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write「書く」の語源は、writana「彫る」。
すなわち、この世界に「彫って刻んで残す」

日本語の「かく」には、書く、描く、画くと
色々とありますけれど、
そのおおもとの語源は「掻く」、すなわち
土や石や木を「ひっ搔いて」刻んで残すこと。

紙やペン、ましてやPCやスマホがない時代から
人間は「かく」ことをしてきました。
そう考えますと、write、書くという行為は
まさに何かしらの痕跡を
この世に表わし、残すこと
、だと言えます。

ただし、私はこの文章を
PCをチャカチャカ打ちながら書いております。
「彫る」「掻く」というイメージは皆無です。
いざとなれば選択・デリートで
一気に消すことだってできる(記事そのものも)。
逆に、どこかにある文章を
引用コピペすることすら、可能です。

つまり現代は、「write、書く」という行為から、
「彫る」「刻む」「掻く」というような
ガリ版ガリガリ的な、
生々しい、何か血とか樹液とかインクとか、
そういうどろどろなリアルを感じにくい時代。
ちょっとつるんとした、ドライな時代です。

ただ、そんな時代だから「こそ」、

書く、という行為にはそういう
リアルでウェットな一面があることを
常に意識しておきたい
、とも思うのです
(もちろん意識するだけで、手書きに戻せ、
という意図ではありません、念のため)。

彫る、には、掘る、という一面もある。
「深掘り」です。
書くことによって、深掘りができます。
それはnoteやリンクトイン等で文章を書いている
皆様が体感していることではないでしょうか?

自分の思考、体験、徒然を
言葉によって「外に」見える化することによって、
自分の心の「中を」深掘りしていく。

それだけではなく、見える化することで、
他人の心に痕跡を残すことができ、
他人の言葉すら得られたりもします。
具体的には、記事にコメントを頂けたり…。
いや、そういうものが仮に無かったとしても、
書かれた言葉はこの世界に何かを
「刻んでいる」ように、私は思うのです。

かくかくしかじか、という言葉があります。

これは「書く書く鹿鹿」ではなく、
「斯々然々」という漢字で書きます。
意味としては「こうこうこういうわけで」。

つまり
「具体的に内容を書かず(話さず)、
具体的な内容の代用として用いる表現」です。
「兄におもちゃを取られて、言い争いになって、
弟が先に手を出して、ケンカになりました」
という具体的な内容を説明するのではなく、
「かくかくしかじかでケンカになりました」
(あなたにはわかってるでしょ?)
というようなニュアンスで、使います。

…この、あなたにはわかってるでしょ?
が、誠に曲者でして。

人間、自分のことは、よくわかります。
しかし、他人のことは、わかりません。
「かくかくしかじか」で通じると思っても
実はしっかりと彫って刻んでおかないと
わかってもらえない、ということが、多い。
誤解も、曲解も、増えてしまいがちです。

特に、こんなフェイクニュースも混ざった
情報爆発の時代では。
「書く」から「彫る」が失われた、
デリート&コピペ全盛の時代では…。

そう考えていった時、
「しっかりと書いておく」という行為は、
自分のことを「深掘り」し、
自分のことを「世の中に刻んで」、
相手に自分を「わかってもらう」ために、
必要不可欠なこと
のように思うのです。

読者の皆様は、いかがでしょうか?

とても大事なこと、相手に伝えたいこと、
世界に残しておきたいことなのに、
「かくかくしかじか」で省略していませんか?

かくいう私も、つい省略しがちです。
なので、記事に書いて、残しておきます。

なお、余談ですが、東村アキコさんの
「かくかくしかじか」という漫画
があります。
これは、いかに自分が漫画を「描く」ように
なったのかという経緯を、
「かくかくしかじか」で省略せずに、
赤裸々に丹念に「描いた」漫画です。
女性漫画家版の『まんが道』という感じ。
とても面白いので、もしよろしければ、ぜひ。

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