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「あの会社には、素晴らしい後継者がいるね」

ある経営者がそう言った。
私が昔、勤めていた会社でのことである。
仮に、A社長としよう。

「大局的に、物事を考えている!
指示に従い手足だけ動かせばいいと
考えている輩とは、違うんだ。
ああいう頭脳派の人が欲しいな。
状況を判断して、考えを察して、
先回りして判断して動けるような人。
…うちの会社には、いないんだよ」

A社長はこう言うと、ため息をついた。

「どうやればそういう
後継者が育つのだろうか?」

…私は何も言う立場にいなかったから、
黙っていたが、内心では
A社長に対して不満だった。
多くの言葉が渦巻いていた。
いま、強いて、
私が言いたかったことを
言語化してみると、こうだ。

『後継者は勝手に育つものではなく、
「育てる」ものではないでしょうか』
『頭で考えさせずに
手足であることを強いておきながら、
頭脳派が欲しい、というのは
本末転倒、ではないでしょうか』

…現場の仕事だけではなく、
経営的な判断ができるような
後継者が欲しい。

そう思うA社長は、切実な思いを
つい口に出したに過ぎないだろう。
自分が求めているような
人材を持っている他社に対して、
つい羨望の想いが出たのだ、とも思う。

だが、その欠落は、半分以上は
「自業自得」なのではないだろうか。

手足になることを求められている人は、
頭たる経営者(ここではA社長)に対して
従順な手足であろうと毎日を過ごす。

そういうことを強いておきながら、
「頭で考えろ」とも言うのは
少し酷なのではないか。
それならば権限移譲をするとか、
経営判断的な仕事をさせてみる、
考えさせてみる、そういう機会を
率先してA社長が作るべきではないのか?

そう考えて、はたと気が付いた。

…自分は、どうなのだろう。

他者に対して手足であることを
強いてはいないだろうか。
判断はこっちがするから
ただ黙って言われたことを
しさえすればいいと、
他者に対して思っていないだろうか。

何のことはない。

私はA社長と同じ穴のむじなだったのだ。
A社長に対する不満は、
自分自身の仕事の危うさを
鏡で見ているに過ぎなかったのだ。
私は、内心で赤面した。

一人でする仕事には、限界がある。

それゆえに人は組織を作り、
分業や分担をして仕事を進める。
自分の組織でなくても、
他の組織に「外注」したりして
コラボしていくことも、ある。

後継者を作る、ということは、
何も経営者だけの話に限らない。
「自分のできること、
してほしいことを他者にしてもらう」

そのためには、
自分の「手足」としてだけではなく
自分の「頭脳」の代理人として
動いてもらうような存在がいたほうが
はかどるに違いない。

言い方を変えれば、

100%、箸の上げ下ろしまで指示しないと
何もできない「純然たる手足」ではなく、

65%の指示で、あとはその人なりの
判断で動いてくれるような
「頭脳を伴った伴走者」がいる人のほうが
仕事ははるかにはかどる、のである。
自身の労力も、軽減するだろう。

…もちろん究極的には
0%の指示でも「忖度」して
いつの間にか仕事をしてくれる
「パーフェクトな執事」たちに
囲まれるのが理想かもしれないが、

それはそれで自分が知らない間に
好き勝手に利用される危険性もある。
「偉大なる忖度者たち」に囲まれた
裸の王様になりそうなので、行き過ぎだ。

まとめていこう。

自分「だけ」が判断し動くのではなく、
いかに、自分の考えを踏まえて
他者を動かすか?
いかに、確認していくか?
そういう機会を設けられるか?

手足だけ動けばいい、ではなく、
頭脳も伴いつつ動いてもらうか。
どこまで判断や権限を委ね、
どこまで指示と確認をするのか。

読者の皆様の会社(組織)では、
いかがでしょうか?
A社長的な方は、いませんか?
結局は自分が判断して動くしかない、
他者は手足として動きさえすればいい、
とは思ってはいませんか?

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