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LinkedInという街がある。

かつては英語しか通じず
転職者しか入れないと
思われていたが
最近は日本語もよく使われて
転職者以外にも来訪者が多い。

経営者、商売人だけでなく
見目麗しき自由職業の人に
声を掛けられることも、よくある。

文化の衝突も、起こる。
異なる背景を持った
人と人とが触れ合うのだから
当然だ。

衝突は、しかし
異国間だけではない。
同じ文化・言語を持つ者同士が
衝突することも多い。

…自身と比較しやすいがゆえに。

最初は違和感からだろう。
「あいつ、何言ってんねん」
「言動が気に食わない」
個々のスタイルが
あるから、そこには当然
自分とは相容れないスタイルの
者たちもいる。
自身が先鋭化するほど
包容力は失われがちだ。

「なんで小説連載してるんや」
「そんな場所と違う、他でやれや」
そう思われても不思議ではない。
「居心地の良さ」に
定評のある街だととしても、
負の感情までは防げない。

…読まなければ、いい。
癪に障るのなら。

だが「悪目立ち」という言葉が
日本語にはあるように
カチンとくる人のことほど
目に入り、意識するものらしい。

…最近、つながり数を増やす努力に対し
明確に非難されるような
意見がみられる、ということを
松本 淳 さんの投稿で知った↓

以下に、松本さんのこの記事から、
一部を引用したい。

『皆さま、いろいろな運用スタイルをお持ちだと思います。その中で、「つながり数を増やす努力」に対し、一部ですが、明確に非難されるようなご意見を目にすることがあります。

僕は、いろいろな考えがあっていいと思ってます。「つながり数を増やすことにはリスクを伴う」という主張も、別に否定するつもりはありません。そもそも、SNSを運用すること自体にある一定のリスク負担は不可避です。ここも一つの「社会」なので。

ただ、ご自分の思想を元に、他人の運用スタイルを非難したり攻撃したりするのは違うと思います。人に迷惑をかけない限りは、僕も皆さんの思い通りにやればいいと思ってますし、こちらも、自由にやりたいものです。

そうやって、互いの違いを理解しながら、うまく共存できればいいと思ってます。』

つながりを増やすかどうかは
個々のスタイル次第。

私はそう思う。

しかし「オレはあくせくと
つながりを増やそうとは思わないよ」
という人にとっては
「〇〇人とのつながり達成!」
という投稿を鼻で笑いたくなる、
そういう気持ちは、想像できる。

想像はできるのだが。

誰かの投稿を非難して攻撃するのは
良くないと思う。
「ああ、そういうスタイルね」
と遠ざければいいだけの話だ。

『自分の思想を元に、他人の
運用スタイルを非難したり
攻撃したりするのは違う』

この松本さんの言葉に、私は共感する。

誰かのスタイルを非難する、
ということは、裏を返せば、
自分のスタイルを認めて! である。
それは、他の人のスタイルを貶めて
相対的に上げるべきことでは、ない。

(自分にとっての)騒音を出す人を
非難するために
自分が(誰かにとっての)騒音を
出すことはない。
ただ、自分にとっての騒音を
ブロック・ミュートすれば
いいだけ
ではないだろうか。

…ただ、松本さんが
投稿内で提起した行動も、
「つながり増加批判者」から見れば
騒音に聞こえる、かもしれない。

「そういうアンタだって
つながり増加批判者を非難して
攻撃してるじゃん!
同じ穴のムジナじゃん!」
そう、思われるかもしれない。

そう思った人は、なぜ松本さんが
「あえて」強めの論調で
「問題提起」をしたのか、
想像してみると、良い。

松本さんは、あくまで
「共存」を主張されている。

街の自治は、黙っているだけでは
解決しないことも多い。
「自由権」と「公共の福祉」は
ぶつかることも多い。

そこが、誠に難しい、と感じた。

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