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昨今のロシア関連のニュースを見るにつけ、
いにしえのモンゴル帝国がロシアの歴史に与えた
影響を考えずにはいられない。

モンゴル帝国の祖は、
ジンギスカン(チンギス・ハン)。
モンゴル高原から出発し、
ユーラシア大陸の大部分を占領する
広大な大帝国を築いた。

…と思われがちだが、実際には
ジンギスカンはあくまで最初のモンゴル高原統一、
帝国の基礎を築いた人物、であり、

モンゴル帝国は、代を重ねるごとに
彼の一族が広げていって、作り上げた。
そして広くなりすぎて、ついには分裂した。

そのうちの一つ。
ジンギスカンの長男ジョチ(ジュチ)と、
その子ども(つまりジンギスカンの孫)である
バトゥたち
は、ヨーロッパの東、
モンゴルから見れば西に、ある国を作る。

人呼んで、ジョチ=ウルス。
日本では、キプチャク=ハン国の名で知られる。

…モンゴル帝国軍は、とにかく、強かった。
重火器の無い昔、モンゴルの騎馬隊は
圧倒的で最強、であった。
歯向かう勢力は、どんどん征服された。

バトゥ率いるモンゴル帝国軍は、
1241年、何と現在のポーランドまで攻めていき、
レグニツァというところで
ポーランド・ドイツ連合軍に大勝した。
「ワールシュタットの戦い」とも言われる。

その余勢を駆って、一時はオーストリアの
ウィーン近くまで攻めたそうだ。
もしそのままでノンストップだったら
フランス、イギリスまで占領したかもしれない。
その後の世界史も、大きく変わったはずだ。

…だが、ここでモンゴル帝国の2代目、
指導者のオゴタイ・ハンが、急死した。
「後継者争いが始まる」
バトゥは遠征を中止し、東に引き返した。
「災厄は、終わった」
ヨーロッパの人たちは、ほっと
胸をなでおろしたことだろう。

しかし、ヨーロッパの東の端、
「ルーシ」と呼ばれた諸侯達にとって、
災厄は終わってはいなかった。
モンゴルの脅威は、ずっと残ったのである。

先述したジュチ・ウルス、
別名キプチャク=ハン国が、
ヨーロッパの東に、居座ったからだ。
ヨーロッパの東端の諸侯たち、ルーシたちは、
このモンゴル由来の国に、服従させられた。

モンゴル勢力による諸侯たちへの支配は、
俗に「タタールのくびき」とも呼ばれる。

「タタール」とは、モンゴルなどの遊牧民族を
恐れを込めて呼ぶ別称
(差別的な響きもありますが、あえて
この記事では歴史的な語として使用します)。
「くびき」とは、牛や馬の首の後ろにつないで
自由を拘束する道具のこと、である。

13世紀に始まる「タタールのくびき」は、
ロシア諸侯たちをずっと縛っていた。
それに対抗し、自由になるために、
彼らは長い時間をかけ、国を作っていった。
それが、ロシアという国の原型、である。
ピョートル大帝が、
いわゆる「ロシア帝国」の土台を固め、
このくびきから「完全に」脱したのは、
18世紀のこと、であった。

つまり、何百年もの長い間、
ロシアはモンゴル帝国、
ジョチ・ウルスの末裔たちに、
ずっと影響を受けてきたのだ。

このくびきから脱するために作られた国が、
ロシアだ、という一面がある。
いわゆる「西欧諸国」と「ロシア」が違う、
異なる様相が見られる、というのも、
このような歴史の積み重ねがあるからだと思う。

…そのロシアがいま、2022年、
自らの支配から逃れようとする国を、
圧倒的な重火器を持って、攻撃している。
「ロシアのくびき」から、逃れようとする国を。

歴史は、繰り返す。かつ、
繰り返さない面も、ある。

この事態は、どう推移していくのだろうか?

そういうことを私は、
昨今のニュースを見ながら、考えている。

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