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「働きマン」の逃走 ~鳥見桐人の漫画断面図8~

俺は、秋の好天の下、草野球の試合を眺めていた。

一塁と二塁の間にランナーが挟まれている。リードしすぎて、牽制球のため戻り得ず、野手に追いかけられている。その姿は、一見恥ずかしい。しかし、懸命にタッチをかわしている姿は、恥ずかしいながらも、チームの役に立つ。もし守備の連携のミスがあったら、ただで進塁できるから。

…しかし、ランナーは逃げられず、タッチアウトとなった。

俺は空腹を覚え、旧友の漫画喫茶「てなもん屋」で昼食を取ることに決めた。ランチのおともの漫画は決まっている。海野つなみさんの「逃げるは恥だが役に立つ」、ではない。通称「逃げ恥」は、先日読んだ。違う漫画。俺の脳裏には、安野モヨコさんの「働きマン」のワンシーンが思い浮かんでいた。

逃げる男。追いかける女。「逃げマン」と呼ばれる回の一場面。

ここで登場する「逃げる男」は、契約社員のライター。どっと仕事が押し寄せる。だがいくら書いても、キャリアアップに結びつかない。自分の名前を出した記事は書けない。功績はすべて他人のもの。

対して、「追いかける女」は正社員だ。雑誌の編集長を目指し、奮闘している。上司からも一目置かれ、部下からは(たぶん)信頼されている。性別を越えて「働きマン」と化した彼女は、しかし疲れていた。体調不良。初めての大チャンスなのに、期待のスタッフは病気で倒れた。膨大な仕事をこなさなければ、道はない。

そこから男は、逃げたのだ。しかし、罪の意識からまた戻ってきた。女を「手伝う」ために。女は鬼の形相で彼を追いかけ叫ぶ。男は恐怖のあまり、再び逃げ出す。

「手伝う」ではない、お前の仕事だ。

女はそのようなことを叫び、男を糾弾するのだ。

…「働きマン」は、21世紀が始まったばかりの頃に生まれた漫画。群像劇。登場人物たちは、それぞれの立場で働く。中には「仕事しないマン」も出てくる。ここでの「追いかける女」とは真逆。

作者の安野モヨコさんは、この作品を「リアル寄り」だと語る。リアルに寄っているがゆえに、例えば女性が易々と女性編集長や女性社長となるようなドリーム展開にはできなかった、と。だが、だからこそ「働きマン」は、世の中の「働く人たち」の胸を打つ。

◆逃げるは恥だが役に立つ
◆逃げるな、お前の仕事だ

この一見、相反するセリフを、どう昇華させるべきか…。俺は「てなもん屋」のドアを開けた。

「どうした、桐人。難しい顔をして」
「…日替わりランチ。あと、働きマンの逃げるやつ」
「ほい、2巻」

奴は俺のオーダーに応え、ランチの準備に奥へ入った。俺は2巻を読み始めた。

…なぜ、男は戻ってきたのか?

修羅場から静謐な安息地へ。しかしこの平安が、逆に彼の罪の意識を育てた。その意識に彼は負けて、戻った。逃げてしまったからには、もう自分の仕事ではないだろうと思ったのだろう。今からでも「手伝う」ことはないか、と女に言う。

その一言が、手負いの猛獣を逆上させたのだ。「手伝う」ではない、と。

つまり、この状況においてもなお、女は、逃げた彼の仕事だと言っているのだ。やりきるのが仕事だろう、と叫ぶ。正論。男は自分の仕事から逃げたのだ。逃げたことを女は責める。どちらが悪い? 男は自分が悪いと責め、女は男が悪いと責める。この2人の主観において、罪は明白なのだ。

もし、ここで笑いかけて「手伝って」もらえれば、女の仕事の負担も減ったはず。だが、彼女は許せなかった。「手伝う」と表現されたことに。その結果、男は再び逃走し、女は力尽きうずくまる。どちらにも不毛なダメージを追加する、再逃走劇。

どんなに人事を尽くしても、キャパを越える修羅場は出現する。その際に逃げるか、やり通すか。「働きマン」は「逃げる男」と「やり通す女」の対比を通じて、「仕事とは何か」という命題を読者に突きつける。

…店長が手招きした。スタッフルームでランチを食えと言っているようだ。奴も語りたいのだろう。

「俺はな、桐人。どちらかじゃない。どちらもあり、だと思う」

今日の日替わりのメイン、ハンバーグチャーハンを食べ始めた俺に、奴は話し出した。

「逃げる。やり通す。問題は、正邪じゃない。タイミングと覚悟なんだ。このシーンで男は、最も逃げてはいけない場面で仕事から逃げた。残された女が最もダメージを喰らう場面でな。しかも無断で。逃げるにしてもタイミングがある。彼は最悪だった。事実、この逃走で、彼は多くの将来を失った」

…先日、奴はバイトが1人、無断退職したことを嘆いていた。経営者の視点だ。俺の視点とは異なる。

「だが、それほど彼は切羽詰まっていたんじゃないか?」

「そこで、覚悟の有無なんだ。逃げるなら、覚悟を持って逃げ切れよ。戻って手伝うなんて軽々しく言っちゃ良くない。目の前の苦痛からただ解放されたくて男は逃げた。綿密な作戦と不退転の覚悟をもって退転するべきだったんだ。一度逃げたら、再び振り返ってはいけない。中途半端に戻ってきても、残された者が困惑する」

「不退転の覚悟を持って退転する、ねえ。…でもな、出戻りとか、再フォローとか、それでうまくいくことも、あるだろう?」

「それも一つの考えとして尊重するが、逃げる時は徹底的に逃げるべきだと俺は思う。逃げるのは恥。その恥をも受け入れて逃げるべきだ。その覚悟がこの男には足りなかった。仕事から解放される楽しみを味わいつつ、戻って仕事につながっておこうとする。その二兎を得ようとしたから女に糾弾されたんだ。やるならやれ! やらないなら最初から断れ!と」

「しかし、その白か黒かという選択は極端だぜ?」

「…そうだ。多くの人間は、何となく妥協しながら働いている。おそらく『働きマン』は時代の変わり目の混沌の中で、世の中には様々な仕事観がある、1つだけじゃない、と我々に示した漫画なんじゃないか。だから群像劇だ。複数の価値観を描いている。逃げる男の心情も周囲の思惑も描く。逃げる、やりきる、の是非を問う漫画じゃない。どこまで自分を客観視して、作戦と覚悟を持って動いているのか、それこそを問う漫画なんじゃないか?」

「だからこの『働き方改革』の号令の下、境目が溶けつつある今の時代において、一昔前の、旧態依然の、追いかける女の、竹を割ったような思想と行動が鮮烈なのか…?」

「まあ、漫画だから、あえてトリミングして誇張をしているがね。この作品には、理解できる仕事観と理解できない仕事観が出てくる。それでいい。人間は千差万別だから。色々な仕事観を持った人同士がせめぎあって働くのが組織であり、世の中だ。その一点において、この漫画ほどリアルを描き出している作品はないように、俺は思う」

氷水をグッとあおると、奴は言った。

「逃走も、闘争だ」

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いかがでしたでしょうか?

今回は安野モヨコさんの「働きマン」より「逃げマン」のワンシーンでした。

例によってネタバレ防止、登場人物は固有名詞を出さずぼかしています。仕事漫画の最高峰の一つ。ぜひお読みください。

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