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浜名 冬樹 さんが「金沢市がnoteを始めた」と
投稿で知らせてくださり↓

どんなものだろう、と見にいきました。
そのnote記事には、こう書かれていました。

(ここから引用)

『どうしてnoteなのか。
私達は普段、金沢市が進める施策や
イベント情報について発信しています。
主に新聞・テレビ・ラジオ・HPで。
それぞれの媒体で
読者の年齢層や発信内容が異なるので、
分かりやすく情報が伝わるよう、
日々工夫しています。
だけど、行政が発信する情報って
何か分かりにくい…。
そんなふうに言われることがよくあります。
(中略)
「正確性」を重視するあまり、
発信者目線の”おカタい文章”に
なりがちだったのかもしれません。
noteにはたくさんの
自治体アカウントがありますが、
そのどれもが読み手にとって
分かりやすい文章となっています。
noteというサービス自体が、
その「気風」を
作り出しているのかもしれません。
行政が発信する情報の分かりにくさを
何とか解消したい!
お役所言葉をなるべく使わず、
誰にとっても受け入れられる広報をしたい!
そんな想いで、
金沢市はnoteを始めることにしました』

(引用終わり)

この文章から、いくつかキーワードを
抜き出してみることにします。

◆「正確性を重視」
◆「おカタイ文章」
◆「行政が発信する情報のわかりにくさ」
◆「お役所言葉」

…なぜ、行政が発信する情報は
わかりにくいのか?
このあたりの分析を手掛かりに、
「組織、個人、フリーな言葉」について
私が思っていることを
本記事では書いてみたい、と思います。

◆行政=政治を行うこと

まずこれが大前提ですよね。政治なので
「みんなのために」「公平」が、目標。
つまり「個人で気楽にフリーダムに」
とはいかない部分がある。

発信するための費用は、税金ですから。

本当に自由気ままに書いてしまうと、
「税金泥棒!」という悪罵を投げつけられる
危険性があります。だからこそ、
「間違いがないように、公平に、
納税者の方を納得させられるように」
という、見えない枷がはめられる、のです。

ゆえに、おそらく「行政として発信」する際、
その裏では「稟議書」なるものが回り、
たくさんの方が「この内容でいいか」を
精査した上で、発信を「許可」される
ことが多いのでは…。

読者としては、
その「発信に至るまでの裏側」を
想像すべきです。

個人が勝手気ままに書くのとは、違う。

だからこそ「お役所言葉」を使う。
だからこそ「おカタイ文章」になる。
…その結果「わかりにくい発信」になる。
そのジレンマを踏まえた上で、
noteでの発信にチャレンジする。
いったいここに、どれだけの覚悟、
どれだけの根回し、どれだけのごちゃごちゃが
ある(あった)ことでしょうか…。

私は、その裏側を思うだけで、
ちょっと涙が出そうになります。
自由気ままに発信している私なんかには、
想像もできないようなどろどろが
そこにはあるのでは、と感じました。

ここで、少し視点を変えてみましょう。

「個人」と「組織」の両極端を仮定したとき、
それを結ぶ線上には、
無数のパターンが考えられます
よね。

全くの「個人」なら、枷はありません。
行政などの「組織」なら、枷が多くなる。
では、民間の「会社」の場合は?

私は、まさにここに、LinkedInが
「会社や利益を背負った原則実名制SNS」
であることのジレンマ
があるように思います。
すなわち「会社の看板を明らかにしている
以上は、下手なことが言えない」
という
心理上の枷が存在し得るのです。

これは、会社(組織)によって、千差万別。

いわゆる「お堅い」大企業に所属しながら、
フリーダムな投稿をされる方もいる。
中小零細企業だけど
フリーダムには投稿できない方もいる。

…いや、これは一方的な解釈ですね。
中小零細企業「だからこそ」
「SNS監視の目」がきつくて、
見る専に甘んじる、投稿はできない、

という方も、LinkedIn上には
たくさんいらっしゃるのではないでしょうか?

社長、経営者なら話は別でしょう。
俺は社長だ、なんか文句あるか、でOK。
また、会社ぐるみで
個人のSNS投稿に力を入れているような
風通しの良い組織なら、問題はない。

ですが例えば、勤務時間内のSNS投稿を
とがめられるような組織にいる方は?
発信したくとも、発信できない…。
発信は、深夜とか早朝だけ…。
そういう状況にある可能性も、高いです。

「自由に発信しようよ!」

そう呼び掛けるのは自由。
尊重します。ですが、
ユーザーの「背景」を考えるのも必要
(組織に縛られている人なんか
ハナから相手にしないぜ、なら別ですが)。

「くそっ、俺だってすべてを明らかにして
フリーに、思うところをどんどん
発信したいよ! でも、それを許さない、
それをしたらとがめられるような
環境が、俺にはあるんだよ…」

そう思ってらっしゃる人も、
ビジネスSNSたるLinkedInには
とてもたくさんいるんじゃないかな…
と、私は想像してしまうのです。

特に、組織の極みである「行政」の方は、
あまり文句を言われない「役職者」か、
ビジネスに近い「広報」関連の
部署にいる方ぐらいしか、
発信しにくいのではないか…と。

だからこそ「原則匿名(実名でも可)」の
Twitterなどのほうが利用者が多くなる。

「原則実名」でも「原則仲間うち」の
Facebookなどのほうが利用者が多い。
「これはプライベートであって、
オフィシャルな発信ではありませんよ!
所属する会社、組織とは
まったく関係ありませんよ」という
『言い訳』がしやすい
から…。

うーん、「同調圧力」「空気を読む」
日本社会の縮図、ですね…。

と、ここまで分析した上で。

ちゃぶ台をひっくり返しながら
まとめていきます。

「そういう心理的な枷って、
本当にあるんですかね?」

例えば行政なら、
「お役所言葉」で「わかりにくい文章」、
そちらのほうが「税金泥棒」と
言われませんか?
金沢市のチャレンジのように、
わかりやすい言葉で発信した方が、
読者=納税者にとって、いいのでは?
多少間違ったことを書いても、訂正すれば?
そういう人間味があったほうが、
逆に親しみを持ってもらえるのでは?

会社であれば、
上司に言われたから、なんでしょうか。
「これからの時代、個人で発信もできないような
ビジネスパーソンが通用するんですか?」
と言い返せばいいのではないでしょうか?
そもそも、誹謗中傷ではない
意義ある投稿すら認めない会社に、
未来はあるのでしょうか?

(とはいえ、その論理が通用しない環境、
そう言っただけで解雇の危険性がある方は、
「複業クリエイター」として
発信する方法もあります)

個人でフリーダムに発信されている方。
それは、理想形です。リスペクトです。

ですが、その理想に近づく道のりで
暗中模索、自縄自縛、公私のはざまの煉獄で
もがき苦しんでいる人もまた多い
ことを、
想像していただけると、とても嬉しいです。

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