治水のゴカ

水に流す日本 ~理解されないのも「しょうがない」?~

1、日本より海外で好評

この記事では、取捨選択と決断について書いてみます。

捨てると言えば、片づけが思い浮かびます。こんまりさんこと近藤麻理恵さんは「片づけコンサルタント」として有名です。著書などに触れた方も多いのではないでしょうか↓。

アメリカでは社会現象になるほど、大人気とのこと。

こんまりさんは、まず片づけを依頼された家に行くと、「瞑想」して心の中でおうちに挨拶するのだそう。

この「瞑想」と言えば、マインドフルネスという言葉を聞いたことはありますか? 簡単に言うと、今ここに集中すること。瞑想というと精神的で宗教的なものを連想してしまいがちですが、その誤解される部分を取り除き、誰でもお気軽にできるようにしたものです。詳細はこちら↓。

落ち着いて自分に向き合う。忙しい経営者などでも取り入れる人が多いとのこと。あのスティーブ・ジョブズも瞑想的なマインドフルネスを取り入れていたとか…。

落ち着いて自分に向き合うと言えば、先日の私のnote記事で紹介した「U理論」もそうですね。下って、U字の底で自分に向き合い、上る↓。

マサチューセッツ工科大学上級講師、C・オットー・シャーマー博士が提唱した、「新しい発想やひらめきはどうやったら生まれるのか? どう実践するのか?」ということを述べた理論です。人や組織にイノベーションをもたらす。発想の理論と方法。

こんまりさんの「片付け」。瞑想的な「マインドフルネス」。イノベーションをもたらす「U理論」。この3つについて、ずばり的確に共通点を指摘したnote記事を読みましたので、紹介いたします↓。

櫻本真理さんの「U理論と、マインドフルネスと、こんまりと。」という記事です。非常に面白い。ぜひお読みいただければと思います。

この記事では、この3つの共通点について述べられています。以下、引用します(太字引用者)↓。

U理論、マインドフルネス、こんまりという一見何のつながりもない近年の流行に共通点があるとすれば、それは「気づかないうちに囚われている枠組みやレッテルを手放し、自分の中に新たな価値を選び取る余白をつくる」ということでしょう。そもそもの本質が、仏教的な「手放し」の思想に原点を置いているように思います。
これは、多くの価値体系の中からそれぞれのあり方を選びとる自由と複雑性に耐え続ける不自由を与えられ、その中で新しい価値を生み出し続けることを求められる時代だからこそ、必要とされる方法論なのだと思います。

まさにその通り。逆説的になりますが、新しい価値を生む手に入れるためには「捨てる」「手放し」の思想が必要。

しかしこれは、日本では海外ほどには流行らない。

なぜならば、すでにこの「捨てる」「手放し」の思想は、(ふだんは忘れられているにしても)すでに日本では空気のごとく浸透しているからです(太字引用者)↓。

これにはいろんな仮説が考えられるかと思いますが、一つにはそもそもこの「手放す」という思想自体が仏教的であり、日本人にとっては欧米ほどに新鮮さを持って捉えられなかったということ。
ひとつの価値基準を信じ、PDCAサイクルをまわし、成長に向かい、富は豊かさだと信じる。
こうした価値観からの脱却がこれらのメソッドなのだとすれば、日本という文化に根付いた「関係性を重視する文化」「円環的な時間意識」といった価値観に鑑みれば、日本人にとっては「もといた場所に帰る」という感覚なのであって、改めて「ブーム」をつくりだすほどの新しい現象ではないからなのかもしれません。

もうあるから、ブームと言われるほどの新しい現象にはならない。

ロールプレイングゲームに親しんでいる方なら、「道具」を「捨てる」というコマンドはたくさん選んだことがあるでしょう。水菜が落ちている。これは「誰かの持ち物がいっぱいになったから『捨てた』」に違いない。せきしろさんは、自身の記事の中でこう表現しています↓。

日本では、「捨てる」「手放す」は、それほど珍しい思想ではないんです。なにしろ、総理大臣がお寺に座禅に行くこともよくありますから↓。

だからこそ、海外のほうでより好評にとらえられて、ブームになる。

なるほどなあ、と感じ入った次第です。

2、海外では理解されにくい「水に流す」

ここまでは、「捨てる」「手放す」が、日本ではそんなに珍しいことではない、という話を進めてきました。

では、なぜそんなに珍しくないのか? すでに例で出ていますように「仏教」や「座禅」「瞑想」などの影響は大きいと思います。

では、仏教伝来以前には、日本人は「捨てる」「手放す」になじみがなかったのか? …そうでもありませんよね。

「水に流す」という日本語があります。

いつまでも恨みやケンカをひきずらない。和解する。海に囲まれた島国ですから、そのままひきずっていたら、子々孫々までケンカしてしまい、共倒れになるからでしょう。稲作文化も関係がある。水を引いて、共同で田んぼを作る。いさかいが起こっても、長老が和解させる。「ケガレ」とか「お清め」など、日本独自の感覚・心情も関わっているでしょう。そのあたりをまとめた、こんな本も出ています↓。

この本の紹介文を引用すると…(太字引用者)↓。

「水に流しましょう」――日本人の間では日常的に使われる言葉だが、外国人にはまったく理解不能な心情・行動様式だという。「今まであったことを、さらりと忘れてしまうこと」(本書より)を指す「水に流す」が、日本人に深々と根付いた背景には、豊かな水資源を有し、稲作による共同体を形成してきた長い歴史が関係している。
「清浄」を尊び、罪や穢れを「禊」によって洗い流す。神社の神事から日本の村社会での民俗的風習まで、著者の博識と達意の文章によって次々と例証される「水に流す日本人」の暮らし・文化は、知識欲と心の奥底に深い充足感を与えてくれる。
『梅干しと日本刀』『逆・日本史』などのベストセラーで知られる人気学者であった著者による傑作歴史読み物。1993年刊行作品の新装版だが、その論ずるところは、「水に流す」より訴訟社会の進展や逆恨みによる犯罪急増などを思うにつけ、改めて日本人が考え直すべき美徳ではないだろうか。 

ここで問題となりますのが、冒頭のこの部分ですね↓。

「水に流しましょう」――日本人の間では日常的に使われる言葉だが、外国人にはまったく理解不能な心情・行動様式だという。

そう、「水に流す」という行動は、外国人には理解されにくいんです

だからこそ、主に物理的な「片づけ」「捨てる技術」なども、主に心理的な「マインドフルネス(余計な考えを捨て去って集中する)」「U理論(今までの視点を捨て去って新しい視点で物事を見る)」なども、すぐには理解ができず、新鮮な驚きでブームになったのではないかと思います。

この違いをこそ、自覚しておかねばと思うのです。

日本だけに目を向けていては、なかなかわからない心情・行動様式。日本では当たり前のことでも、海外では「アンビリーバブル」かもしれない。

3、海外で理解されないのも「しょうがない」?

となると、ですね。

日本人は、無意識のうちに当たり前の如く「捨ててしまっている」「水に流している」ことが多い、かもしれない。取捨選択は、取って「捨てて」選択と書きます。決断は、決めて「断つ」と書きます。

この行動は、海外から見れば「え、捨てるの? 断っちゃうの?」「え、あのことはどうなったの?」と思われることが多い。下手をすると「忘れっぽい」「過去に真摯に向き合っていない」と誤解されている、かもしれない。具体例は挙げませんが、あなたの脳裏にも、いくつかのそういった事象が思い浮かぶかもしれません。「水に流す」ことは、海外から見れば理解しがたいことなのです。

これは世界情勢とか日本社会などの大きいスケールだけではなく、個人レベルでも多いと思います。つまり、私たちは無数の「取捨選択」と「決断」を、知らず知らずのうちに行っている。しかも、「水に流す」文化が強い日本では、「捨てられた選択肢」「断たれた選択肢」を、文字通り「水に流している」。つまり、忘れている可能性が高い。

そんなことないよ! 私はいつまでも、他の選択肢を覚えているよ! 過去に目を向けないと現在も見えないよ!という人もいるかもしれません。

確かに、過去の自分に詳しい人、過去の選択肢にとらわれている人、いつまでも分析している人もいるでしょう。しかし、それは自分の中での「重大な決断」に対してであって、そうではない、実は自分の中で重大なのにそれに気づかない、軽視している決断に対しては、「しょうがない」と忘れているのではないですか? 「昔のことをぐちぐち考えたってしょうがない」と思っているのではないでしょうか?

実は、「しょうがない」という言葉、これまた非常に日本的な言葉なのです。英語では一言で表しにくい↓。

このようにいろいろな英訳が考えられますが、この「しょうがない」について、仏教の僧侶である大來尚順さんがこのような記事を書かれています↓。

少し引用してみましょう(太字引用者)↓。

この「しょうがない」という言葉は、通常は英語では「It can’t be helped.」と表現されます。直訳すると、「それは、助けられない/避けることができない」という意味になります。これは日本語の「しょうがない」の対訳としてもよく知られる英語の表現で、私も当初はよく使ったフレーズです。
しかし、あるときふと気がついたことがありました。それは、ネイティブの人々はめったに「It can’t be helped.」というフレーズを口にしないということでした。
私なら「It can’t be helped.」と口にするタイミングで、ネイティブの方は、「That’s life.」(それが人生だ)「That’s the way it goes.」(そうなるようになっているんだ)という表現を使っていました。共に何かを「あきらめる/あきらめさせる」という意味には変わりないのですが、どうも私が意図する「しょうがない」とネイティブの方々が意図する「しょうがない」では、少しニュアンスに違いがあるように思えました。
「It can’t be helped.」という「手立てがなく、助けられない/避けられない」という意味を表現する英訳は、日本語の「しょうがない」の意味に合致するように思えます。しかし、これはやっぱり日本語の観点から英語に翻訳した表現であり、実際の英語では違和感のあるもののようです。
一方、実際にネイティブの方が「しょうがない」という気持ちを英語で表現するときは、「That’s life.」「That’s the way it goes.」などのフレーズを使います。よく英語を分析してみると、これは「誰か」によって定められたというニュアンスを感じます。その「誰か」とは、おそらくキリスト教の「神」だと推察できます。

さらに詳しく知りたい方は、記事を読んで頂きたいのですが、要するに日本語の「しょうがない」は、英語では訳しにくい、理解しづらい概念だということです。これも「水に流す」と同様、日本では無意識に使ってしまいがちな言葉、海外では理解されにくい言葉です。

過去にとらわれすぎない、現在を生きる、明日へと生きる。

これは日本人の美徳であり、同時に欠点でもあります。

だからこそ、過去を教訓としつつも、かつ、過去にとらわれすぎない、明日につながるような現在を過ごせるような、「意識して『水に流さない』『しょうがないで片づけず、とらなかった選択肢を、改めて考えて分析してみる』こと」が必要になってくるのではないでしょうか。

水に流されるよりも、自分で流れをつくる。時には流れに逆らって進む。

それが自分軸をもったライフパズルでプロティアン的な人生です↓。

4、明日のための自分史(とゲームブック)

いかがでしたでしょうか? この記事では、日本ならではの取捨選択と決断に対する心情や行動様式について考えてみました。

手前味噌ながら、「明日のための自分史」という記事を書きましたので、興味のある方はぜひご一読を↓。

また、さまざまな「選択肢」がとれる「ゲームブック」も、note記事で公開しておりますので、こちらもぜひ(宣伝)↓。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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