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戦後日本の総理大臣を、何人知っていますか?

本記事では、ざっと「取捨選択」して、
どんな人がいたのか、概略を書こうと思います。
概略ですから、詳しい政治思想とか
政治の中身までは書きません(書けません)。

当然ながら、私の主観が入っています。
読者の皆様におかれましては、
興味の出た方を調べてみると、面白いと思います。

さて、名前だけ列挙しても
何も面白くありませんよね。
十年ずつ分けて、書いてみます。
小見出しもつけて…。

◆すべて敬称略で書きます。

①1940年代:戦後すぐの混乱
②1950年代:五十五年の体制
③1960年代:吉田学校の龍虎
④1970年代:三角大福の時代
⑤1980年代:田中角栄の明暗
⑥1990年代:竹下院政の創生
⑦2000年代:小泉劇場の破壊
⑧2010年代:安倍一強の選挙
⑨2020年代:SDGsの政治

①1940年代:戦後すぐの混乱

1945年に終戦、日本は敗北、
GHQによる占領が始まり、その中で
「戦後からの復興」が始まります。

総理は何人かすぐ交代していきますが、
戦後の道筋をつけたのは、吉田茂
麻生太郎のおじいさん、ですね。

彼はGHQのマッカーサーと渡り合いつつ
「吉田学校」と言われる
「自分なりの政治を行うための人材」を
育てていきます↓

池田勇人と佐藤栄作。
田中角栄、大平正芳、宮澤喜一…。
戦後政治を彩る総理になったこの五人は、
いずれも、この吉田学校出身です。

田中角栄を除き「官僚」出身なのが特色。
吉田茂自身も、外務省出身でした。

ただ、その政治手法は「ワンマン」
個人的・密室的に決めることも多かった。
逆に言うとそうでもないと、
混乱期は乗り越えられなかったとも言えます。

②1950年代:五十五年の体制

1951年に、日本独立。

吉田茂の権威は徐々に失われ、
変わって政権についたのは、鳩山一郎
鳩山由紀夫のおじいさん、ですね。

彼の政権下、1955年に保守合同が行われ
「五十五年体制」と呼ばれる
自民党が与党、社会党その他が野党、
という枠組みが固まります。
これは、1993年までずっと続いていきます。

鳩山の後は石橋湛山、彼はすぐ病気で交代し
副総理の岸信介が総理に。
安倍晋三のおじいさん、ですね。

彼は国内では「国民年金制度」をつくり、
国外では「新しい日米安全保障条約」を結ぶ。
賛否両論渦巻く「六十年安保」の嵐の中で、
1960年、彼は退陣しました。

③1960年代:吉田学校の龍虎

「高度経済成長」が進展していった時代。
この時代の旗振り役は、
池田勇人佐藤栄作という、
「吉田学校」出身の二人でした。

池田と言えば、東京五輪(1964年)。
佐藤と言えば、沖縄返還(1972年)。

言わば吉田茂がやり残した宿題を、
それぞれの得意分野を活かしながら
「経済の池田」「人事の佐藤」として
解決していった、とも言えます。

④1970年代:三角大福の時代

この池田と佐藤の下で力をつけたのが、
「角さん」こと、田中角栄です。

コンピュータ付きブルトーザーとも
言われた彼は、日中国交正常化
日本列島改造などに着手します。
しかし、ロッキード事件により退陣…。

彼の後は、三木武夫・福田赳夫・大平正芳
二年ずつくらいで総理が変わります。

田中のライバルが、福田(角福戦争)。
田中の盟友が「讃岐の鈍牛」こと大平。
田中の金権政治の尻ぬぐいは「クリーン三木」。

一文字ずつとって「三・角・大・福」
オイルショックもなんのその、
自民党の派閥が相争い
勝った者が政権につく時代なのでした。

⑤1980年代:田中角栄の明暗

表舞台から去った田中は、しかし、
「闇将軍」として裏から影響力を行使します。

大平の後の、鈴木善幸
その後の、中曽根康弘
いずれも田中(派)の協力無くして
総理大臣にはなれなかった。
「田中曽根内閣」などと揶揄されます。

ところが1985年、
田中が育ててきた竹下登
派中派である「創政会」を結成!
その心労もあってか、田中は
脳梗塞で倒れて入院し、裏舞台からも去る。

以後、政界は「角抜き」の状況になります。

⑥1990年代:竹下院政の創生

1993年に自民党下野、連立政権ができ、
「五十五年体制」は終わります。

ですが、この頃の総理大臣を見ると、
「田中派・竹下派」出身が
多い
ことがわかります。

竹下登と言えば、消費税導入。
DAIGOのおじいさん、ですね。
彼はリクルート事件で失脚しますが、その後
隠れた闇将軍となり「竹下院政」を開始。

宇野宗佑・海部俊樹・宮澤喜一…。
彼らは竹下派ではありませんが、
多数の議席を持つ竹下派の協力なくして
政治はできなかった。

その後、細川・羽田・(村山)
自民党に政権が戻り、橋本、小渕…。

社会党の村山富市を除き、
四人とも田中派・竹下派の出身。
政権交代の立役者、小沢一郎
元は田中角栄の秘蔵っ子でした。

しかし2000年、小渕死去。
同年に竹下も死去…。

力を弱めた旧竹下派に変わり
後を継いだのは
福田~安倍晋太郎の流れを組む
森喜朗でした。

⑦2000年代:小泉劇場の破壊

「自民党をブッ壊すっ!!」

ワンフレーズポリティックスとも言われた
小泉純一郎の政権は、2001年~2006年。

彼は政界デビュー当時は
福田赳夫の秘蔵っ子と呼ばれています。

「郵政民営化」「小泉劇場」
よくクローズアップされますが、

その裏では、70年代~90年代の
長きにわたって続いてきた
「田中派・竹下派」による利権構造が
ブッ壊されていきました。
師匠の福田の仇を、存分に取ります。

彼は高い支持率を保ったまま、辞めていく。

その後の(第一次)安倍政権、福田、麻生
民主党への政権交代が起こり
鳩山、菅(かん)、野田
一年交代、政権が移り変わります。

⑧2010年代:安倍一強の選挙

この「一年交代総理」の流れを絶つのが
安倍晋三の「長期政権」なのです。

2012年~2020年。

戦後最長の長期政権。
彼はめっぽう選挙に強く
「国政選挙六連勝」という実績がある。
(野党が弱すぎた、という話もありますが…)

いずれにせよ、選挙によって
「間接的に」総理を決めるのは、国民。
国民の多数は
彼の政権を支持してきた、と言えます。

⑨2020年代:SDGsの政治

…2020年から「コロナ禍」に入ると
菅義偉、岸田文雄、と総理が変わります。
2022年、安倍元首相が
衝撃の銃撃により、この世を去りました。

「安倍抜き」の状況になった、日本の政界。

SDGs(持続可能な開発目標)
世界的な目標として掲げられる中、
日本はどのような道を
進んでいくのでしょう?

…何を「持続」させるべきなのか?
何を「取」り、何を「捨」てるのか?

そここそが議論されるべき、と感じます。

以上、敬称略にて
ごく概略だけ、戦後日本の総理大臣を
書いてきました。

さて、読者の皆様の印象に残っている
戦後の総理大臣は、誰ですか?
全く残っていない総理大臣は、誰ですか?

※戦後日本の総理大臣については、
中曽根総理あたりまでですが
さいとうたかをさんが漫画化もしています
(原作:戸川猪佐武さん)
『歴史劇画 大宰相』↓

◆戦後(1945~)の
「アメリカ合衆国の大統領」についてはこちら↓

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