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サル山ではボス猿がマウントを取ります。

ボス猿がトップに君臨する。
ケンカの仲裁や他の群れとの争いにおいて
先頭に立つ役割を担うと言われています。

ただ「野生の猿の集団」では
ボス猿は存在しない、という説もある。
食糧を巡っての争いがあるからこそ
ボス猿が必要なわけで、
オープンな野生では食糧が少なければ
新たな場所に移動すればよい。

厳密な順位付けは、あくまで
「行動範囲や食糧に限界がある
飼育下のサル山における現象に過ぎない」

「マウント」とは
『クローズドな空間において優劣順位を
を明らかにする行動』
とも言える。

本記事は、このマウント行動について
考えてみたい、と思います。

まず語源から。英単語の「mount」
登る、上がる、乗る、攻撃をしかける、
などの意味を持つ言葉。

動物行動学の分野で
サル山のサルが自分の優位性を
周囲に示す行動を示す専門用語でした。

同時に格闘技の世界でも使われる。
「マウントポジション」と言います。
相手の上に乗り、動きを封じつつ
自分から圧倒的・一方的に攻撃できる位置。

この二つの「マウント」の意味が普及し、

◆自分の優位性を示し威圧的な態度をとる
◆相手を威嚇し委縮させ、戦意を失わせる

このような行動を
「マウントを取る」と表現するようになった。
徐々に人間関係やビジネスなどにも
応用されていきました。

◆「あの人はマウントを取りたがるよね」
◆「狭い職場ではマウント合戦が起こる」
◆「マウントを取る人は実は自信がない」

どうでしょう?
読者の皆様の周りには、
マウントを取りたがる人はいませんか?

さて、このマウント行動、
かなり根強く奥深いもの。
人間も一種の動物。
逃れられない宿命、なのかもしれない。

話を鮮明に、わかりやすくするために、
一つの事例を挙げながら書きます。

私が好きな漫画の一つが
『カイジ』シリーズ。一言で言えば、
ギャンブルの沼にはまった男のお話です。
アニメ化され、映画化もされた。

作者は福本伸行さん。
1996年からヤンマガ(週刊ヤングマガジン)
で連載が開始され、
2024年時点でも続いている。

この『カイジ』シリーズは
とても人気があるがゆえに、
「スピンオフ作品」も生まれました。
『トネガワ』『ハンチョウ』『イチジョウ』
と呼ばれるものです。

それぞれ利根川、大槻班長、一条という
主人公カイジの前に立ちふさがった
脇役の強敵たちを主人公にした作品。

本記事で事例として取り上げたいのは、
このうちの『イチジョウ』2巻の第10話。
正式名称は『上京生活録イチジョウ』
全6巻で完結しています。
原作:萩原天晴さん、
漫画:三好智樹さん、瀬戸義明さん、
協力:福本伸行さん。
カイジ原作者が協力しているスピンオフ作品!

…タイトルの通り、
一条という男が東京に「上京」してきて
帝愛というブラック企業に就職するまでの
生活を描いた物語です。

「この漫画が、サル山やマウント行動と
どう関係があるのでしょう?」

この作品に、主人公一条が
同居人の村上という男に対して
「マウント」を取る回があるんですよ。
それが第10話。

(ここから少しネタバレを含みますので
未読の方はご注意願います)

高校を卒業してすぐに上京、
フリーターとなった一条と村上。
安いアパートで共同生活をしています。
一条は、村上に対して優位にある。

ある日、一条が自炊しようと
「チンゲン菜」を手にした時、
彼は小松菜・ホウレン草と間違えました。

「一条さん、それ、
チンゲン菜ですよ? ハハハ」

村上は、一条を別に
小馬鹿にしたわけではない。
小松菜・ホウレン草・チンゲン菜の
区別がつかなかった一条に対して、
ちょっと和ませようとしただけ。

…しかしこれが一条のプライドを
かなり傷つけた。一条は怒り狂います。

村上に対して嫌な態度を取るようになる。
果ては、村上が知らない難しい言葉を多用し、
「知識マウント」を取るんです。

この辺りの描写は、とてもイタイタしい…。
正視に堪えない。
「それ以上、いけない!」
第三者の読者が
思わず言ってしまいそうなほど、
イタい行動が続きます。

ただ、さすがに一条の怒りも長くは続かず、
数日で収まる。平和な日常が戻り、
一条が自炊しようとキノコを手に取ると…

「一条さん、それ、
エノキじゃなくてエリンギです」

またやっちゃうんですよ。村上。
もはや無意識のマウントかもしれない。
彼には、全く悪気は無い。
しかし、この言葉が引き金となり、
一条の悪魔的なマウントがまた
始まってしまう…。そんなお話です。

さて、皆様はあらすじを読んで
どう思われましたか?

◆「一条は家事や食材に疎いだけ」
◆「村上も言わなきゃいいのに…」
◆「狭い人間関係はよく煮詰まる」
◆「懐の狭さ、小ささが出ている」

ご感想は人それぞれ、だと思いますが、
私はここに「マウント行動」の
根本的な原因が潜んでいるように思う。

村上は、別に、一条を嘲笑しようとか、
攻撃しようとか、そんな意図で
チンゲン菜を知らない一条を
笑ったわけではないのです。無意識。

しかし一条は、村上からの
露骨なマウント行動と「受け取った」。
自尊心、損傷。
倍返しだ。マウントにはマウント!
猛烈な反撃に出てしまうわけです。

…この村上・一条的な行動を、
私たちも「無意識に」取っている
危険性があるのではないか?

むろん、私も含めて。

知識マウント、出身マウント、
学歴マウント、職歴マウント、
性別マウント、家事マウント、
投稿マウント…。


無意識の「上から目線」になっていないか。
「○○ハラ」になっていないか?

知っている人にとっては「当たり前」でも、
知らない人にとっては「初耳」です。
特に一条のような「こじらせている」人は
善意からの指摘、情報提供であっても、
知識マウントだ、馬鹿にされた!と
「ゆがんで」捉える危険性がある…。

ただ、一条と村上のこの小さな軋轢も、
狭い人間関係、同居関係の中で
生まれてきた話。

ここに第三者がいれば、第三者の目線から
フォローなどをして、違った展開になった、
のかもしれない。

『イチジョウ』のマウント回は、
二人の上京生活を眺める読者に、
とても多くの示唆を与えてくれます。

誰しも心の中に、
一条と村上を住まわせている。
注意したいな、と感じました。

最後にまとめます。

本記事では「マウント行動」について
考えてみました。

本人は無意識でも、
受け取る相手にとっては
許しがたいマウントになり得ます。

もちろん、双方の「言い方」「懐の深さ」
「感受性」「謙虚さ」
にも左右される。
忖度・同調圧力が強すぎると
「何も言えない」状態になり
成長が止まってしまうかもしれない。
時には言うべきことを言うことも大事…。

私も改めて自戒し、
折に触れて『イチジョウ』を
再読しようと思いました。

※ぽんらいふさんの記事では
ネタバレありの感想が読めます、ぜひ。

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