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モロッコ、と言えばアフリカの国!

「…アフリカ大陸って国が多いので
どこにどの国があるのか
パッと出て来なくて、すみません」

そう思われた方も、心配なしです。
私も、パッとは出てきませんから。
こういう時は、有名な国から連想して
考えていくと良い。

「…南アフリカW杯、ありましたね。
南の端が、南アフリカです」

そうそう。

「逆に、ピラミッドのあるエジプトが、
北のあたり、スエズ運河のあたり」

そうそう。

「アフリカの東は…。
『アフリカの角』とも呼ばれる
ソマリアで、内戦がありましたよね」

そうなんです。

「となると、モロッコは…。
そうか。アフリカの西のほう?」

その通り!

アフリカ大陸は逆L字型、
ひらがなの「つ」のような形で
西にぽこっと突き出ていますが、

その西の北のあたり、
ジブラルタル海峡を挟んで
海の向こうはスペインという場所。

アフリカ大陸の中でも、
ヨーロッパに近い。ここにある。

本記事はこの「モロッコ」の
歴史について、少しだけ。

…アフリカの北のあたり、と言えば、
ピラミッドでイメージされるように
「砂漠」が広がっています。

『サハラ砂漠』です。

サハラとはアラビア語で「サハラウ」、
「何もない」「砂漠」「荒野」を表す言葉。
一般的には「サハラ砂漠」を指す。

めちゃめちゃ広い。
アフリカ大陸の約三分の一を占める砂漠。
アメリカ合衆国とほぼ同じ面積です。
英語では「グレート・サンド・シー」
大海原ならぬ大砂海。海レベルの砂漠。

モロッコは、そんなサハラ砂漠の
北西部分にある国です。

「…アフリカの北のあたりって、
どんな国が他にありましたっけ?」

先に確認しておきましょうか。
北東にエジプト、北西にモロッコ。
その間には、リビア、
チュニジア、アルジェリア。
東から言えば
エジプト~リビア~チュニジア
~アルジェリア~モロッコ
の順。

私は、以下のように覚えています。

サハラ砂漠と言えば、
『パリ・ダカール』が有名。
ダカール・ラリー、パリダカ。
道なき道を行くモータースポーツ!

このパリダカでは
「エンジン」が重要なので…。

◆『エンジン リッチに あるぜ 六個も』

◎エンジン=エジプト
◎リッ=リビア
◎チに=チュニジア
◎あるぜ=アルジェリア
◎六個も=モロッコ

モロッコはこの中でも西の端、です。

「…あの、そもそも、モロッコって
面白い語感の名前なんですけど、
焼きもろこしが特産とか?」

違います。

モロッコとは、この地方の都市
「マラケシュ」から付けられました。
マラケシュ、マラッケ、モロッコ。
…言えなくもない。
(それを言えばニッポンも
他国から言えば面白い語感だと思います)

マラケシュ。

モロッコの中央部にある都市です。
アトラス山脈の麓、テンフシト川の南岸、
「南の真珠」とも呼ばれた街。

ここに都市を作ったのは
ムラービト朝という王朝です。
11世紀、日本で言えば
平安時代末期の「院政」の頃。

別に「村人」が作ったわけではない。
恐ろしいほどの戦闘力を持つ
「戦士」たちの国でした。

1039年、サハラの遊牧民族
サンハージャ族の族長が、
メッカへの巡礼の途中で出会った
神学者の説に共鳴し、
その学者の孫弟子を連れて帰りました。

ところが帰ってきて、
「この人の説、すごいんだぜ!」と
力説しても、

故郷の人たちは「はあ…?」と
受け入れてくれない。

しょうがないので、その説を
信じる人たちは族長とともに、
「城塞」(ラバート)を築き、
そこに籠って厳しい修道生活を開始…。

「ラバートに拠る人々」
=ムラービトゥーン。
これが、ムラービト朝の起源です。

とにかくこの人たち、籠って修行する。
キリスト教で言えば、宗教騎士団。
ドラゴンボールなら、精神と時の部屋。
めちゃくちゃ強くなります。

じきにサハラ砂漠の西一帯を支配し、
さらには海を渡り、
イベリア半島まで攻め込むのです。
(当時、まだスペインは建国されておらず
イスラーム勢力圏内でした)。

こうしてムラービト朝は、
アフリカの北西とイベリア半島南部を
支配する一大強国
となった。
その首都が、マラケシュ。

…ただし平家物語にもあるように
「猛き者もついには滅びぬ」、
『盛者必衰』が歴史でして。

日本で平清盛が活躍していた頃、
このムラービト朝は
ムワッヒド朝という王朝に
取って代わられます。

「ムラービト朝の教えは、
本当の教えではない!」

そう信じたイブン・トゥーマルトが
「ムワッヒド運動」を始めた。
神の唯一性=タウヒードを重視。
だからタウヒードの信徒=ムワッヒド

彼の弟子たちがムラービト朝を倒し、
ムワッヒド朝を建てたんです。

この王朝は、モロッコや、
イベリア半島南部のみならず、今の国で言えば
アルジェリア、チュニジア、リビア
あたりまで勢力を伸ばす大国になります。

首都はマラケシュのままですが、
イベリア半島南部の都市セビリアに入城し、
拠点の一つにする。

現在のスペインの第四の都市。
『セビリアの理髪師』でも有名ですね。
これが、1200年のあたりの話。
(「イイクニつくろうムワッヒド朝」
「ムワッヒド殿の十三人」という感じ)

しかし、猛き者もついには滅びぬ…。
(大事なことなので二回言いました)

このムワッヒド朝もじきに衰退、
1248年にはキリスト教国の反撃、
レコンキスタ(国土回復運動)によって
セビリアを奪還されてしまう。


占拠したカスティーリャ王国の
フェルナンド三世と、その息子は、
セビリアを文化都市にすべく
国中から学者たちを集めて、
イスラームの優れた学問を
アラビア語からラテン語に翻訳させます。


この翻訳が、ルネサンスや大航海時代に
大きな影響を与えて、
後にヨーロッパを大発展させる
きっかけになった
、と言われています。

ムラービト朝とムワッヒド朝。
この頃に栄えたマラケシュ。
これが、モロッコのルーツの一つ。

最後に、まとめましょう。

2022年カタールW杯の予選リーグで、
モロッコはベルギーに勝つ、という
ジャイアントキリングを成し遂げました。

2対0、衝撃の勝利!

ベルギーはFIFAランク世界二位の強豪。
(ちなみにモロッコはランク22位で
弱い国ではありません。日本は24位です)

ゴールをゲットした
サイス選手はフランスで生まれ育った
モロッコにルーツのある選手。
アブクラル選手はオランダ生まれなれど
リビア人の父とモロッコ人の母との間に
生まれた選手。

他にも、カナダ出身のブヌ選手や、
モロッコ出身、三歳でドイツに移住した
サビリ選手など、

各国で活躍しつつ
自分のルーツのあるモロッコの代表として
出場している選手が多い
のです。

アフリカの北西、
ヨーロッパの国とガチでやりあった
「戦士の国」ムラービト朝や
ムワッヒド朝の歴史を持つモロッコ。

W杯予選で
ランク七位のスペインと戦う日本
ですが、

世界二位のベルギーに勝った
モロッコの例を踏まえつつ、
自らの全てを出して戦って欲しい。
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