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日本から遠く離れた、カリブ海。
北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の間の
「中央アメリカ」のあたりのお話です。
(脳内BGMは『パイレーツ・オブ・カリビアン』
でぴったりかと思います)

このあたり、全体的には大きく
『西インド諸島』と呼ばれる島々があります。
細かく言えば、カリブ海の北と東には、
「大アンティル諸島」「小アンティル諸島」
と呼ばれる、ずらずらっと大小の島々が
並んでいるわけでありますが。

…西から、見ていきましょうか
(できれば地図帳か、ネットの地図を見ながら)。

メキシコのユカタン半島から海峡を挟んで、
有名な国としては「キューバ」、
「ジャマイカ」「ハイチ」「ドミニカ」
などが続いていきます。
全部が全部、独立国ではなく、
「アメリカ領プエルトリコ」などもある。
このあたり、カリブ海の北側にあるのが
「大アンティル諸島」なのです
(なお、北のアメリカ合衆国のフロリダに
近い方には「バハマ諸島」もあります)。

そのお隣、カリブ海の東側にあるのが
「小アンティル諸島」です。
これはもっと小さく、こまごましています。

…すべて国名を挙げていくと本当に大変なので、
一つだけ、小さな国を挙げましょうか。
その名も「バルバドス」
小アンティル諸島の東端にある、島国です。

このバルバドスが、本記事のメインテーマ。
本当にちっちゃな島国が、世界史の扉を
「二回」開けた
、というお話をしたいのです。

その面積は、日本で言えばほぼ「種子島」くらい。
そう、あの「鉄砲伝来」の島、
いまは「宇宙センター」がある種子島とほぼ同じ。
ただし人口は、種子島の約三万人より多く、
約三十万人が住んでいます。
そんな小さな島が、一つの独立国、なんです。

その人口の九割は、アフリカ系。
残りの一割は、白人やアジア系など。

…さて、なぜ中央アメリカなのに
アフリカ系の人が多いのか?
ちょっと世界史をかじった方ならば
「三角貿易」などが頭に浮かぶかもしれません。

世界史上で三角貿易と呼ばれるものは
いくつかありますが、「大西洋三角貿易」は、
17~18世紀頃に盛んになりました。
いわゆる「大航海時代」のあとの
「植民地支配」のあたり。

17世紀後半のイギリスでは、
「アフタヌーンティー(午後の紅茶)」の
習慣が、徐々に定着していきます。
紅茶を飲むなら、砂糖も必要ですよね。
砂糖生産には、熱帯産のサトウキビが大事。
砂糖の需要が、急激に増していきます。

「じゃあ、あの暑いカリブ海のあたりで、
砂糖をどんどん作ればいいんじゃね?」

…三角貿易の概要を述べましょうか。

まず、ヨーロッパを出発した貿易船は、
西アフリカへと向かいます。
そこで、繊維製品やラム酒や武器を渡して、
代わりに、黒人奴隷を買い込んでいく。
…まだ、人間が「商品」として
取引されていた時代の話です。

奴隷は「黒い積荷」と呼ばれ、
西インド諸島各地で労働力として売られます。
その代わり「白い積荷」と呼ばれた
砂糖や綿花などが船に積み込まれ、
ヨーロッパに戻る。一筆書きの三角形。
これが「大西洋三角貿易」なのです。
(なお、綿花は、イギリスの工場へ運ばれて、
これが産業革命の一因になったとも言われます)。
※ちなみに、ラム酒は
「サトウキビの糖蜜や絞り汁」から作るお酒で、
西インド諸島が原産、だそうです。

バルバドスの人口構成でアフリカ系が多いのも、
この歴史が影響しているんですね…。

さて、この「大規模な砂糖づくり」ですが、
カリブ海の島々で初めて
「砂糖プランテーション」が始められた土地が
当時のイギリス植民地、バルバドスだ

と言われています。
1650年代。日本で言えば江戸時代、
徳川家光が死に、四代将軍家綱になった頃です。

プランテーション。
「一つの作物」を「大規模に」育てる「農場」。

植民地は、そんな栽培には、うってつけでした。
バルバドスで始まった砂糖プランテーションは、
じきに各地に広がり、三角貿易を支えたそうです。
つまり、バルバドスは、
(もちろん当時はそんな意識はないにせよ)
世界史の扉をひとつ開けた国だと言えそうです。

さて、時代は下って、19世紀。
ようやく、奴隷制が廃止されていきます。
アメリカ合衆国でも有名なリンカーンが現れ、
南北戦争、などがあり、1865年には全廃されました。
バルバドスはそれより早く、1834年に全廃。
日本で言えば、江戸時代末期、幕末の頃です。

当然ながら、民主化と自立が進んでいきます。
1939年には、最初の自治議会が誕生。
第二次世界大戦後になると、
イギリスの植民地が次々と独立。
その流れで、最初は島々が一緒になって
1958年「西インド連邦」を
つくろうとしたそうなんですが、
ジャマイカとトリニダード・トバゴが離脱して
瓦解、解散に追い込まれます
(ちょっと島が離れ過ぎだったんでしょうね)。
改めてイギリス連邦内として、バルバドスが
独立をしたのは、1966年のことなのでした。

「はい、よく、わかりました。
…でもそれ以降、バルバドスなんてあまり
日本では聞かないし、独立後はごく平凡な
歴史しかないんじゃないですか?」

それがそうではないんだな。

バルバドスはもう一つ、新たな扉を開けます。
それもごく最近、2021年に。

実は2021年11月30日、独立から55年目の節目に、
イギリスのエリザベス女王を戴く
立憲君主制を廃止し、共和国になったんです。

ただし、独立戦争をするわけでなく、円満に。
イギリス連邦には、なお、とどまっています。

砂糖プランテーションがこの島から始まり、
各地へと広がったように、

…もしかしたら、世界中にある
元イギリスの植民地の国々の離脱の動きが、
各地に広がっていく、のかもしれません。
その意味において、バルバドスは
新たな世界史の扉をまた一つ、
そうっと開けた、とも言えるのです。

なお、サンドラ・メイソン大統領と、
ミア・モトリー首相は、どちらも女性。
このあたりも、女性の政治参加が盛んな
英国議会制の影響を受けているように思います。
「カリブ海で最も議会民主制が発展した国」
と呼ばれるのも、伊達ではないようです。

「リトル・イングランド」とも呼ばれ、
イギリス風の文化が色濃く残る国。
首都のブリッジタウンの街並みは、
世界遺産にも登録されています。

読者の皆様も、機会がありましたら
ぜひバルバドスへ
ご旅行してみてはいかがでしょう?
(私も、いつかは行きたい、と思っています)

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