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長編小説『凸凹バラ「ストロングリリーフ」ミシェルとランプ』45

7、商館長の漆黒

漆黒の液体を最後の一滴まで
陶磁器のカップに注ぎ終わり、
一人の女性がゆっくりと椅子に腰かけた。

ここは、とある都市にある
建物の地面の下、地下室だ。

彼女はまず、その芳醇な香りを楽しむ。
堪能し終わると、まず一口。
舌の上に広がる旨味と苦味を
存分に味わった。
やはり珈琲はブラックで、
しかも自分で淹れるに限るわ。

「…そろそろ、戻ってくる頃かしら?」

その口調は、遊びに出た子どもが
家に帰ってくるのを待つ
母親のようなものだ。
ただし彼女は独身であり、子どもはいない。
待っているのは彼女の従者だった。

年の頃は三十前後。
珈琲のような漆黒の髪が、
腰の辺りまで伸びている。
髪の色と同じ黒い正装を身にまとって、
カップを優雅に傾ける様子は、
やんごとない高貴な
家の出であることを示している。

…ただ、その美貌は、どことなく
浮世離れしたものを感じさせた。

肌は雪のように白い。
よく言えば幽玄であるが、
悪く言えば生気が感じられない。
ひょっとするとこの世の住人では
ないのではないかと、
会う者に錯覚させる美貌だった。

ノックの音もせず、いきなり扉が開く。
突然に現れた闖入者を、しかし、
彼女は咎める様子もなく手招きした。

こちらは、対照的に日焼けした
小麦色の中年女性だ。
背が低かった。
だらしなく丸めた猫背。
部屋の主人とは正反対の
庶民の出であることを思わせる。

年の頃は四十前後か。
手入れをしていない髪はぼさぼさで、
目は糸のように細い。
作業着のような黒服を身にまとい、
野生の黒猫のような顔つきをしていた。

「…終わりましただよ、カフィー様」

「ええ、ご苦労様。そろそろ
帰ってくる頃かと思っていたわ。
…首尾はどう?」

「お言いつけの通り、
大公の命までは獲っておりませぬよ。
ただ、しばらくは
寝台から動けんでしょう。
神経毒を使いましたので、
身動きはできぬはずだわ」

「よくやったわ、ククア。
別命があるまで、待機をしてなさい」

カフィーは、ぽん、と
机の上に置いてあった小袋を床に投げた。
獲物をしとめた謝礼である。
押し戴いて懐に入れ、
ククアは無言で部屋を出ていった。

女主人の名は、カルダモン・カフィー。
従者の名は、ピコル・ククア。
カフィーは、ローズシティ連盟における
カルダモン商会の総責任者、商館長である。

…二人が初めて出会ったのは、
カフィーが商館長に任じられる、
約一か月前のことだった。
この国ではない。
ディッシュ大陸の北西部の港町、
カトルエピスでのこと。

カフィーの父親は、
カルダモン商会の当主である。
しかし、たくさんいるきょうだいの中の
一人に過ぎず、しかも側室の子どもであった。
母親は、家柄は高く、
輝く美貌を持っていたのだが、
その内実はかなり窮乏していた。
その没落した貴族の娘を、
カフィーの父親は、
家の借金と引き換えに側室にしたのである。

その娘である彼女には、
何人もの競争相手がいた。
当主の座を継げる可能性は、限りなく低い。

ククア、という死刑囚に出会ったのは、
カフィーが取引先から
借金の取り立てをしてきた帰り道である。

街角で、ククアはカフィーにぶつかった。
手枷をしていた。
ひどい身なりで汚い裸足。
いかにも脱獄してきました、
という様子であった。
普段ならそのような相手に対して
一瞥すらしない彼女だったが、
ククアの必死な目つきが、
彼女の考えを変えた。

生きるためには何でもする、という
暗い決意がそこには宿っていたのだ。

「…助けてあげてもいいわよ。
ただし、何でも私の言うことを聞く?」

地獄に垂れた一本の糸。

ククアは、それを掴んだ。
カフィーは彼女を自宅にかくまった。
二人の女性の似顔絵を示して、名を伝える。
鈴が鳴るような美しい声で、ささやいた。

「…あなたに、この人たちを消せるかしら?」

ククアは、その似顔絵をじっと見つめて、
彼女たちの日常の行動範囲を聞くと、
そのまま黙って姿を消した。

カフィーは、暗殺が成功するとは
思っていなかった。
ただ、標的の肝さえ冷やせれば
それでいい、と思っていた。
たとえ露見したところで、証拠はない。
知らぬ存ぜぬで押し通せばいい。
役に立たぬ野良猫は捨てるまでのこと。

彼女には、才覚と度胸があった。

カフィーは借金の取り立て、
競合相手への脅迫など、
どんな汚れ仕事でも進んで引き受けている。
一族の間では、表向きには当主の
娘の一人として尊重されていたものの、
裏では侮蔑されていた。

「カフィー? 顔はいいが、
心根まで汚れきっている女さ。
名門のカルダモン商会を
継げるわけがないだろう!
使い勝手の良い汚物処理担当。
ま、そういう奴もいなければ、ね」

一種の幽玄たる雰囲気も、
生気のない表情も、
自分への侮蔑に対する復讐の炎を
周りに隠し通す、
彼女なりの処世術だったのかもしれない。

そんな彼女が、趣味である珈琲を
自室で味わっている時に、
ふらりとククアが戻ってきたのだ。

「ご主人様。
…二人とも、消してきましただよ」

カフィーは内心の動揺を押し隠し、
彼女に謝礼を握らせた。
事実、カフィーの競争相手である
二人の女性は、変死を遂げていたのだ。

もしも疑惑が自分に及んだら、
蜥蜴の尻尾切りとばかりに、
罪をククアに押し付けて
言い逃れをするつもりだった。

しかし、一向にカフィーに
容疑はかからなかった。
ククアは、完全犯罪を成し遂げていた。

…気まぐれから拾った黒い野良猫は、
恐るべき刺客、
手練れの暗殺者だったのだ。

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『凸凹バラ「ストロングリリーフ」
ミシェルとランプ』
作:ヒストジオいなお
絵:中林まどか

◇この物語は、フィクションです。
◇noteにも転載していきます。
◇リアクションやコメントをぜひ!
◇前作『凸凹バラ姉弟
ミシェルとランプ』の続編です。
(全6章のうち、5章まで公開)
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