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2024年9月12日に発売! ついに!

(ここから引用)

『あの「オホーツクに消ゆ」が…今、甦る。
ニポポ人形が涙するとき
またひとつ死体があがった…。

ある朝、東京湾に
男の水死体が浮かび上がった。
身元不明、推定年齢40歳前後。
そして事件は、北海道へと進む。
釧路、網走、知床、紋別…。
道東を中心に連鎖していく第2、第3の殺人。

本タイトルはコマンド選択式
テキストアドベンチャーです。

プレイヤーは警視庁の警部となり、
部下に指示を出しながら
一連の事件を解決していきます。
「場所移動」や「人に聞け」など
14種類のコマンドを駆使して捜査を進めます』

(引用終わり)

ちなみに、リメイク版の
「追加ストーリー」の説明はこちら!

(ここから引用)

『舞台は2024年。
“ボス”こと主人公の前に
突如現れたのは、かつての相棒
「猿渡俊介」と妻「真紀子」の娘、
「猿渡まりな」だった。

まりなはボスに
「伝えたいことがある」と語り、
父の俊介が何らかの事件に
巻き込まれてしまったこと、
そして奇妙なことに同時に
かつて事件で重要な手がかりであった
ニポポ人形が消失していたことを告げる。

この出来事が、かつて
ボスとシュンが解決した37年前の
「オホーツク事件」と深い関わりが
あるのではないかと考えた二人は
共に協力し、謎を解き明かすべく、
北海道・釧路へと向かうことを決意する。

舞台はふたたび北海道へ。

俊介を襲った犯人、消えたニポポ人形の謎、
そして再び蘇る「オホーツク事件」。
予想を超える真実が
今、明らかになっていく…』

(引用終わり)

本記事では『オホーツクに消ゆ』の
誕生について書いてみます。

『オホーツクに消ゆ』とは、
1984年にPC-6001版とPC-8801版、
1985年にPC-9801版とFM-7版、MSX版が
発売されたゲームです。

「…あれ? 最初はファミコン版では
なかったんですか?」

はい。最初はパソコンのゲームでした。

これが1987年に移植、リメイクされ、
発売されたのがファミコン版なんです。
1984年から考えれば実に40年後、
2024年に発売されたのが今回のリメイク版。
Nintendo SwitchとSteam向け。

すでにプレイしている方は
ご存じかもしれませんが、
未プレイの方のために説明しますと…。

主に北海道を舞台としたゲームです。
「摩周湖」や「屈斜路湖」、
「網走刑務所」や「夕張炭鉱」などの
実在の観光スポットを巡って捜査します。

作者はゲームデザイナーの堀井雄二さん。
『ドラクエシリーズ』の生みの親。
RPGだけではなく、本作のような
「アドベンチャーゲーム」も作ったんですね!

…しかしなぜ、堀井雄二さんが
このゲームをつくったのか?
そこには、当時のゲーム開発の流れがある。

1954年生まれの堀井さんは、
1983年に『ポートピア連続殺人事件』を
パソコン版で作成、ゲーム業界で
その名を知られるようになります。
このちょうど同年、1983年7月15日に
任天堂が「ファミコン」を発売。
大ヒットした家庭用ゲーム機ですね。

この『オホーツク』は、元々
『ログイン』というパソコン雑誌と
堀井さんとの共同企画として生まれました。
ログインは『月刊アスキー』の別冊として
1982年に生まれた雑誌。1984年から月刊化。

まだパソコン=技術系のイメージの時代です。
しかし、ログインは月刊化を期に、
『ゲーム』の情報を中心に載せて
路線変更をしているんです。

この頃に生まれた企画。

…パソコンゲームを特集したい
雑誌のログイン側と、
ゲームをどんどん出していきたい
堀井さん側とのコラボ企画だったんですね。
ログイン側は、プロデュースおよび
ゲーム開発の追跡記事を担当。
一方の堀井さん側は
ゲームシナリオを担当する。

1983年9月に北海道への取材を敢行。
1983年12月に取材の記事がログインに載る。

…ただ、堀井さんは忙しい身でした。

1983年、エニックスで開催された
ゲームのコンテストで、彼は
チュンソフトの中村光一さんに出会っている。
PCで発売された前作『ポートピア』を
二人でファミコンに移植。
この移植作業の際に、二人で
当時流行っていたRPGについて語り合い、
『ドラクエ』シリーズの構想が生まれる…。

この頃は、家庭用ゲーム機の勃興期です。

優れたゲームデザイナーは、
「PCからファミコンへ」の過渡期でもあり、
引っ張りだこ、多忙だったんですね。
ゆえに、ストーリーはできていたものの
開発には約1年の時間がかかり、
「オホーツク」がPC版で
発売されたのは1984年の12月なのでした。

このゲームでは、画期的な方法が採られた。

それまでのアドベンチャーゲームでは
採るべき行動を自由に考えて
プレイヤーがキーボードから
「直接」コマンドを入力していました。
しかし本作ではプログラムに反応する
単語が「あらかじめ」表示されており、
それを選択する形になったんです。

いわゆる「コマンド選択式」ですね!

これは後にファミコン版に
移植される際に、大きな利点になった。
ファミコンにはキーボードが無いために、
操作(捜査?)は簡単なほうがいいのです。

事実、ログイン編集者で『オホーツク』の
企画担当だった塩崎剛三さんは、
後々のファミコンへの移植を視野に入れていた。

実は『オホーツク』の後には
香港を舞台とした「九龍の牙」や
ロシア(ソ連)を舞台とした
「白夜に消えた目撃者」という
続編の推理アドベンチャーゲームが
企画されていたそうです。

しかし、任天堂がファミコンの
ROM容量増加を発表したため、
『オホーツク』をファミコンへ移植できる
めどが立ってきた。そのため、
オホーツクの移植が優先されて
この2作の企画は立ち消えになってしまう…。

1987年、移植されたファミコン版の
『オホーツクに消ゆ』が発売されます。
PC版から、かなりリメイクされている。
作画は荒井清和さんで、
写実的な絵から漫画的な表現に変わった。
音楽はプログラマーだった
上野利幸さんが担当。

なお、パソコン版の企画担当だった
塩崎さんは、雑誌ログインの
1つのコーナーに過ぎなかった
『ファミコン通信』を独立雑誌へと変えました。
1986年創刊(最初は副編集長)。

このファミコン版が大ヒットした。

長くユーザーの記憶に残り、
ひいては今回のリメイク版につながった…
という流れなのです。

最後にまとめます。

本記事では約40年の時を経て復活した
『オホーツクに消ゆ』の
誕生について書きました。

このゲームでは、トランプの
「ブラックジャック」を
相棒のシュンと遊んで勝つことで、
捜査のヒントを得ることができます。

ぜひ、読者の皆様も、
選択肢に迷った時にはゲームで気分転換して、
次へのヒントを得てみてはいかがでしょう?
その際にはぜひ『オホーツクに消ゆ』をどうぞ。
(パッケージ版を買えば、限定特典で
懐かしのファミコン版もプレイできますよ!)

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