見出し画像

2022年の箱根駅伝では花の2区で、
2人のケニアからの留学生が並んで走る姿が
お茶の間に流れました。

1人はイエゴン・ヴィンセント選手
もう1人はライモイ・ヴィンセント選手
大学は異なりますが、同じ名前。
しかも同じ国から来た留学生が一生懸命
箱根路を走る姿をご覧になっていた方も
多いのではないでしょうか↓

ヴィンセントという名前の由来には、
「打ち破ること、征服すること」
という意味があるそうです。

箱根駅伝では、選手たちがまさに
自分の限界を打ち破るべく、
死力を尽くして走っていきます。

彼らは、ケニアから来ました。
ケニア。東アフリカのあのあたり。…

そういう漠然とした知識しかない私は
これも何かの機会かと思い、
ググッてみました。

ケニアの独立は、1963年です。
日本で言えば昭和の東京五輪の前年ですね。

それまではイギリスの植民地。
アフリカには、西欧諸国の
植民地だった国が多くあります。
1884~1885年にドイツのビスマルクが
主催したベルリン会議によって
「アフリカ分割の原則」が確認され、
ケニアはイギリスが支配していました。

独立後、一党独裁が続いていたのですが
2002年の総選挙によって
初めて政権交代が起こりました。

2人の留学生、ヴィンセントたちが
生まれた頃のお話です。

これで政治が安定した…となれば
良いのですが、2007年から2008年にかけて
「ケニア危機」という大事件が
起こったそうです。

日本の2007年と言えば、
第一次安倍内閣が総辞職をし、
「(宮崎を)どげんかせんといかん」
「ハニカミ王子」(ゴルフの石川遼選手)
が流行語になった年です。

この「ケニア危機」とは、
大統領選挙の結果に
不服を抱いた野党の抗議行動が
暴動に発展してしまったものでして、
1,000人以上が殺され、
30万人以上が家を捨て逃げ出しました。

もう少し解決が遅れれば、
ソマリアやルワンダのように
内戦に突入するレベルだったそうです。

国連も調停に乗り出し、
前事務総長のアナン氏も尽力、
何とかケニア危機は収まりました。

2010年には新憲法が成立し、
2013年には現大統領が就任。
しかし2017年の大統領再選に際しては
最高裁判所が「無効判決」を出して
再度、大統領選を行う事態になっています。
「ケニア危機」は、まだ約14年前ほどの
出来事ですから、完全に政治が安定した
とも言えない状況かな、と思います。

…そんな歴史を、
ケニアからの留学生たちは
背負って、走っています。
もちろん、他の国から来た留学生は
それぞれの歴史を、
背負っていることでしょう。

本日(記事執筆時2022年1月3日)、
箱根駅伝の復路が、開催されます。

…留学生たちだけではなく、
全選手が、いろいろな歴史、
出場できなかった選手たちの想い、
監督や保護者たちの想いなどを
背負って、走り抜いていきます。

私も、TVの前で
応援しようと思います。

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!