実技

Twitterの流儀 ~味付けされた情報にいかに向き合うか~

1、自由

SNSは、ツールです。それ以上でも以下でもない。

ツールとは、道具です。例えれば刃物のようなもの。紙を切るのに使う。料理に使う。決闘に使う。殺傷に使う。色々な使い方がある。それは、使う人の目的次第。当然、人を傷つければ犯罪になりかねません。しかし医療のためにメスで人を切るのは認められています。

Twitterは、ツールです。それ以上でも以下でもない。

しかしこの自由あふれるツールの中では、様々な使い方をしている人がいる。さながら、「道具を使う」生き物である、人間、ホモサピエンスの縮図のようです。

①ただ自分の思ったことをつぶやく人
②何かの想いを込めてつぶやく人
③誰かを攻撃するためにつぶやく人
④誰かを助けるためにつぶやく人
⑤誰かに認められたくてつぶやく人
⑥誰かに認められようがいまいが知ったこっちゃない人

現職のアメリカ合衆国大統領まで使うツールですから、政治的にもたくさん利用されます。というか、今の政治では、SNSやTwitterを使ってナンボ、という状況です。

ともかく、自由。

いいねを押すも、フォローするも、ブロックするも、リプを送るも、DMを送るも、聞きたくないとミュートするのも、すべて自由なツールです。

2、義務

ですので、義務は基本、ありません。

いいねを押すも、フォローするも、ブロックするも、リプを送るも、DMを送るも、聞きたくないとミュートするのも、すべて義務ではありません。

使いたいように使えばよいと思います。

3、議論

議論をするかどうかも、自由です。

ただ、Twitter上で議論ができるかどうかは、前提条件の設定によります。

そもそもTwitterを使用する目的も方法も違うのですから、議論にならないことも多々あります。目的も方法も同じはずの「国会」でも、とても良い議論とは言えない場面があるのですから、もっと自由なツールであるTwitter上で議論が成り立ちにくいことは、明白です。というより、建設的な議論が成り立つケースのほうが希少。

もし議論が成り立つのであれば、お互いが前提条件をすり合わせて、立場や意見は違えど、共通認識の上で議論を行っている場合のみ。

そのような「建設的な議論」が行われにくいツール、だという認識をまず持つべきでしょう。常に建設的な議論が行われるのであれば、「炎上」とかは起こらないですから。

なお、Twitterでの議論につきましては、チカイケ秀夫さんが秀逸なツイートをされておられますので、引用して紹介します↓

プロレスは『リプ』でのやりとりです
twitterでも炎上するのは、多くはお互いにリツィート合戦で議論になってなく、自分のフォロワーに向けて、オレが正しいのマイクパフォーマンス合戦でキリがない

4、反論

ただ、これは自分の範囲内で収まる時の話。

もし、Twitterを使って、自分自身だけでなく、自分自身以外の人を攻撃されたらどうするか?

反論するのは、むしろ当然の反応のように思います。被害の場合によっては、訴訟も検討されますし、事実、そういう方法を取る人もいます。ただし、議論ではなく炎上そのもの、反論させることそのものを目的とする人も中にはいますので、無視する、スルーするという自由もあります。これも自由です。

なお、面と向かって反論するのではなく、自分のフォロワーに向かってリツイートする形で反論する自由もあります。その場合は、チカイケ秀夫さんの言う「場外乱闘」「マイクパフォーマンス」になりがちですが。

5、目的

結局は、何のためにTwitterを使うのか、によると思います。

議論のためにTwitterを使おうとする人がいると仮定します。

仮に何かについて議論をしようと一方が思っていても、もう一方がその気がなければ、議論になりようがない。「リングでのプロレス」を一方が思っていて、「何でもありの異種格闘技戦」を一方で思っていては、建設的な議論などできようはずがないのです。「そもそも信頼できる人としか戦わない」という人もいます。

もし、双方が議論を望むのであれば、クローズな場で、Twitterというツールを使わずに、行うべきかもしれません。しかし繰り返しになりますが、双方がそれを望めば、という前提条件をすり合わせた上でのことです。お互いの認識が違うのならば、やらないほうがいい。

そもそも議論をするに足る相手なのか、それを判断する自由も、お互いにあります。こいつとは価値観が合わない、話が平行線になる、そう感じて、反応しない自由もあります。双方が望まないと試合が成立しないボクシングのメイクマッチのようなものです。

なお「前提条件」については、鈴木利弘さんのツイートをご紹介します↓

前提条件を合わせるのは
ホント大切だよね
ビジネスアカとして
会社のプロモーションのために
Twitterを活用する人と
個人が考えや思いを
アウトプットする場として
Twitterを考えている人では
そもそもの認識も
求めていることも違うから
お互いの立場を理解しないと
話が噛み合うわけがないんだな

6、偶像

アイドルという言葉があります。
これは、イドラというラテン語から来ています。
「偶像」「幻影」という意味があります。

Twitterに限らず、この世の中にあふれるすべての情報は、情報の発信者が意識的無意識的に取捨選択した上で発しているものです。

無味無臭ではなく、味付きです。どんな情報であっても。

それを、取捨選択していないかのように装い、無味無臭であるかのように装い、情報受け取り初心者の誤解を誘うことがある。

もちろんこれは、受け手自体の問題でもあります。発信者の本意とは違うように受け止められ、誤解され、拡散していく。そういったことはこの世にごまんとあります。だからこそ、受け手は、その情報の発信元を見極め、何の目的でこんな情報を出しているのか、わざと怒らせたいのか、本意とは違うのか、そういうことを想像し、きちんと判断した上で、どのように反応するのかを決める必要があります。

意識的に「偶像」を作り出す。

「広告」「宣伝」「ブランディング」には、そういう側面があります。ただし、実像を元にしたケースと、実像と全く違うことを伝えるケースに分かれます。前者は、信頼されます。後者は、バレれば信頼を失います。しかし後者であっても、詳細を何も知らない第三者、ちらっと断片的な情報を見ただけの第三者であれば、偶像を実像を勘違いしてしまうこともあります。下手すると妄信してしまう危険性もあります。

ただ、それを嫌って、「俺を理解してから言え」「最初から最後までしっかり読んでから」、つまり「俺のツイートを全部読んでから意見を言え!」と強要してくる人もいますが、このみんな忙しいご時世にそんな労力を強要すること自体が上から目線です。よほど好きな人でなければ、よほど魅力的な情報でなければ、よほど時間があって暇な人でなければ、そこまでする読者はいないように思います。情報の受け手だって、自分の世界を生きていて忙しいですから。

断片的な情報が飛び交うこの世界。
トリミングされた情報から、全部が理解できると勘違いせず、
あくまで謙虚に、しかし矛盾するようですが情熱的に、
お互いの立場を理解しつつ
情報に向かい合いたい
と思います。

手前味噌ですが、「歴史」「漫画」のトリミング、誇張表現などについて記事を書きましたので、興味のある方はぜひ↓。

以上、Twitterの中での情報の向き合い方について、断片的で主観的ながら書きました。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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