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ブランディング全盛の世の中である。

しかしこのブランディングを
すべて『嘘』と捉え
全否定する人も、いる。

『嘘は良くない、正直が一番!』

本投稿では、ここを
もう少し深掘りして考えてみたい。

まず、嘘と真実の線引きについて。
芥川龍之介の作品に
『藪の中』という名作がある。
主観と客観、嘘と真実を
扱った作品なのだが、
嘘か真実かは、最後までわからない。
まさに『真相は藪の中』だ。

ある出来事を
不完全な五感で捉え
不完全な脳で認識し
不完全な言語で表現するのが、人間。

完全にすべての関係者の思考を
テレパシーで捉え、
100パーセント機能した脳で
誤らず真実を認識し、
誰にでも明白な言語で表現できる。
そんな人間がいると、逆に怖い。
いたとしたらそれこそ
神様か、大嘘つきだ。

もしそういう人ばかりなら
裁判に何年もかかるはずが
ないではないか。
嘘と真実の線引きは、
極めて難しい
、のだ。

ならば、なぜこの世の中には
『嘘つき』『正直者』
いるのだろう?
前者は悪者、後者は善人を
表す言葉として使われる。
しかし言語が不完全で
みんな嘘を含む、とすれば
みんな『嘘つき』なのではないか?

…この違いは、表現に対する
出し手の態度の違いにより生じる。

あくまで謙虚に、
引用は引用として明らかにし、
根拠があやふやの時は断言せず、
意見が違う可能性も自ら示唆する。
こうすれば、正直者、と呼ばれる。

こういうことをせず、
絶対的な真実であるかのように
断言し、時には捏造し、粉飾し、
相手に判断を誤らせれば、
嘘つきだ、と弾劾される。

…この、『判断を誤らせれば』
というところがミソだ。

つまり、全くの妄想や虚構であっても、
受け取る人が『誤りではない』と
感じさえすれば、
嘘は嘘でなくなる
、のだ。

例えば、
三国志演義という小説がある。
『天才軍師』諸葛孔明は
人間離れした知略と幻術を使い、
『最強戦士』呂布は
怪物のようにめちゃ強い。
しかし、受け取る人は
「お話」として受け止める。
嘘つきとは、糾弾しない。
そもそも「小説」とは
取るに足らない嘘話、
という意味の言葉なのだから。

まとめよう。

嘘と真実は、受け取る人の主観。
言語や認識は、不完全。
誤解を恐れずに言うならば、
嘘は、方便、軍略、ツールだ。

その大前提に立った上で、
より『誠実』な『誇張』、
すなわちブランディングを
考えていくべきだ
と、私は思う。

主観的な虚実ない混ぜのこの世。
全部嘘だ幻だと投げ出さず
全部真実だと無邪気に思考停止せず
誠実に出し、丁寧に受け止めること。

この姿勢こそが、
大事なのではないだろうか。

(補足)

SNS投稿の『誠実さ』
こちらのnoteをご参照ください↓

また、言語表現よりもさらに
取捨選択と誇張を含む表現に
漫画表現があります。

歴史漫画の利点と欠点について
note記事を書きました↓

宜しければ、合わせてぜひ。

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