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「経営=経理×営業」が、平成の主流。
ならば令和は
「経営=経験×営繕」だと仮定して
書いてみたのが本記事です。

元々「経営」とは
◆「経」=変わらないもの
◆「営」=変えていくもの

という意味からできた仏教用語。

それがビジネス用語として
「会社を経営する」などのように
使われ始めた経緯があります。
特にバブル崩壊後、
デフレ傾向の平成日本では、
「お金」のことを考えるのが経営だ
、と
捉えられがちでした。

しかし、このVUCAの時代を迎えて、
「変化」していくことの多い
「流動的」な令和日本では、
変わらないことには経営もしづらくなる。
いつまでも「お金」のこと「だけ」で
経営を考えていくわけにもいかない…。

◆経営=経験×営繕

これがどういうことか、説明します。

『経験』とは、主に過去のこと。
何をしてきたのか? それから得たものは何か?
会社の経営で言えば、
積み上げてきた取引の「実績」だったり、
人材を通して「できること」であったり、
それらから生まれた「教訓」であったり。

ただ同時に、経験は、現在進行形でもあります。
例えば、SNSで記事を読む。
まさに「いま」行っているそのことが
片っ端から経験に変わっていきますよね。

それは、会社でも個人でも変わりません。

一方の『営繕』とは、違う言葉で言えば
スクラップ&ビルドでメンテナンス。

「営繕」という言葉は、
701年の「大宝律令」でも使われた
由緒ある言葉でもあります。
「営造」と「修繕」を指す。
つまり、つくることとなおすこと、です。

まずは二つの言葉の意味を確認しました。
それでは、
『経験を営繕する』とはどういうことか?

経験を過去~現在のものとして
捉えるのではなく、
過去~現在~未来まで伸ばして捉えることです。

経験が無いなら、積んでいけばいい。
また、今まで積んできた経験を捉え直し、
新しい経験として組み替えればいい。
そんな、ある意味「柔軟」であり、
「節操のない」捉え方なのです。

過去の経験は変えられないもの。
しかし同時に、実は現在~未来において
「つくる」ことも「なおす」こともできる…。


このように考えていく時、
経営をお金のこと「だけ」に拘る傾向が
薄くなっていく、と私は思うのです。

あくまでお金は、経営の一つの要素。
経営を「経験」として捉え、
いかに「営繕」していくかと捉えることで、
柔軟な「経営」ができるのではないか。

「…言わんとすることは分かりますが、
言葉遊びが過ぎませんかね?
経験を営繕、それが経営?!(失笑)
そんなんで会社が経営できるんなら、
誰もが名経営者になれますよ。
事実、この令和の社会はまだ
デッドオアライブ、みんなヒイヒイ言いながら
会社を経営しているではないですか。
お金は何より大事だ、経営をなめるな」

そう思いましたか?

…確かに、ただ経験を営繕する「だけ」では、
いわゆる「会社の経営」は難しい。

そう思います。

ですが、逆におうかがいしたい。
「ただ経理と営業をしっかりさせて
会社の利益のみを追求するだけで
『経営している』と言えるのですか?」
と。

極端な仮定をすることをお許しください。

仮に「A社」があるとする。
夜討ち朝駆け偽命令、なんでもござれで
ギリギリ合法、下手すりゃグレー。
もし表沙汰になったらトカゲの尻尾切り、
社員を奴隷のように扱う
ブラック会社があるとしましょう。

しかし、お金は儲かっている。
ただ、儲けたお金は会社にプールされ、
社員には全く還元されない。
このA社は「良い経営」を
していると言えますか?


「ええ、素晴らしい経営の会社です!」
「いや、ひどい経営をしていますね…」

それぞれに意見はあるとは思いますが、
私は「ひどい経営」だと思います。
なぜなら、いくらお金が集まろうとも、
会社にプールされるだけで、
社員に還元されていないから。

次に「B社」があるとする。

お金は適切に山分けされ、社員に還元。
業務によって貴重な経験が積める。
人材の出入りはありますが、
そこでの経験を踏まえれば、
自分の人生にプラスになっていくと
メンバーが思う会社としましょう。
しかし、A社ほどは儲かっていない。
このB社は「良い経営」でしょうか?

「ええ、素晴らしい経営の会社です!」
「いや、ひどい経営をしていますね…」

これもそれぞれ意見はあると思います。
私は「良い経営」だと思う。
なぜならば、そのB社に関わった個人が
幸せになっていく可能性が高いから。

A社とB社は違う。

A社に関わると不幸になる人が多い。
下手すると身体を壊して
人生そのものが終わってしまう。
A社よりB社のほうが良い経営。
私には、そう思われる。

極端な例でした。
現実の会社のほとんどは、
この中間でしょう。

「経営=経験×営繕」というニュアンスが
よりはっきりしたでしょうか。

会社の経営について言えば、
「複数」で事業を行っていくがゆえに
(社長一人でも取引相手などと
コラボ・外注していくがゆえに)

それぞれの「経験」のマッチングが
大事になってきますよね。
仮に「独裁者」の社長であれ、
一人でできることは限られます。
給料なり外注費なり、お金を出して
「指示」を出して実務をさせる以上、
相手の経験を把握し、理解する必要がある。

ただ、その経験は、もしかしたら
昨日まではうまくいっていても
明日には使えないものかもしれない。
何しろ不透明な時代です。

A社では相手を奴隷のように考えます。
つまり、ヒトをモノ扱い。
その認識では、各社員や外注先の経験など
知ったこっちゃない、と思うことでしょう。

一方、B社では社員を大事にする。
一人の人間、人生があると考える。
その際には「営繕」の考えが生まれてきます。
造営する、つくる。修繕する、なおす。

スクラップ&ビルド、メンテナンス。
アップロードしていく。更新が必要です。
パソコンがたびたび更新されるように、
経験もまた不断に営繕していく必要がある。

ヒトをモノと考えるA社では
「営繕」はされないことでしょう。
壊れたら捨て、代わりの生贄を探す。
B社では適切に「営繕」されます。
関わる人が快適に活動できるように。

…これからは「ヒト」を基調に
「経験×営繕」という捉え方が
必須なのではないでしょうか?


もちろん「各個人の人生の経営」においては、
なおさら必須になります。
何を経験していくべきか?
どう営繕していくべくか?
個々の「経営戦略」が必要になる…。

まとまりきらない話題ですが、
最後にまとめていきます。

本記事では「経営=経験×営繕」という
考えについて文字にしてみました。
あくまで、一つの考えです。

読者の皆様は、どう考えますか?
あなた自身の「経」と「営」は、どうですか?

※先日書いた
「経営」についての記事へのリンクを貼ります。
よろしければ、参考までにぜひ。

※こちらの記事を参考にしました↓

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