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『だいたい間に合わない後輩は、朝食にご飯を炊き忘れる』#2000字のドラマ

 ひとは、時に予測不能な行動をする。
 たとえば今。私はカラの飯碗をもって駅に向かって走っている。
 土曜日、朝九時。
 すれ違う人みんなが、びっくりして、私を見ている。でも、かまわない。
 大事なことは、雲が途切れている間に彼をつかまえることだ。
 そしてこう言おうと思う。
 命を救ってくれて、ありがとう、って。


 人を天気にたとえるなら、私は「曇り女」だ。運動会も遠足も、いつも曇り。頭上にはいつも雲がかかっているんだ。
 昨日の夜、私は元カレのフェイスブックを見ていた。奴はにこやかに笑い、
『明日はいよいよ結婚式! あと四カ月で、子供が生まれます!』

 一カ月前には私と職場恋愛していたはずの男は5歳下の後輩女子と撃結婚するらしい。
「死んじゃえ、あたし」
 持っていたスマホを壁に投げつける。跳ね返ったスマホは棚に並べた薬瓶の列にあたった。
 ガタガタとガラス瓶が床に落ちる。私の体も床に倒れた。
起き上がる気力もない。
 ああもう、予定どおり――死んじゃおう。


 その時、床に落ちたスマホが鳴りはじめた。
 かけてきたのは職場の後輩、三宅君だ。

「三宅君?」
「あ、夏実先輩、実は――」
「あいつのフェイスブックなら、見たわ。ついでに妊娠報告も」
「あーー。見ないようにって、言おうとしたんですけど。おれ、いろんな事に、だいたい間に合わないんですよね」

 ゲリラ豪雨みたいな涙を流しながらも、私は思わず笑ってしまった。三宅君には、そういうところがある。期せずして、笑いを取るところ。

「いいよ。大丈夫だよ。もうじき仕事もやめるし」
「……ほんとにやめるんですか?」
 不安そうな口ぶりだ。三宅君は社会人1年目。ずっと指導してきたけど、今もちょっと頼りない。

「僕、仕事が心細いんですけどね……そうだ、明日の朝、飯を作りに行きますよ。お礼です」
 通話はそれで切れた。あたしはスマホを投げ出す。
 もう、なんだっていい。どうせ私は『確率100%の曇り女』。幸せな恋愛なんて、無理だったんだ。
 だけど今夜は薬を飲まない。明日の朝、三宅君に私を発見させるわけにいかないからだ。


 翌朝、三宅君は本当にやって来た。
 両手に鍋と食材をかかえ、玄関でぺこり、と頭を下げると

「おはようございます。台所をお借りします」

 と、体育会系の挨拶をした。
 台所に立つと銀色の鍋いっぱいに水を入れてコンブとイリコを入れた。タイマーをかけ、野菜を刻みはじめる。
 大根、ニンジン、ネギ、小松菜と油揚げも切った。手ぎわよく、グリルでシャケも焼きだした。

「料理、慣れてるね」
 というと、ちょっと照れたように笑った。
「練習しました」

 タイマーが鳴った。かちり、と鍋に火をつける。鍋を見ながら、

「俺、先輩に言わなきゃいけないことがあって」
「ふうん。なに?」
「先輩の元カレに、曽我(そが)さんを紹介しちゃったの、俺なんです」
「曽我さんを、修也(しゅうや)に紹介した?」

 三宅君は鍋のアクをすくってから頭を下げた。

「頼まれたんです。曽我さんは俺の同期なんで」
「あー」
 私がそういう間に、三浦君はまたぺこりと頭を下げて、鍋を見た。ゆっくりとコンブを引き出す。
 残ったイリコが、鍋の中で踊っている。生きているみたいだ。私の、未練みたいに。
 私は立ち上がった。

「手伝うわ」
「あ、じゃあイリコを出してください」

 イリコを一つずつ取り出して、捨てた。三宅君が野菜と揚げを入れる。私は鼻をひくひくさせる。焼き魚の香ばしいにおい。

「シャケ、焼けてきた?」
「あっ、忘れてました」
「”だいたい、間に合わない男”って言ってたよね?」
 三宅君は笑った。

「いや。今度は間に合ったと思います」
「うん。シャケ、焦げていないよ」
「ちがいます――先輩をとめるのに」

 かち、と三宅君はグリルを消した。
「死ぬ気だったでしょう、夏実先輩」
「……どうかな」
「わかりますよ。好きな女の考えていることくらい、必死に予想してます、俺だって」
「え?」

 びっくりすると、三宅君はかすかに笑った。

「俺、意外と計算高い男なんです。曽我さんを紹介するときだって“これで、先輩と別れちゃえ”って思っていたんですから」
 声も出ない。まさかそんなことまで?
 三宅君の大きな手が味噌をとき、シャケを皿に出した。テーブルに乗せて、箸をおく。

「どうぞ。これで帰りますから。ほんと、いろいろすみませんでした」
ぺこり、と頭を下げると三宅君は荷物を片付けて風のように出ていった。

 推測不能な男だ。
 だけど私の“死ぬ予定”はとりあえず延期になった。三宅君に、お礼を言わなきゃ、って思った。
 命をつないでもらったお礼だ。

 私は立ち上がり、茶碗を持ったまま、走り出した。
 駅前で荷物を持った大男に追いつく。
「三宅君!」
「はあ? 何してるんすか、夏実先輩」

 三宅君は、私とカラのお茶碗を見た。そして、はっとしたように叫んだ。

「あっ! 米を炊くの、忘れてました! すいません、だいたい、間に合わないんですよね、俺って」
「まに……あったと、おもう……よ」

 私は息を切らしていった。
「だから。戻ってきて、ごはん、炊いてよ」

 はははは! と三宅君は大きな声で笑った。
 その声でゆっくりと私の頭上で、雲が晴れていった。
 そうだ。私も『確率100%曇り女』を返上しよう。
帰って、ふたりでご飯を炊いて。

 三宅君と一緒に、あざといくらいに美味しい朝ごはんを食べるんだ。


【了】

#2000字のドラマ
#あざとごはん

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