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「フリースロー エビアン!」ヒスイのLGBTQ短編⑥

その年、私は男でも女でもない形で、過ごしていた。
一番ちかい言葉でいえば『ペット』だ。
それもかなり、できの悪いペットだった。飼い主は素晴らしかったけれども――。

20代の初め、私は突然カナダに住もうと思い立った。
疾風迅雷のごとくビザと語学学校を手配したものの、現地に行ってみて、
オンタリオ州トロントにあれほど多くの外国人が暮らしていることに驚いた。
語学学校に紹介されたシェアハウスには韓国、ドイツ、ブラジル、アルゼンチン、香港、エクアドル、ベリーズからの女の子たちがいた。彼女たちは入れ替わり立ち代わりやってきて、短い語学留学を終えて消えていった。

そんなシェアハウスの中で、私と韓国人のサニーだけは、長期ビザを持っていた。自然と一緒に出かけるようになり、サニーの友人たちと仲良くなった。
私はたちまち、韓国なまりの英語を習得した。語学学校の先生から習うより、コリアンたちと話す時間のほうが長かったからだ。

そして、私のひどい英語を根気よく直してくれたのが、仲間のひとり『イニョン』と呼ばれる男の子だった。


イニョンは、とてもきれいだった。
肌はすべすべ、目はするどいナイフで切り上げたようで目じりが跳ねあがり、唇はサンゴ色。
いつも、語学学校の韓国人グループから少し離れて、たまに口を開くときれいな英語をしゃべった。

私とイニョンには『映画』という共通の趣味があった。映画のあと、英語のセリフをさっぱり聞き取れなかった私にストーリーを丁寧に説明してくれる。
だからあの1年間に見た100本近くの映画は、全部ストーリーを覚えている。
イニョンのサンゴ色の唇をわすれられないように。


そこから1カ月後、サニーが言った。
「ミドリ(翠)、イニョンとはあんまり一緒にいないほうがいい。彼はその、ちょっと、特別だから」
私が変な顔をしていると、サニーは、

「日本人がどう思うのか知らないけど。イニョンはゲイなの。LGBTQ」
「ああ、そう」

それまでゲイやバイセクシュアルについてまったく学んでこなかった私には、イニョンがゲイだろうがどうでもよかった。


その後いろいろな流れがあって、私はサニーよりもイニョンの仲間と会うことが多くなった。
博物館やギャラリーへ行く。カフェでしゃべる。韓国系のゲイが集まるバーに行く。
休みには韓国ふうピクニックとして、オンタリオ湖を眺める公園で骨付きカルビを山ほど焼いて食べた。

5人のピクニックで7キロの肉を買ったのははじめてだ。
そういう時だけ彼らはふだんのおしゃれでかっこいいスタイルを投げ捨てて、ただの20代男子として肉を食べまくった。
そしてお気に入りの犬を丁寧に世話するように、一番いい部分を私にくれた。

『ミドは肉が足りない。もっと食べなきゃね』

肉ギライな私はとても困ったが、何とかカケラを飲み込んだ。
それを見てイニョンは笑い、笑っているイニョンを見て私も笑った。

なにかが、とてつもなく、奇跡的に許されているような不思議な季節だった。


私は韓国ふうの英語をしゃべり、性別を超越しているようなイニョンや仲間とトロントじゅうを歩きまわった。
永遠に続くような、長い長いブロアー通り。
オンタリオ湖に浮かぶ小さな小島。
シャープなファッションで武装しないとビビって歩けない、スタイリッシュなクイーンストリート。


異国の景色の中でイニョンは男でも女でもなく、私はペットであり友人だった。
それでよかった。
お互いに何の責任もなく、ただの友情だけがあった。

あの日、語学学校の廊下で差別的な言葉を聞くまでは。



語学学校は英語レベルによってクラスが分かれていてた。
私はイニョンのプライベートトレーニングのおかげで、かろうじて彼と同じ上級クラスに入っていた。
その日、教室から教室にうつるとき廊下で日本語が聞こえた。
ガザガザした若い男たちの声。

「みろよ、あいつホモなのに女をつれてるぜ」

振りかえりざま、私はそいつらをにらみつけた。奴らはさらに笑い、

「あれも男じゃねえの。女装とか、あるじゃん」
「ややこしいな。ホモでおかまで女装かよ」

私の目の前が、怒りで白くなった。
ぶん! と持っていたペットボトルを投げる。エビアン水の重いボトルがみごとに眉間にヒットして、そいつはひっくり返った。
仲間が駆け寄り、私に向かって怒鳴りたてた。

「なにすんだ、くそ韓国人!」
「やかましい!! ゲイだからなんだってんだ、このアホバカ日本人!」

そいつは、私が日本語をしゃべったので本気で驚いていた。日本人だと思っていなかったのだ。だから平気で下卑たことを言った。
だから、何だっていうんだろう?
言葉が通じようが、通じまいが、言っていい事と悪いことがある。

他人を根拠もなく侮蔑したり、自分と違うという理由だけで攻撃したりするやつが、私は一番きらいだ。

怒りはやまず、今度は教科書の角でぶん殴ろうとしたとき、イニョンに止められた。

「ミド。おくれるよ、いこう」

イニョンは、できの悪いペットの忠誠心をほめてやるように私の頭を撫で、次の教室へ引っ張っていった。

私は、イニョンに引きずられて廊下を歩きながら
忠実なペットとして
明日から水のボトルを2本持ってこようと考えていた。
イニョンを傷つけるやつと
イニョンを傷つける世界にむかって
ぶん投げるためだ。

もっともその日から、あの日本人男子ふたりは私を見るとすぐさま消えるようになった。
フリースローされたエビアンボトルが、よほど痛かったのだろう。
ざまあみろ。


<゜)))彡<゜)))彡<゜)))彡

イニョンはきれいな顔をした若者だった。
色は白く、唇はサンゴ色で両目はナイフで切り上げたようだった。
そしてどこか、この世のものではないような、
この世に居場所を探しきれていない天使のような
顔をしていた。


あれから何年もたち、私たちはそれぞれの国に帰った。イニョンは時々、英語のメールをよこす。
たまに日本語のメールも送られてくる。
私はイニョンのへんな日本語を直して送り返す。

そして今も、
私は、この世の居場所を探している天使に
親友という名の忠誠を、誓っている。

【了】(改行含まず2467字)

今日の短編は、半分フィクションです。
しかし半分は
フィクションではありません。

LGBTQについてはきちんと学ぶ場所が少ない。
じつに残念なことです。

だからヒスイはまず
『自分がLGBTQについて知らない』ということを
認知する場所から始めたい
と思います。
自分が知らない事、理解していない事があるということを
頭にいれることが一番大事なのだと思います。

なお、この短編は「中森学さん」のLGBTQに対する差別について考える記事を読んで、ヒスイなりに考えたアンサー短編です。

学さん、意義深い記事をありがとう。
そして
古い友人の事を
思い出させてくれて、ありがとう。

今夜あたり、イニョンにメールを送ります。
もちろん
日本語で(笑)。
ヒスイ、日本に帰ってきたらソッコーで英語を忘れたんですよね(笑)
そんなもんです。


どうかこの短編が、とてつもないウソに感じられる世界が
やってきますように、と願います。
この世から、無理解と異質なものをつまはじきにする無知が、消えますように。


さて。明日は土曜日!
410字を出しますよ。
だから明日も、お会いしましょうね(笑)。

※イニョンが登場する短編は、こちらです。

ヘッダーはJose Luis C.R.によるPixabayからの画像

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