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「キャリア」と並んで、多義的な言葉です。
「コンプレックス」という言葉。

カタカナ七文字でコンプレックスと書いた時、
さて、皆さんはどのように使いますか?

◆私はきょうだいにコンプレックスがある。
◆シネマコンプレックス、シネコンで映画を観る。

…この二つが、日本語では多いですかね。

〇〇にコンプレックスがある、と書くと、
いわゆる「マザコン」とか「ファザコン」とか
「ブラコン」とか「シスコン」とか
「ロリコン」とか「ショタコン」とか、

ある特定の対象に対する
「複雑な感情」「偏執的な愛情」
「劣等感、引け目」
…そんな気持ちを
あらわすことが多いと思います。
心理学的な言葉、ですよね。

『ずっとあなたが好きだった』という
1992年に放映されたTBS系のドラマでは、

「マザコンでオタク」という
「冬彦さん」というキャラを
佐野史郎さんが怪演して、一躍、
社会現象にもなりました。

その一方、シネコン、と言う時には
心情的なものは少なくなり、

あくまで「複合的なもの」という意味で
使われます。
シネコン=複合的な映画館。
すなわち、スクリーン、映画を観られる場所が
「複数ある」映画館のことです。
「『シン・ウルトラマン』は5番です!」
というように、「複数」のスクリーンを
「同時」に上映できるような、映画館。

前置きが長くなりましたが、
本記事では「コンプレックス」について。

◆以前に、別の視点から同じ題材を
書いたこともありますので、合わせてどうぞ↓

…そもそもカタカナ英語にもなっている言葉は、
日本語由来ではない、ですよね。
まずは英語から迫っていきましょうか。

complex。

com=一緒に。plexus=編んだ。
すなわち「絡まった」から来た言葉。
ラテン語では「complector」
(絡む、抱きしめる、取り巻く)という言葉。

「コン」ビネーションとか「カン」パニーとかの
「コン」com、一緒に、がついて、
「パーフェクト」(完全に)の
「プ」per、完全に、がついて、
折る、という意味のplek「プレク」がつく…。

そのままつなげれば、
「一緒に」「完全に」「折る」です。
これが、complex。

対義語、反対の言葉を挙げるとするなら、
日本語では「単純」「純粋」ですよね。
単純=「一人で」「曲がらず」「まっすぐ」
英語で言えば、pure、ピュア、でしょうか?

このように考えていったとき、

コンプレックス、complexという言葉には
「複数」「多角」「屈折」
「しがらみ」「ぐちゃぐちゃ」…
そういう意味合いがあることが、わかります。

そう、コンプレックスとはずばり、
「複雑」なんです。
「一筋縄」ではないんです。
「錯綜している」と言ってもいい。

ちょっと意外かもしれませんが、
英語complexの直訳を調べてみると
「複雑な」という日本語がまず出てきます。

でも「コンプレックス」という
カタカナ英語からは、あまり
「複雑な」という意味合いは出てこない…。
冬彦さんとか、シネコンとか、
そっちのほうが先に浮かんでくる(私は)。

あえて繰り返しますが、
コンプレックス=複雑なんです。
単純まっすぐ一筋縄、では、ない。
ここをまず、押さえる。

そう考えていったときに、と展開します。

コンプレックス、という言葉は、
いかにも人間臭い言葉だと思いませんか?

人間は、本能と理性が同居する生き物です。
多角的に、様々な視点から想像できる生き物。
本能のままに生き、動かされ、死んでいく、
昆虫とか魚とか動物とかとは、
ちょっと違いますよね。

だからこそ「コンプレックス」を持つんです。
ごちゃごちゃっと絡まることが、ある。

そりゃそうですよ。
死ぬまで本能のまま「単純」な行動しか
取らない、取れない、選択できないとしたら、
コンプレックス(ここでは心理学的な意味)
なんて生じるわけがない。
「複雑な感情」を抱くこともないし、
「複合的」に考えることも、ない。

「複雑」な人間であればあるほど、
「コンプレックス」は生じやすいんです。


ただし、と考えます。

逆説的になりますが、
その「コンプレックス」の由来を突き止めて、
言葉で表現し、はっきり自覚できた時、

それは「複雑」ではなく、
「単純」になるんではないでしょうか?

完璧に理論武装した(と思い込んでいる)人に、
悩みがない(ように見える)のと同じように。

ごちゃごちゃっと絡まった糸は、
その解決の「糸口」が見えないからこそ
複雑であり、よくわからないのであって、

もし、それを金田一少年の如く「紐解いて」
「一本の糸」が「まっすぐに」なり、
ここがこう絡まっていたのかと
目に見えるようになるのであれば、

あるいは「スパッと」
快刀乱麻を断つが如く切り離されれば、

「単純」になるんじゃないでしょうか?
すなわち、コンプレックス、ではなくなる。
「分かる」ことは「分ける」こと
とも言いますし。

まあ、このように言うと
「そんなに簡単にはほどけない、断てない、
何本もの糸、しがらみが絡まっているからこそ
コンプレックスなんですよ!」と
反論されそうですけれども、

その複雑な「謎」を自分なりに
「解こう」とするのもまた、
人間、なのではないでしょうか。
そもそも「心理学」というのも、
「心」という「コンプレックス」を
「理論」で解き明かそうとする学問ですし…。

まとめます。

コンプレックスという言葉は、多義的です。
ただその根源は「複雑なごちゃごちゃ」。

もともと人間はコンプレックスの塊。
そういう生き物です。
複雑で、多角的で、こじらせる生き物。
よくわからない「心」を持った生き物。

でも、だからこそ、
単純で、純粋まっすぐで、
「つながる」「解く」ことに惹かれる。
そういうピュアな人に、心酔したりする。


(…私なんかはちょっと物事をうがって
見たりするのが好きなので、
純粋まっすぐな裏表のない意見を聞くと
まぶしくて目が開けられないこともありますが)

複雑と単純。理性と本能。情念と理論。
コンプレックスと、ピュア。…

二項対立に見せかけて表裏一体、
その間の無数のグラデーションを
行ったり来たりできる
のもまた、
人間の醍醐味であり、

この人の世の醍醐味であるようにも思うのです。

読者の皆様は、いかがでしょうか?
コンプレックスは、ありますか?
コンプレックスを、ほどいていますか?
コンプレックスを、自覚していますか?

そうですね、ちょっと悩みすぎる方は、

シネコンで『シン・ウルトラマン』でも
観てみると良いかもしれません。
何しろ、マン(人)をウルトラ(超越)する
映画
ですから(私はまだ観ていませんが…)。


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