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ラーメンの新店は、たくさんあります。
創作ラーメンのお店も、多い。

店を出す店長は、自分のつくるラーメンが
美味しい、人気が出る、
そう思って出店するものです。
さすがに「まずい」と自分が思うラーメンを
店を出してまで売ろうとする店長は
あまりいないのではないでしょうか?

ただ、そのラーメンが美味しいかどうか、
また店に来て食べたいと思うかどうかは
お客さん次第、ですよね。

鶏ガラ、味噌、醤油、塩、豚骨…。
そういった「スタンダードな」ラーメン
であれば、お客さんも食べる前から
「たぶん、こういう味だ」という
予想がつくことでしょう。

しかしながら、創作ラーメンともなれば、
食べてみなければわからない…。

本記事は、創作ラーメンを題材に
新しいアイディアを世に問うことについて
書いてみたいと思います。

『らーめん再遊記』という漫画があります。
原作は久部緑郎さん、作画は河合単さん、
2020年からビッグコミックスペリオールで
連載されている作品です↓

前々作『ラーメン発見伝』、
前作『らーめん才遊記』に次ぐ
第三弾になります。

主人公は芹沢達也という
スキンヘッドでメガネのラーメン職人です。
前々作や前作では「敵役」「大いなる壁」
であったキャラですが、
『らーめん再遊記』で主人公化しました。

(『美味しんぼ』を読まれてきた方は
一種の海原雄山的なキャラを
想像していただければ、と思います)

この漫画が、すごい!

自分が「好きなラーメンを好きに
作りたいだけのイカれたラーメン馬鹿」
であることを自覚した彼は、

ニューウェーブ系ラーメン界のカリスマの座、
社長の座をいったん降りて、
様々なラーメンに「再び」「個人として」
向かい合っていくのです。


いわば海原雄山が美食倶楽部を捨てて、
一介のグルメ男として
世の中に紛れ込むようなもの…。

面白くないわけが、ない。

詳細な内容は漫画を読んで頂くとして、
彼の「態度」について書きますと。

この芹沢は、はっきり言って
「嫌なキャラ」だった。
前々作、前作では。

ラーメンへの情熱をこきおろす。
冷笑する。
ずばり痛いところを突く。
敵は、徹底的に痛めつける…。

事実、『らーめん再遊記』では
過去に芹沢にこてんぱんにやられた
遺恨を持つ人たちが出てきます。

ただ、本作では少しテイストが変わり、

その「冷笑」して「叩き潰した」人たちを
認めるような言動もしていくんです。
事実、芹沢に潰された過去を再検討し、
立ち直っていく、
情熱を再び取り戻す人も、出てくる。

まさに「再び」「遊ぶ」物語なんです。

ラーメンは、冷やしラーメンなどを除いて
基本「アッツアツ」で提供されるべきもの。
ラーメン店の店長も、基本、
アツい情熱に満ち溢れています。

それを冷笑し、馬鹿にするような行為は、
まさにそのラーメンを
「冷ましてから」提供するように
言う行為に似ています。

もちろん、過去の芹沢の言葉に
理由がないわけではありません。
ダメなものはダメ、理由がある。
ただ、言い方がひどかった。

もっとここを改善すればいい。
ここが足りない。

そう温かく言えば、その店長も
なるほどそうかと納得して
いい形に進んでいくかもしれなかったんです。

しかし、前々作、前作の芹沢は
「冷笑」することが多かった。
バッサリ、です。潰される人も多かった。
まさに「憎々しい敵キャラ」として
越えるべき相手、克服すべき相手でした。

…今作の芹沢は、自身が主人公となって、
その自分がしでかしてきたことを
もう一度「再考」し、
(叩き潰すのは当然だった、と
開き直ることもありますが)
「再び遊ぶ」が如く、ラーメンについて
多角的にアクションを起こしていくお話。

もう一度、アッツアツにする。

この構造こそが今作に、
煮干しの如く苦味と深みを加えています。
芹沢が、人間臭い味のあるキャラとして
描かれ直されているのです。

…さて、ここまで
『らーめん再遊記』について書きました。
新しいアイディアとどう結びつくのか、
ここから書いていきます。

ラーメン店は、次々と生まれます。
創作ラーメンもたくさんあります。
ただ同時に、ラーメン店は次々と閉店します。
お客に受け入れられない創作ラーメンも、
たくさんあります。

新陳代謝が、激しい。

アイディアが次々と生まれては
消えていく世界なのです。

ですが、そのダイナミズム「こそ」が
ラーメンをここまで多種多様に
楽しめるものに発展させた、

と言ってもいいでしょう。

そもそも世に出ないと、
お客に提供してみないと、
「受け入れられるかどうかすら」わからない。

よくよく考えてみれば、
いまスタンダードとされているラーメンも
元々は「創作ラーメン」ですよね。

例えば、札幌の味噌ラーメンは、
1955年に「味の三平」という店で
考案されたと言われています。
日本各地から味噌を取り寄せ、
試作品を常連客に出して意見を聞きながら
試行錯誤、ようやく1963年に
店のメニューになったそうです。

博多の豚骨ラーメンは
1947年に「南京千両」という店で
生まれたと言われています。
元々は東京で醤油ラーメンを修行した店主が
九州で醤油ベースのラーメン屋をオープン。
火力が強すぎて白濁してしまったスープを
試しに出してみると好評だった。
そう、豚骨ラーメンは「アクシデント」から
生まれたものだったのです。

その豚骨と、醤油を組み合わせた
「家系」のラーメンが、
1974年開店の「吉村家」から生まれた…。

もし、その場に「冷笑者」がたくさんいて、

「味噌は、味噌汁だろう?」
「こんな白濁して匂いがあるスープはダメ」
「豚骨と醤油、合うわけがないよ」

と、ばっさりと斬り捨てていたら、
どうなったでしょうか?

味噌ラーメンも、豚骨ラーメンも、
家系ラーメンも、この世には
生まれてこなかったかもしれません。

今では、日本中にあります。
世界にも、進出しています。

創作が、ぶつかり煮込まれ世に問われ、
切磋琢磨されてこそ、いい味が出る…。


それを冷笑し、世に問われる前から
叩き潰すような行為は、

いわば「アッツアツのラーメンを
冷ましてから提供するように言う」ような、
ダイナミズムを失わせる行為

他ならないように思うのです。

最後に、提案して終わります。

読者の皆様はいかがですか?

つい誰かのことを「冷笑」していないですか?
自分自身のアイディアを何らかの形にして、
「創作ラーメン」が如くに
世に出しているでしょうか?

かく言う私も
まだ全然「売れないラーメン」です。
ですが、ささやかながら創作して、
こうして言葉にして世に出しています。

本記事は、松本 淳 さんの
『イケてない冷笑主義者たちに負けるな』
というnote、Voicyの記事に
触発されて書いてみました↓

未視聴の方は、ぜひどうぞ。

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