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歴史は「ようかん」に似ています。

切り分けられるんですね、自在に。
例えば「戦後史」というように
1945年という境目で切り分けて、
どんな展開があったのか語っていく。

…しかし当然ながら、
日本で「戦後」と言えば「1945年以降」。
しかし第二次世界大戦に未参戦の国は、
1945年以降は「戦後ではない」。


このように、歴史を「物語る」人と、
その歴史を思い浮かべる「受け手」とでは
認識が異なることがあります。
というかむしろ異なって当然、です。

多くの人が認めれば、それは
「正史」とか「大きな物語」と言われる。
少数の人だけしか認めないものであれば
「仮説」「珍説」とか「ファンタジー」、
「あなたの感想ですよね」
と言われる。

…歴史は「物語る」側面があるため、
ある特定の主観によって
取捨選択・トリミング・誇張されます。
いわば味付けがされている。

そのような前提から逃れられないのです。

なので「試験に使う」ためには
できるだけ事実に即して
「主観を交えず」表現する必要がある。
学校の「世界史」の教科書の記述が
無味乾燥になりがちなのは
いたしかたないことでもあるのです。
日本史ならまだしも世界史だと広すぎる。
色々と「配慮」しなければいけない。
登場キャラも膨大、インフレ気味…。

前置きが長くなりました。

本記事は、そういう「世界史」の
限界を踏まえつつも
「500年ごと」に切り分けて、私なりに
トリミングしながら概略を書いてみました。

世界地図を思い浮かべつつ、どうぞ!

≪西暦1年~500年≫

西暦とは「西の暦」です。
キリストが生まれた年とされる。
(実際には少しずれるそうですが)

東には東の暦があります(ありました)。
イスラム暦は太陰暦で西暦622年が元年。
日本でも明治維新後、明治五年に無理やり
12月を2日だけにして変えた(ひどい)。
そもそも「元号」があります。

今の世界の主流は「西暦」ですが、
昔は各地域で各暦を使うことが基本。

…ユーラシア大陸には、
俗に『四大文明』と呼ばれる
古代文明があったと言われています。
(本当はたくさん文明がありましたが)

◆東アジア地域(黄河文明など)
◆南アジア地域(インダス文明など)
◆西アジア地域(メソポタミア文明など)
◆地中海の周辺(エジプト文明など)

紀元「前」は各地で古代帝国が栄えますが、
西暦1年頃になると陰りが見えてくる。

例えば東アジア、中国のあたりは
「三国志」のイメージ。分裂して合戦。
南アジア、インドのあたりは
「仏教」が盛んでしたが、分裂。

しかし頑張っている帝国もあった。
西アジア、主にイランのあたりには
ササン朝ペルシアという大帝国。
地中海周辺ではローマ帝国
エジプトやトルコのあたりまで支配。

そこに3~4世紀のことですが、
北から遊牧民族がそれぞれを圧迫する。
三国志の中国の北には鮮卑族が来る。
西にはフン族が進出、
「ゲルマン人の大移動」を引き起こす…。
ローマ帝国分裂の引き金となる。

ちなみにこの頃の日本はちょうど
三国志のあたりで卑弥呼が出てきます。
稲作の「弥生時代」や古墳など。
徐々に「くに」ができていく時代です。

≪西暦501年~1000年≫

西暦610年頃、預言者ムハンマドが
西アジア、アラビア半島で
「イスラム教」を創始しました。
これが瞬く間に広がっていきます。
アラビア半島、イラン(ペルシア)。
西はエジプトから北アフリカ、
ひいてはイベリア半島、
今のスペインのあたりまで進出!
東は今のパキスタン、インダス川まで。

ただし、東欧のあたりには
「防波堤」がありました。
東ローマ帝国、通称、ビザンツ帝国!
この国が、長い間、西欧に
イスラム教が広まるのを防いでいた。
だからイスラム勢力は南から迂回し、
ジブラルタル海峡を越えてやってきた。

インドのほうにも防波堤がありました。
「ラージプート」と呼ばれる
ヒンドゥー教の国々が、しばらく
イスラム教の流入を防いでいたんです。
(結局は入っていくんですが)

紅海やインド洋はイスラム商人の独壇場。
いわば「船乗りシンドバッド」の世界。
東南アジアにも進出していく。

東アジアはこの「イスラム・インパクト」
とは(直接には)無縁でした。
「隋・唐」という大帝国ができて繁栄!
日本も遣隋使や遣唐使を送り、
国のかたちを整えていきます。

≪西暦1001年~1500年≫

このイスラム圏に対し、西から
ヨーロッパが対抗したのが「十字軍」
1096年から1272年頃まで断続的に実施!

結局、失敗するんですけれども、
商業が盛んになり「ルネサンス」が起こる。
またレコンキスタ(国土回復運動)が起き、
イベリア半島をイスラム圏から奪回する。

航海術の発達。スペインの登場。

…これが1492年の
コロンブス登場の土台になる。
逆に言えばここまではヨーロッパよりも
イスラム圏のほうが断然優れていたんです。

一方で「モンゴル・インパクト」もあった。
1206年にモンゴルをまとめた英雄、
チンギス・ハンとその末裔たちは、
東は南宋を攻め落とし「元」をつくる。
日本にも「元寇」として攻めてきました。

南はインドを圧迫し、のちの
「ムガル帝国」ができていく…。
ムガルとはモンゴルがなまった言葉です。

西では遊牧民族カラーのイスラムの帝国、
最強の「オスマン帝国」が爆誕します。
ヨーロッパを攻め、防波堤だった
東ローマ帝国、ビザンツ帝国が滅亡!

1453年のことでした。

≪西暦1501年~2000年≫

そう考えますと、1500年あたりの
ヨーロッパはかなり危険な状態だった。
「モンゴル・インパクト」は防いだが、
「オスマン・インパクト」の圧が凄い!

1529年、1683年には、オーストリアの
ウィーンまで攻めてきているのです。

東から敵襲。では西に出るしかない…。
いわゆる「大航海時代」は、
トコロテンのように東から
オスマン帝国の脅威に押されて
西に出ていった
という見方もできます。

しかしこれが、ヨーロッパの
世界席巻につながっていくんですよ。
「新大陸」を征服し、莫大な富を得る。

スペイン、オランダ、フランス、
そして大英帝国などの「列強」が
世界各地に植民地を建設していきます。
ひいては「産業革命」まで起きる。
いわゆる「近代化」の波が来ます。

この物凄い生産力を背景にして、
中東のオスマン帝国、インドのムガル帝国、
中国の清王朝を圧倒していきます。
1853年、日本にまでペリーがやってくる…。

こうして「ウェスタン・インパクト」
世界を覆っていきました。

「英語」が世界語、「洋服」が普段着になり、
「西暦」は世界で主流の暦になっていく。

20世紀に世界大戦が起きるまでは、
ヨーロッパの一人勝ち状態だったのです。

最後に、まとめます。

本記事では、500年ずつで分けて
「世界史」を(無理やり)概観しました。


読者の皆様がもし世界史を
この字数で書くとすれば、どうでしょうか。
どう切り分け、どう味付けしていきますか?

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