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織田信長は戦国大名にして
芸術は爆発だ!(鉄砲だ?)的な
芸術家でもありました。

豊臣秀吉は戦国大名にして
金を振りまくファイナンスミニスター
工事が得意の建築家でした。

徳川家康は戦国大名にして
薬や健康については医師も脱帽の
パーソナルフィットネス&
メディカルプランナーでした。

乱世に優れた業績を残した人は
お仕着せの箱には収まらない
掛け持ちの一生
だったのです。

…そりゃあ教科書に出てくる
ような人はそうだろうけど、
いまの時代の個々人、
平々凡々な自分には
何の関係もないだろう、
ですって?

いや、それがそうでもない。

なぜから現在、この状況は
色んな壁が溶け出している
乱世
、だから。

…ということを、松本淳さん
オススメの記事を読んで
強く感じたので紹介を。

『ソーシャルメディアとは「実社会」そのものである ~アースメディア・松本淳さんが語るソーシャル時代の歩き方~ 2/2』↓

ぜひご一読いただきたいですが、

特に印象に残ったのはここ。

会社←→社会
オフライン←→オンライン
リアル←→バーチャル
この壁がなくなりつつある、

という意味のところ。

…昔の冷戦体制のように、
『鉄のカーテン』を心に
ひいている人、まだいますよね。
『ベルリンの壁』
つくってますよね。

つまり、会社の自分と、
社会の中の自分は、
別人、他人、壁の向こうだ、と。

オフラインでリアルな自分と
オンラインでバーチャルな自分は
鉄のカーテンの向こう側だ、と。

…確かに終身雇用一社専属、
SNSも発達してない
一昔前はそれでも良かった。

しかし、今はそうではない。
いかにこの2つの間を
連続させるか、行き来するか、
つまり掛け持ちするか
、です。

織田信長は自分の主観と美的感覚を
合戦に持ち込みました。
豊臣秀吉は金と土木工事を
天下建設に組み込みました。
徳川家康は天下泰平のために
長寿と子孫繁栄を重視しました。

全部、同一人物です。

自分は、自を分けると書きます。
しかし、
分けた上での連続性、
コラボ、相乗効果。
それこそがこのSNS乱世で
必須ではないでしょうか?

壁など、ないんです。
実は心の中で作っているに過ぎない。

私もこの記事のように
地理と歴史のスパイスを振りかけて
一般論から個別論への
実用風な味付けにしてますが、

実はけっこう自分を出しつつも
まだ出しきれない自分も
自覚しています
(諸事情もあり…)。

いや、けっこう
「いなお味」が出ていますよ、とか
一般論の壁、まだありますね、とか
言われるとちょっと嬉しいです。

以上、松本さんの紹介記事の紹介でした
(ただのシェアだけでは
味付けが足りないかな?と思い、
戦国三傑話をトッピングしました)。

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