強をして、当日に幸運を手繰り寄せることができた強運の持ち主だけが合格するのが公立中高一貫校です。その覚悟がないなら家で「進研ゼミ」でもやって、お友達と遊んでいた方がよほど健全な小学校生活が送れます。

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