ひたち野うしく駅の近くには…
駅の歴史から、地域や時代の出来事が読み取れます。
ひいては、これからの地域の未来も、予想できます。
ひたち野うしく、という駅がありましてね。
茨城県の南部です。
茨城県を南北に走る「常磐線」の駅の一つ。
「ひたち…だから日立市?」
「うしく…だから牛久市?」
と悩むところですが、牛久市にあります。
「茨城(常陸の国)」の「平野」の「牛久の駅」。
本記事はこの駅についてのお話を…。
できたばかりの頃は、違う名前でした。
その名も「万博中央駅」。
そう、この駅は1985年に行われた
「つくば科学万博」のための
「臨時駅」として生まれたんです。
つくば市に直結する「西大通り」と
常磐線が交差するところにできた駅、だった。
北は荒川沖駅、南は牛久駅。
…臨時駅なので、万博が終わりますと、
当然、閉鎖になります。
ですが、住民の方たちの要望・請願などにより、
牛久市と住宅・都市整備公団が費用を負担して
新駅が開設されることになったのです
(JR東日本は採算が取れないと難色を示したとか)。
こういう駅を「請願駅」と言います。
1998年に開設。
常磐線の駅としては、最も新しい駅。
以来、約二十数年、順調に乗員数を伸ばしてきて…
と言いたいところなのですが、
この駅、乗員数の上がり下がりの歴史が激しい。
下がって、上がって、また下がる。
…さて、それぞれの年に、何が起こったのか?
2005年に、ある鉄道が開通しました。
その名も「つくばエクスプレス」。
略称、TX(ティーエックス)です。
この電車により、牛久市のお隣のつくば市と
東京の秋葉原が直結してしまいました。
東京に通勤する人口が、
そちら沿線に流れたんですね。
だから、常磐線のひたち野うしく駅の
乗員数が減ってしまった…。
しかし2012年には、
「つくばイオンモール」が開業します。
地方におけるイオンの集客パワーは、莫大です。
このイオンは駅に近い西大通りの近くに
開業されました。この駅からのバス利用が増えた。
それにともない、乗員数も増えていきました。
よしよし、盛り返してきたぞ、と思いきや。
2020年からはコロナ禍の拡大…。
東京への通勤自体が、減ります。
そのため、乗員数がまた減ってしまったのです。
このように、まるでシーソーゲームのように
乗員数の上がり下がりの歴史を持つ駅なのです。
しかし2022年6月、つまり今年(本記事執筆時)、
この駅の近くに、ある有名人が
本拠地を完成させ、大きな話題となっています。
となるのか、どうか?
さあ、クイズです。何ができたのでしょう?
ヒントは、牛久市ゆかりの人物です。
…
…
はい、答えは、
「二所ノ関部屋」ですね。
横綱まで務めた「元稀勢の里関」の、
「二所ノ関親方」の相撲部屋が、
この駅の近くにできたのです!
(2021年12月までは、荒磯親方でしたね)
「えっ、相撲部屋って、全部、
両国国技館の近くにあるんじゃないの…?」
そう思われるかもしれませんが、
郊外にある部屋も、けっこうあります。
東京は、やはり地価や物価が高い。
狭い部屋になってしまいがちですよね。
力士の方は体格が大きいですから、
狭い部屋だとぎゅうぎゅう詰めになる。
郊外のほうが、安く上がりますし、広いです。
その上、茨城県牛久市は二所ノ関親方の出身地。
部屋の住所自体は隣の阿見町になりますが、
数歩歩けば、そこは親方の地元の牛久市です。
「故郷に錦を飾った」と言ってもいいでしょう。
そもそも親方は、現役引退後に
早稲田大学大学院スポーツ科学研究科の
修士課程に入学して、
『新しい相撲部屋経営の在り方』をテーマに
修士論文を書いたほど、研究熱心な方です
(論文は最優秀論文として表彰されました)。
そういった改革まで提案しているんですね。
この提案に基づいてできた新しい相撲部屋。
約6千平方メートルもの、広大な土地に新築!
稽古場には、土俵が2面。
屋外にはバスケットボールができるスペース。
筋トレなどもできるトレーニング室を完備。
浴場は、銭湯レベルの広~いもの。
何と「ウォークイン冷凍庫」まである、と言います
(お相撲さんは、食べるのも仕事ですからね!)。
この「二所ノ関部屋」が、
最寄りである「ひたち野うしく駅」の
新しい注目スポットとなり、
駅の乗員数増加に
つながった…となるのか、どうか?
それはこの部屋の力士たちの
今後の活躍次第だ、と言えましょう。
さて、読者の皆様が住んでいる地域の、
駅はいかがですか?
駅にはどんな歴史があり、
その近くにはどんなスポットがありますか?
そんな視点でおなじみの風景を調べてみると
知られざる歴史、知られざるスポット、
再発見できるかもしれません。
そんなところに、
これからの地域の発展や再生へのヒントが
隠されているように思います。