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吉田松陰:クリエイター・バーサーカー伝説

吉田松陰(よしだしょういん)という人がいた。

『長州藩(現在の山口県)の萩に生まれ、
「松下村塾」で幕末の志士たちを教える。
明治維新の原動力になった思想家・教育家。
井伊直弼の安政の大獄で、刑死した』

…というのが、通り一遍の説明。

もう少し詳しい方、例えば
司馬遼太郎の小説『世に棲む日々』や
大河ドラマ『花神』『花燃ゆ』に
触れた方であれば、

「子どもの頃に藩主に兵学講義をした天才」
「黒船に乗って渡航しようとして失敗」
「幕末の志士は、彼の刑死で奮起した」

なども、知っているかもしれない。

ただ、その人生は、知れば知るほど、
良くも悪くも「常軌を逸した」
バーサーカー=狂戦士のように
私には思える。
同時に、他人の心の中に熱狂を呼び覚まし
常人には創り得ない「作品」を残した
クリエイター=創造者のようにも
思えるのである。

事実、彼は門人に言った、という。
「諸君、狂いたまえ!」と。
『狂』というのは、彼の教えを
表わす一字でもある。
事実、彼に心酔した一人、
のちの陸軍の大物、山縣有朋は
自分の名前を「狂介」に変えている。

本記事では少しだけ、
彼の歩みを見ていこう。

1830年の生まれ、1859年に亡くなる。
わずか29歳、30年に足りない生涯だ。

4際の頃、叔父で藩の兵学師範の
吉田大助の養子となる。
大助は、すぐに亡くなった。そこで
「松下村塾」という塾を開いていた
大助の弟(叔父の一人)、玉木文之進が
この小さな「松陰」
(まだそう名乗ってないが表記はこれで統一)
を教えた。

その教えは、まさに『スパルタ教育』だ。

例えば講義中のこと。
松陰が汗をぬぐっただけで、
講義を中断し、死ぬほど殴られた、という。
「汗をぬぐうとは、私事だ!」
「教えているのは、公事だ!」
「私事を公事に優先するな!」
「だから禁止する、罰する、殴る!」
…今の感覚から言うと、ほとんど虐待だが、
文之進は、亡き兄に代わって
松陰を一日でも早く立派に育てたい!という
一念があったのだろう。

11歳の頃には、当時の長州藩藩主、
毛利慶親(敬親)の御前に出て、
見事な兵学の講義を行った。
松陰は、叔父の望み通り、立派に育った。
しかし同時に「私よりも公を優先する」
精神もまた、その中に育んでいた。

ちょうどそのあたり、1840~1842年。
中国ではアヘン戦争が起こっていた。
長州藩は、中国に近い。
この事件は大きな衝撃を与えた。
そこで「兵学師範」松陰は13歳のとき、
長州軍を率いて「西洋艦隊撃滅演習」を
実施したという。

1850年、20歳の頃には、諸国遊学
(友達との東北旅行の約束を守る、
ということで脱藩までしている)。
1853年、ペリーの黒船が来航。
その翌年、1854年に再びペリーが来た際、
黒船に乗り込んだが、渡航は拒否された。

江戸幕府の治下においては、
まぎれもない「犯罪者」である。
勝手に渡航することは、厳禁されていた。

彼が実際に「松下村塾」で教え始めたのは、
何と死ぬ2年前、1857年のことだ。
1858年には再び投獄され、
1859年には刑死しているので、
わずか1~2年程度に過ぎなかった。

…このわずかの期間で、松陰は、
塾生たちに「行動すること」を伝えた。
その教える態度は、上から下ではなく、
「友」として「共に学ぶ」、
自分を「僕」、相手を「君」と呼んで
まるで友人のように接した
、という
(玉木文之進の教育の真逆である)。

…吉田松陰には、常に賛否両論がある。

塾の二大巨頭と呼ばれた、
「久坂玄瑞」は蛤御門の変で死亡。
「高杉晋作」は倒幕戦の最中で病死。
その他、数多くの志士たちが
死地で行動し、死んでいった。
また、明治政府ができたのちも、
吉田松陰の名は「美化」され「利用」され、
多くの若者が「行動」に駆り立てられた。
それを「松陰のせいだ」と責める
論調も少なからずあった、という。

しかし、彼を擁護するならば、
「国難」「危機」が迫っている時に
「行動」しないことこそが罪悪だ、
と純粋に思っていたのではないだろうか?

彼はどこまでも、私より公を優先した。
その公を優先するのが、彼の生涯だった。
実際に自分の命、「私」を捨てて、
「公」のためにと黒船に乗り込み、
犯罪者となった。ついには刑死した。
しかし彼は死ぬことによって、
塾生や関係者の心に生きたのである。

口先だけでなく、
実際に行動してみせることで、
追随する者は容易になる。
たとえその先に死が待っていたとしても…。
今風の言葉で言えば、
彼は「ファーストペンギン」
ためらわずに跳び込んだ。行動した。
その生き様と死に様は、他人の心に刻まれた。

まとめよう。
松陰は「時代」を創ったのだ。
江戸幕府が世を治める時代を否定して、
新しい時代に進む道を開いた。
常識に抗い、狂い、自分の身を捨てて。

その鬼気に満ちた生涯は、
クリエイターにしてバーサーカー、
のように、私には思えるのである。

◆雨瀬シオリさんの漫画
『松かげに憩う』では
彼の生涯の一コマを読むことができます。
名作『ここは今から倫理です。』を描いた
雨瀬さんが、鬼気迫る筆で描いています↓

興味のある方は、ぜひ!

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