見出し画像

2024年4月20日(土)に千葉県のせんのみなとで
「BON DANCE」というイベントが行われました。

淀瀬 博行さん、高島 吏紗さんをはじめとする
主要運営メンバーの皆様と、
せんのみなとの管理者である
高崎 澄香さん、長嶺 将也さんたちの
ご尽力を中心に、
素晴らしいイベントになったそうです。

「なったそうです」というのは私は
今回、参加していない。

「参加しなかった人は何も言う資格はない!」
という参加絶対至上主義者の方たちや、
「私は参加しない!」という
不参加絶対至上主義者の方たちから見れば、

部外者が滝の一部を
ただ観瀑席から眺めるような記事
です。
「BON DANCE」の意義を書きます。

フィードに続々と流れる
「BON DANCE」の報告記事を読み、
読者の皆様はどんな感想を持たれましたか?

…ご感想は人それぞれ、だと思います。
実際に参加したか参加していないか、また
運営に参画したかどうかで違うでしょう。

参加した側の方の心理から考えます。

主要運営メンバーの皆様にとっては
「100%自分ごと」のイベント。
自分たちこそ、企画段階から、
ゼロからイチ、いやヒャクまで作り上げてきた。

次に、パートリーダー、つまり
「〇〇部」の主要メンバーの方にとっても、
100%自分ごと。参画感が満載のはず。
自分が動くことで、祭りが盛り上がるから。

一方、そこまで運営や出し物・調理などに
携わってはいないけど、参加をした方は?
人によります。
積極的に準備や出し物に参加した方、
観客としての動きが多かった方、
個別の交流を中心に動いた方、
それぞれ、いらっしゃる。想いも様々。

最後に提灯などの支援で間接的に参加した方。
「支援金」という形で参加した方々です。

さて、まず特筆しておきたいのは、
「みんなでつくりあげる」方針が
このイベントで徹底されていたこと
です。
しかも、強制する・されることなく…。

例えば純粋に「参加者」だけの立場で
参加した方であっても、
準備、片づけ、技の披露、
「積極的に自分から」関わっていた方が多い。
数々の報告記事から散見されます。

ここから私は、ただ来て、楽しんで帰る、
だけではなく、「みんな」をそれぞれ
「運営」に巻き込むことを成し遂げていた
稀有な運営ではなかったか…
と思うのです。
主要な運営メンバーで「なくても」、
100%自分ごととなっていた方が多い。
「自分(たち)の祭りだ!」と。

ここで質問です。もし、読者の皆様が
淀瀬さんや高島さんの立場だと仮定します。
どんな「困難」が考えられるでしょうか?

◆大雨になったらどうする?
◆当日の交通、送り迎えはどうする?
◆閑静な場所で大きな音を出して大丈夫?
◆どこまで参加者の人数管理を行う?

パッと考えただけでも、これだけ浮かぶ。
表には出てきにくい部分ですが、
おそらく主要運営メンバーの方々は
「事前に」徹底的に会合と議論を重ねて、
対応策を一つずつ練ってきたと思うのです。
華やかな成功の裏は、泥臭い作業がたくさん。

困難に正面から立ち向かい作り上げた
主要運営メンバーの方々の勇気、
執念は、凄いとは思いませんか?


天気は晴れるのを祈るしかない。
駐車場やバスの手配。
「トイレ」の手配も必要でしょう。
祭りで大きな音を出すことに対して、
周辺地域への丁重な心配りも必要不可欠…。

あと、とても悩ましいのが
「参加者の人数管理」です。

キャパを超える人数になりそうな時は、
スパッと「満員御礼」で足切り。
「提灯購入による支援」に切り替えた。
これ、なかなかできることじゃない。
結果的に、提灯を通して費用もまかない、
かつ、参加できなかった方にも
「参加している感」をプレゼントした…。

…ただ、このような手立て、方法すら、
意義の一つに過ぎない。
私が考える本当に大事な「意義」とは、

◆「LinkedInというSNSの運用者たち、
本来バラバラな『個人』が集まって、
このように『みんなで』大きな
イベント開催を企画し、実現したこと」

ではないか、と思うのです。

会社やまちにおける祭りとは違う。
伝統的なものではない。これから伝統になる。
義務でもない。各人が意欲と興味で集まった。
ゼロからイチが集まり、ヒャクになった。
これこそ大きな意義!

「不参加」で見ているだけの読者の中には、
(「下衆の勘繰り」で本当に恐縮ですが…)
このように考えた人もいるかもしれない。

◆「徒党を組んでいるだけじゃない?」
◆「仲間が集まると排他的になるのでは?」


ですが、その心配は的外れでしょう。
「来るもの拒まず」で、
「来てくれたら嬉しいし、たとえ
事情があって来れなくても大丈夫ですよ!」
という、オープンな精神で実施されたから。

今回、参加しようとして締め切られて
参加できなかった方も、
おそらく、また次の機会があるはず、
という期待を持っているのではないか。
そんな雰囲気を皆様も感じているのでは?

個人の事情とスタンスを鑑み、その都度、
個々が参加/不参加を検討すればいい。
「強制」されることは、全くない…。
排他的ではない自由な集まり!
自立した「個」と「個」がつくりあげた
「交流ができる」SNSの結晶
だと思います。

最後に、まとめます。

本記事は「BON DANCE」開催の意義について
参加してないのに勝手に書きました。
的外れでしたら本当に申し訳ございません。

このイベントに対する一つのコメントの
やり取りを引用して終わります。
海外の方からの意見、英語でのコメントです。

(ここから引用)

『That's inspiring!
But, don't you think
such gatherings overshadows
the quiet achievers
who aren't as socially active?
Sometimes, the loudest rooms
miss the whispers of innovation.』

『Yeah, that's true.
We might miss
some whisper of innovation though,
that was cool event
more than anybody expected.』

(大意)

『すごいですね! しかし、
このような集まりは、社会的に
活動的ではない静かな達成者たちに
影を落としているとは思いませんか?
時には、最も騒々しい部屋では、
イノベーションのささやきが
聞こえなくなることがありますよ?』

『ええ、確かにそうですね。
イノベーションのささやきを
聞き逃すかもしれない。ですが、
このイベントは予想をしていたよりも
ずっとクールで格好いいイベント
でしたよ!』

(引用終わり)

イノベーションは、小川のせせらぎ、
静かなささやきの中だけではなく、

大きな滝が轟然と流れ落ちるような
「クールな祭りの喧騒」
の中からも
生まれてくるように私は感じたのです。

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!